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「何よ、あんた。ずっと連絡もしないで」
「申し訳ない。例の事件の残件を片付けるのに手間取ってしまって。けれど、やっと終わったところだ。これでも急いだ方なんだよ」
「ふうん。で、早速そっちも休暇ですか。この間までのも休暇じゃなかったのかしら」
「そう言わないで欲しいな。たまには家族サービスもしないといけないから」
「家族サービス?」
 親でも連れて来てのんびりさせようというのだろうか。そもそも孤児院育ちではなかったのか。そう思ったソフィアの目が、ふとある一点に止まる。それはトアラの左手だった。別段特に意識して見ていた訳では無かったが、今のトアラの左手には以前は無かったはずの指輪がはめられている事に気づいたのである。それもその指輪は薬指だ。
「もう随分と家に帰ってないからね。けど、特別休暇を貰ったからしばらくはここでのんびりするんだ。丁度ここで合流する段取りになってるし」
「合流って誰と?」
「え? 決まっているじゃないか」
 何をおかしな事を言っているのかと不思議そうに小首を傾げるトアラ。まるで自分が勘が悪いように思われているのではとソフィアは思い、慌てて次の言葉を捜す。しかしそれよりも先にトアラは動いた。急に何かを見つけたかのように別な方向へ向き直ると、そこに向かって軽く飛びながら大きく手を振った。
「あ、来た来た。ハニー! こっちだよ!」
 次に飛び出したトアラの言葉に、ソフィアは耳を疑わずにはいられなかった。当初のトアラは、無愛想で堅物の典型的なマニュアル人間だった。それが仮の姿だとしても、演技では済まされないほど衝撃的なこの言葉。ソフィアは真っ先に自分の耳と思考が正常であるかを訝しんだ。
「ダーリン!」
 そして、トアラが子供のように無邪気に手を振る先から、あらかじめ示し合わせていたかのように脱力で腰が砕けそうになるほどの浮ついた単語が返ってくる。その方角からは二人の若い女性がこちらへ向かって駆けてきた。一人はいわゆる適齢期ほどで、もう一人は更に若く自分と変わらないぐらいの年齢だろう。二人の雰囲気は良く似ており姉妹にも見える。
 トアラをダーリンと呼ぶ女性は、辿り着くなりいきなりトアラに抱きついた。そして二人は人目をはばからず口付けを交わす。まるで盛りのついた新婚だ、とソフィアは未だ状況を良く把握出来ていない半笑いでそれを見ていた。
「もう、ずっと連絡くれないんだから心配してたのよ?」
「ごめんね、なかなか自由に動けなくてさ」
「ちゃんと御飯食べてる? 少し痩せたわよ」
「きっと寂し過ぎて痩せちゃったんだよ。君が何とかしてくれるかい?」
「もちろんよ!」
 急過ぎる、いや、異常過ぎるこの状況についていけない。ソフィアはすっかり脱力し元の席へ崩れ落ちるように腰を下ろした。
 トアラというのは偽名で、性格にも任務を円滑に行うための設定付けがあると本人は言っていた。事実、あの後すぐに本来の口調に戻ったが、その時は極普通の青年といった雰囲気だった。しかし、今目の前にいる正視し難い青年は、果たしてそれと同一人物なのだろうかと、軽薄で浮ついた言動を女性と繰り返している。まるでこれまでの言動からは繋がりの無い、異常な光景だ。
「……あのさ、盛り上がってるとこ悪いんだけど。……誰?」
「え? おっと、失礼。紹介するよ、こっちが僕の妻でスティナ、こっちが娘のフィレナだよ」
「娘?」
「そう。君とは数え歳が一緒だから、気が合うはずさ」
 スティナは底抜けに明るい表情でにこやかに一礼し、再びトアラにじゃれ付き始める。そしてその傍らで小さくため息をつくフィレナと偶然ため息のタイミングが重なり目が合った。フィレナは微苦笑している。ため息のタイミングが重なった事にではなく、人目をはばからない二人に自分と同じ気持ちでいるようだ。確かにある一点については気が合いそうである。
「あんた、一体幾つなの?」
「残念ながら機密事項さ。ただ童顔だからよく若く見られがちなんだけど、広めに取って三十台後半から四十台前半で想像して」
「……無理」
 トアラは既婚者の上にこんなでかい子供までいたのか。しかも本当に年齢が不詳だったとは。
 自分よりも多くて五つ程度と想像していたソフィアは驚きと衝撃を隠せなかった。確かにトアラのプライベートに興味はあったが、それがまさかここまで衝撃的なものだったとは。それならばいっそ、知らないままでいた方が美しい思い出で済んだだろう。
「私はね、もっと物静かで真面目な人がタイプなの」
「何の話かな?」
「何でもない」
 そうか、時折やけに優しいと思っていたら。トアラはきっと、普段全く相手をしてやれない娘と重ねていたのだ。
 途端にトアラの態度が腹立たしくなってきたが、それを表に出すのは敗北を喧伝するような事と思い、ソフィアは厳しく突っぱねた。だがこの夫婦にはそんな刺々しい空気など伝わってはおらず、周囲を無視して自分達の世界を展開し続ける。
「そうだ、忘れるところだったよ。ソフィア、今回の協力についての報酬の件だけど。ようやく手続きは終わったから、今日中にここに到着するよ。今後の政府の方針はそれから説明しよう」
「報酬?」
「忘れたのかい? 特赦の事だよ。君の父親の釈放が正式に認められ、今こちらへ向かってる最中なんだよ」