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 日が西の水平線へ沈み始める。太陽の放つ光はいつも一定なのに、何故海に近づくと赤く揺れながら潰れるのだろうか。そんなさもない事を考えながら、ソフィアは防波堤の片隅でじっと外海を見つめていた。
 政府関係者しか利用する事の出来ない、このリゾート島。島中の至る所が豪奢に作り込まれ一分の隙も無く非日常的な開放感を演出しているのだが、その中で唯一島の雰囲気にはそぐわない場所がある。それがこの島の玄関口となる港だった。
 港には常時駆逐艦が二隻停泊し、周辺には完全武装した軍人達が夜を徹して仰々しく警備をしている。ほんの少しの悪ふざけも許容されないほど空気は硬く張り詰め、一般人ならものの五分といられないほど居心地は悪いだろう。だがソフィアは防波堤の一角に大胆にもイスを置き、朝から今まで腰掛けていた。この張り詰めた雰囲気の中、年端もいかない少女が堂々と居座り続ける姿に奇異の視線を向ける軍人は少なくない。一体何のためにこんな所に座っているのかは分からなかったが、上官からは国家元首並の対応をするようにと命令されているため迂闊に話しかける事が出来ない。その上、任務である警備を果たそうと近辺に近づけば険しい表情で追い払われてしまうため、遠目から見張る以外で成す術はなかった。
 もう間も無く日が沈む。日没後は更に警戒態勢が強化され、港とその近辺は警備以外の者が立ち入る事は出来ない。たとえ元首待遇の身分であろうと同じである。ソフィアも間も無くこの場から立ち退いて貰う必要があるのだが、上層部が明らかに特別扱いをしている事だけでなく、見た目にそぐわない気当たりを持つソフィアに対して誰がどのタイミングでそれを切り出すのか、軍人達は貧乏籤を押し付けあうように互いに牽制し合っていた。
 そんな中、太陽が半分も沈む頃になってソフィアはおもむろに立ち上がった。突然の行動に軍人達の間には一斉に緊張が走り、何事かと反射的に身構える。
 ソフィアの視線の先、海の方角には一隻の船の姿があった。それも民間向けの客船ではなく、海軍が所有する高速船である。一兵卒が乗船出来るような代物ではなく、戦中等に奇襲作戦に使われるような特殊な仕様の船である。
 これまで一歩も動かなかったソフィアは一変し、すぐさま船を先回るかのように船着場へ向かって駆け出した。その後を軍人達が遅れずに追いかける。
「お待ち下さい! 午後四時以降は、この区域で徒歩以外の移動手段は禁止されています!」
「私の田舎じゃこれが徒歩よ!」
 特別咎め立てるほどの違反では無いにしても、ただでさえ場違いである存在が走り回る姿は悪い意味で非常に目立つ。とにかく走る事だけはやめさせようと軍人達はソフィアを追うものの、完全武装した格好では羽のように跳び回るソフィアに追いつくのは物理的な無理があった。目的地は予想がついても振り切られてしまった事に敗北感は否めない。
 軽く息を切らせながら着船場所へたどり着いたソフィアは、ゆっくりと速度を落とし停船する高速船の左舷へ立った。着船のため作業員達が集まってきたがそれに気遣うこともなく、ソフィアはその真っ直中に立ちじっと船を見据える。
 着船場固定された高速船は、中と外の合図と共に外壁の一部を内側から留め金を外し前へ緩める。その外壁は内側から吊られた鎖をゆっくり緩めながら微調整し、丁度船と着船場にかかる橋になるよう途中で一息に落とされた。足場を兼ねているのか厚い鉄板が落ちた瞬間は足下が僅かに震えるほどの衝撃があった。耳の奥に刺さるような金属音に思わず奥歯を噛むものの、視線はあくまで船の中へ向けられている。
 まず中から現れたのは、儀典用の制服に身を包んだ軍部の高官らしき男だった。すぐさま周囲の軍人達は背筋を伸ばして最敬礼し、それに対して男も堅苦しい仕草で敬礼し返す。ただソフィアだけが、何も言わず動かず、じっとその場に立っていた。
「法務省の令により、収監中の死刑囚バジルを現時刻を持って放免とする。出ろ」
 男はソフィアとは目を合わさず事務的にそう言い放ち船の中へ合図を出す。程なく、奥からぺたりぺたりとさも自信なさそうな歩を踏む足音が聞こえてくる。ぼそぼそと何事かを話す声も聞こえるが、声が小さすぎて聞き取ることが出来ない。独り言にも聞こえるが、挨拶をして回っているようにも聞こえる。
 そして恐る恐る中から現れたのは、驚くほど不似合いなスーツを身に着けた初老の男性だった。既に日は落ち掛けているが照明の僅かな光りが眩しいのか、すぐに顔を庇い目を細める。
「娘のソフィアだな。これにてバジルの身柄を引き渡したものとする。依存は無いな」
 男は憮然とした態度でソフィアに問う。ソフィアは一度だけ視線を合わせると、ゆっくり頷き返す。それを確認するや否や、男は再度初老の男に対して船から下りるように視線を送る。初老の男は腰を低くしながら一礼し慎重に足元を確認しながら船を下りる。
 船を下りた初老の男に、ソフィアはゆっくりと確かめるように歩を進めていった。初老の男もまた、ソフィアの姿を目にし大きく見開く。そして込み上げてきた感情のあまり唇を俄かに震わせ始める。
「お父……さん? だよね?」
「ソフィア? まさか、ソフィアなのかい?」
「そうよ、私! ソフィアよ!」
 大声で叫ぶような感激に満ち満ちた確認、その後に二人はどちらからともなく踏み出し、そのまま強く互いを抱きしめ合った。
「二年ぶりぐらいかな、ソフィア。暦の無い所にずっといたから、もうどれだけ経ったのか忘れてしまったよ」
「随分老けたわね。少し禿げたんじゃない? でも、元気そうで良かった」
「病気もすっかり良くなったようだね。でも、ちゃんと食べてるのかい? 前は食が細そかったから」
「ちゃんと食べて無いのはそっちじゃないの? すっかりやつれちゃって」
「そうだね。確かに、そうだった」
 抱き合ったまま少しだけ離れ、今度は互いの顔を改めて見つめる。共に暮らしていた期間の方が遥かに長いとは言え、当時の印象を大きく違えるほど離れていた期間は長かった。それでも脳裏に焼きついたお互いの面影を辿ればすぐに本人であると分かるほど、親子としての絆は風化することなく持ち続けているため、まるで別人だと思うような疑いは一片も持ち合わせてはいない。
「ずっと大人っぽくなったよ。母さんに似てきたね」
「やっぱりそうなんだ。どうりで貧乏籤ばっかり引く人生だと思った」
「ごめんね、駄目な父親で。苦労ばっかりかけて」
「苦労はお互い様よ。それに、これはこれで結構気に入ってるもの。他の父親なんて考えられない」
「父さんも、ソフィアのようなしっかりした娘が居て幸せだよ。うん、幸せだ……」
「やだ……泣かないでよ、こんなところで」
「そうだね、うん。でもそれはお互い様だよ?」
 二人を衆目の立場から見る軍人達は、場の空気を壊さぬよう出来る限り息を潜め、いきさつを見守りつつ任務に従事した。せっかくの再会に水を差さない。部外者の立場から出来る最大限の配慮である。
 ソフィアは政府が監視する重要人物の一人であり、同じく不穏分子として監視されている竜族を自在に操る事を、その場に居た軍人達は皆知らされていた。そして今日ここへその父親が護送される事も予定にはあったが、それがこういった感動的な再会になろうことは意外にも誰一人予想していなかった。ソフィアの父バジルは元死刑囚という情報だけが知らされ、ソフィアはその釈放のため一部暴走した軍部と対立し圧勝してしまったというのが彼らの認識だった。そのため竜使いとはもっと苛烈な人物像を、元死刑囚は狂気染みた殺人鬼を自然と想像していただけに、目の前の光景はあまりに予想外で驚くべきものである。バジルは窃盗で死刑を宣告され、ソフィアはそれを取り消すための恩赦を目的に戦っていた事実は一切伏せられており、真相を知るのは当の本人達と一部の政府高官のみだ。
「ここじゃ落ち着かないし、街の方へ行きましょ。そうだ、御飯まだだよね? 外で食べるなんて久しぶりだもん、何か食べたいのある?」
「何だって構わないよ。ソフィアと一緒に食事が出来ればそれだけで」
 そう微笑むバジルにソフィアも微笑み返し、バジルの腕に自分の腕を絡める。そしてバジルはソフィアに連れられるまま港の外へ向かって歩き出した。しかし、丁度港から出たその時だった。区画を分ける門を出てすぐの所に見慣れた顔が立っている。それを見たソフィアは露骨に表情をしかめて見せた。
「何? まだ何かあるの?」
「政府の見解を説明したいんだけど、良いかな? 時間は取らせないよ。ハニー……いや、妻と娘が待っているからね」
「今更格好なんかつかないわよ。で、見解って何?」
「実はね、特赦には条件が一つ出されていてね」
「条件? 聞いてないわよ、そんなの」
「大した事じゃないよ。今後、君が竜族に関しては交渉役になり、各種災害を未然に防ぐ事。要は今まで通り騒ぎを起こさない生活をする事だね。ただ一方的な条件じゃなくて、きちんと従事していれば報酬も与えられるそうだよ」
「報酬ね。要するに危険手当でしょ? 戦艦動かすよりもよっぽど安上がりじゃない。で、こっちからもそれについて意見は出せるの?」
「希望するなら返答を書面で送るよ。諜報部経由なら誰にでも確実に届けられる」
「だったらね。『あの二人は私が面倒を見るって決めた事だから口出しするな、税金はもっと有効に使え』って馬鹿政府代表宛に」
「分かった、速達で出しておこう。竜使いより、と」
「余計な差出名を加えないで」
 ソフィアはトアラに向かって思い切り歯を剥き、もう顔も合わせたくないとばかりにバジルを無理やり引き連れながらその場を足早に後にする。事情の分からないバジルは小首を傾げながらただソフィアに引き摺られ、ソフィアとトアラとを交互に見やる。トアラは苦笑いを浮かべながら手を振っており、バジルもそれに応じ軽く会釈をする。
「ソフィア、あの二人って誰の事だい? それに竜使いがどうとか」
「ああ、そうか。一人はあのグリで、もう一人オーボルトって竜がいるの。まあ、手間のかかる弟と妹が出来たと思って。竜の事とかも、ちょっと話が長くなるんだけど」
「いいよ。これからは幾らでも時間があるからね。ゆっくり聞けるよ」
「そうね。じゃあ、夕御飯を食べながらにしましょうか。そろそろ二人も出て来るだろうし」