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 ソフィアの言葉に水の精霊は訝しげに眉を顰める。
「それはどうしてでしょう? 人間でも罪人は処刑するでしょうに。過ちには相応の報いがあってしかるべきですよ」
「でもさ、そもそもの原因はグリじゃない。グリがみんなを困らせなかったら、こういう状況にはならなかったんだから。島を追い出された事で十分罰は受けた事になるはずよ。あなたは島に帰してあげたいかもしれないけど、無理やり島へ連れ帰っても問題は解決しないだろうし、他の竜だって迷惑するだけ、本人も今更帰るなんて嫌がるわ。帰った所でグリの居場所なんて無いじゃない」
「人間社会には居場所があるとでも? あれを見る限り、とても竜族が受け入れられているようには見えないわ」
 そう戦艦の方を一瞥する。突然の理不尽な嵐に見舞われ追跡を諦めるかと思われたが、この嵐にも負けじとばかりに高波を掻き分け追跡を強行している。この嵐を渡ろうと言うのだから、相当な執念深さを感じられる決断だ。
 これだけを見れば、とても竜族を歓迎しているようには思えない。しかしソフィアは表情を変える事無く言葉を続ける。
「今はまだ、ね。突然出てきたからびっくりしているだけよ」
「びっくりで、あのような鉄の船を担ぎ出すと?」
「だって人間は弱いもの。自分より強い相手が出てきたら、とにかく安全を確保しようと躍起になるものよ。それが行き過ぎて時々暴走するのよ。あれは怖さの裏返し。心の底から本当に拒絶している訳じゃないわ。それに、今だってみんながみんな拒絶している訳じゃない、嫌わない人だっているわ。私がそうだもの」
「それではあなたは、周りが拒絶する竜族を構わず受け入れるのですか?」
「そうよ。今もそうしてるもの。後は受け入れられない人と出来るだけ摩擦が起きないように調整してるだけ。私の生活が困るからね」
 続いて、僅かな微笑み。
 そんなソフィアの主張がよほど意外だったのか、水の精霊は呆気に取られた顔でソフィアとグリエルモを見比べた。グリエルモは嬉しそうに背後からソフィアにじゃれ付いてはソフィアに邪険に払われている。そのグリエルモには一点の悲壮感もなく、如何にソフィアへ好意と信頼を寄せているのかが如実に現れ出ている。
「グリエルモ、あなたは島へ帰らなくても良いのですか? 人間の所に居ても、一生駆り立てられるだけですよ? それよりも、また昔のように竜の島で音楽を奏でていた方が良いでしょう」
「小生は嫌われ者だからね。わざわざ帰る理由は無いよ。それよりも愛しいソフィーに一生飼われるよ。飼われながら、音楽の道を精進したい。『それがー、本当の幸せーさー』」
「人間は遥かに早く死にますよ? それこそ、あなたを置いてあっという間に」
「『ソフィーはー、死なないー。それはー、ソフィーだからー』」
「ま、共存より以前に教える事が多そうだけどね。常識的な部分からちゃんと教育し直さないと」
「竜族に教育ですか。確かに子供にはそれが必要ですけれど、それを実践しようとする人間は初めて見ました。あなたは私がこれまで見てきた人間達とはまったく異端の人間のようですね」
「どうも、褒め言葉として受け取っておくわ」
 人間以外の種族の価値観を一笑する訳ではないが、褒められた所で正直に喜べない事も事実である。どうにも彼らには自分が喜べる部分とは違う部分をあえて評価しているような節がある。本心なのか故意なのかは知りたくも無いが。
「それではグリエルモとオーボルトはあなたに任せるとしましょう。どうかよろしくお願いします」
「はいよ。そっちはそっちで、竜族の事は穏便にね。私は極普通の生活が欲しいだけだからさ」
「竜族を連れて平穏を望みますか。まあ、良いでしょう。さて、そうなると残るは、あれですね」
 そう言って水の精霊が目を向ける先では、戦艦が高波を潜り抜けながら執念深く尚も渡航を続けていた。どれだけ強く雨に打たれ波に揉まれようと、オーボルトを仕留めるまでは断固として諦めない。このまま放っておいても、自力でこの場所へ辿り着きそうな勢いだ。
「あーやだやだ。しつこいわね、あんたの知り合いは」
「処罰が避けられないのなら、せめて悔いを残さないようにするつもりだろう。道草を食い過ぎた、そろそろ先を急ごう」
「それでしたら私に任せて下さい」
 すると水の精霊は宙を舞うような軽やかな身のこなしで場所を移すと戦艦の方角をじっと見据えた。
「ソフィア、私はあなたの事が気に入りました。ですから親愛の印として、あなたを悩ませる竜族を拒絶する存在は私が追い払ってあげましょう」
 そう言って水の精霊は視線を向ける方角へ右手をかざす。彼女が何をしようとしているのか、トアラの脳裏には様々な気象状態が浮かんだ。これだけの嵐を作り出せる精霊なら、雷を何度か落とすだけで戦艦は粉々に吹き飛ぶだろう。規格外の巨大な高波を起こし飲み込ませる事も出来る。また、最も少ない労力ならば戦艦の海域に無数の気泡を発生させるだけで浮力を失い沈没させられる。いずれにしろ、水の精霊のやらんとする事は一つである。
 ソフィアはトアラとは違い、水の精霊の目的だけを瞬時に感じ取った。その次には既に声を上げていた。
「待って! あっちの方にも手出ししないで」
 ソフィアの言葉に水の精霊はふと手を止め振り返る。その表情は何故自分が止められたのか疑問の色が濃く出ていた。
「あれはあなた方に危害を加えようとしているのですよね? それとも、私の思い違いでしたか?」
「思い違いじゃないわよ。だけど、駄目。今後共存しようって時に戦ってどうするのよ。やられたらやり返すような悪循環に入ったら、感情論が入り乱れて手の施しようがなくなるわ。それに経験則から、あの手のは一度やられるとしつこいんだ。だから、下手に手出しをしないでさっさと逃げるのが得策なのよ。あ、適当に時化らせるのなら足止めになるからアリだけど」
「受け入れてくれるかどうかも分からないのに、受け入れてくれるのを待ちながら逃げ続けるのですか?」
「既にそういう生活です。言われるまでもなく、何も変わってはいないわ。ま、今回は流石に派手過ぎたから、当分どこかの田舎でほとぼりを冷ますけど」
「私が思うには、あなたが生きている間に安住は有り得ないでしょう。人間の総意は異種族の存在を柔軟に受け入れられるほど成熟はしていません」
「私はそこまで殊勝な心がけは持ってないわよ。ただ、自分の生活を害されたくないだけ。だから、お願いだから面倒ごとは起こさないで。困るのは私だから。正直、竜族に精霊の上に、軍人まで手は回らないのよ」
 まるで、余計な手出しをするな、と言われているような気分だと水の精霊は眉を顰めた。人間には人間なりの考えがあるのだろうが、それは精霊にとっては幼稚で見るに耐えないものである。にも関わらず、その幼稚な観点から自分が諭されるとは夢にも思ってはおらず、水の精霊が次に抱いたのは落胆も失意も無い純粋な驚きだった。幼稚な人間に自分が知らない事を教えられた。敗北感が沸き起こるかと思えばそうでもなく、むしろ清々しさが胸を通っていった。
「本当、娘とは思えぬ器量ですね。まるで英雄譚に語られる豪胆さです」
「それがソフィーだよ。『その剛勇はー、雷鳴の如く千里を駆けるー』」