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 不意に見舞われた車の揺れで僕は目を覚ました。
 薄暗いバスの中は肌寒く、備え付けの毛布が無ければ風邪でも引いてしまいそうだった。電気をケチッているのか、そもそもこのバスについている暖房の能力に問題があるのか。しかし足があるだけマシだと僕は毛布をかけ直した。
 一番前の席から丁度見上げた位置に埋め込まれている時計を見やる。時刻は午前四時四十分。まだ夜明けには遠い時刻だ。けれど、慣れないバスでの長時間の移動のおかげで体のあちこちが強ばって痛み出している。そろそろバスを降りて軽く体を動かしたいが、一般道を走っているため終点の大宮駅までは一切止まらない。
 成田を出たのが日付が変わるぐらいだったから、もうそろそろ到着しても良さそうなんだが。
 カーテンの端を少し捲り、濡れた窓ガラスを撫でながら外の景色を眺める。そこは見たことも無い雨降りの田舎道で、一体今どの辺りを走っているのか見当もつかなかった。多分国道を降りたのだろうが、この辺りの土地勘はまるで無いため、自分がどの辺りにいるのかまるで見当がつかない。普段なら携帯電話で地名ぐらいはすぐ確認出来たのだけれど、ここ何日かはあまり情報が正確では無くなって来た。多分、基地局が次々と放棄されているからだと思う。携帯も繋がったり繋がらなかったりするので、ほとんど使わなくなってしまった。
 僕は膝に乗せていたカバンからPDAを取り出しGPSカードを差し込んで電源を入れた。ナビソフトを起動させてみると、GPSの位置確認サービスはまだ正常に稼働しているようで、多少のブランクの後に現在位置の情報が送られて来た。
「やっと岩槻か……随分遅いな」
 確かラジオで、国道に幾つか検問が設けられた事と大型車限定で速度規制が発令されたのを聞いたような気がする。もしかすると十六号線にも検問が設けられたのかもしれない。
 ったく、電車が動いていればこんな苦労しなくても済むのにな……。
 とにかく、岩槻まで来れば大宮はもう目と鼻の先だから、もう間もなく到着するはず。だったら一度落ち着くためにももう一眠りした方がいいだろう。
 PDAの電源を切ってカバンの中へしまい込むと、再びカバンを抱くような姿勢で背もたれに体重を預け目を閉じた。一度目を覚ましたせいか眠気はすぐにはやって来なかったが、こうしているだけでも随分と安らぐことが出来た。あれは確か小学生の時のキャンプ行事だっただろうか。眠れずにはしゃいでいた僕達に担任の先生が、たとえ眠くなくとも目を閉じて横になっているだけで体力は回復する、なんて事を言っていた。当時は興奮し過ぎていて何の事かさっぱり理解出来なかったけれど、今は何となくその感覚が理解出来る気がした。
 目を閉じていると、すぐに家族の姿が浮かんで来た。たった二日ほど会っていないだけだというのに、あれからずっと胸を締め付けられるような孤独感に苛まれ続けている。そんな僕にとって何でも作り出せるまぶたの裏は、まさに打ってつけの空間なのだろう。
 一昨日、成田空港のロビーで僕達家族は国際線の案内を待っていた。僕と父さんと母さんと妹の四人、この御時勢に四人分のチケットが取れたのは非常に幸運だっただけに、案内まで幾らでも待ってやろうと、そんな感じだった。けれど、そのロビーで突然爆発テロが起こった。多分、どっかの馬鹿が自棄になった勢いでの事だと思う。ただ、成田は自衛隊の統治下に置かれた厳戒態勢の最中だっただけに、現場は一瞬にして戦場と化してしまった。実際に銃撃戦も行われたらしく、死傷者も幾人か出たらしい。現場は僕達がいた所からほとんど離れていない場所だったというにも関わらず、全くの無傷で済んだのは本当に運が良かったと思う。けれど、混乱した現場で無我夢中で避難してしまったせいで僕は家族とはぐれてしまった。
 爆発テロだとか暴動だとか、今の日本ではごく当たり前のように起こる事件、いや、もはや日常の一部と言ってもいい。辛うじてニュース放送は続いているようだけれど、ほとんどが行方不明者だとかの掲示板代わりで、一日にどれだけの人間が死んでいるのかまるで分からない状況だ。もちろん、好きなスポーツ番組もバラエティも放送している局は存在しない。
 どうしてこんな事になってしまったのか。全てを一言で表すのは非常に簡単だった。それは、今、地球が滅亡の危機に瀕しているからである。
 つい半月ほど前の事だった。
 アメリカの気象衛星が北大西洋の海上に奇妙な影を映した。すぐさま調査をした所、それは直径百メートルほどの巨大な穴である事が判明した。これがそもそもの元凶である。
 何故、海上に穴など出来るのだろうか。早速NASAは調査チームを結成し現地へと派遣した。しかし調査隊はそのまま現地で行方不明となってしまった。不審に思ったNASAはアメリカ海軍と連携して再度調査を試みたが、今度はその一個師団ごと綺麗に消えてしまった。三万五千リットルの排水量を誇る戦艦諸共である。以後の調査は可能な限り慎重な方針で続けられ、やがてその穴はある程度近づいたものをまるでブラックホールのように吸い込んでしまう存在である事が分かったそうだ。更に、問題はそれだけに留まらなかった。その穴は急速的に成長していき、発見からたった一週間でアメリカ、イギリス、スペイン、オランダといった国々を地球上から消し去ってしまったのである。その間、各国はありとあらゆる手を尽くしたそうだが、どれもこの穴を消し去るまでには至らなかったのだ。
 始めはアメリカが何とかしてくれるだろうと楽観していた日本は、そこまで来てようやく事態の深刻さに気づいたが、既に状況は後戻りの出来ない所まで来ていた。学者達が出した計算では、日本が地球上から消えるまでおよそ三週間。しかし、その間に解決する可能性は皆無に等しかった。たとえ解決策を見つけだしても、それを行うだけの物資と人員を揃えられるか分からないからである。
 当初、日本政府はこの事実を公表する事を控えていたのだが、学者の一人がネット上でリークしてしまい、マスコミが面白おかしく煽ったおかげであっと言う間に周知の事となってしまった。結果、起こったのは大規模な暴動と略奪だった。警察だけでは治安を維持出来ず、自衛隊までが鎮圧に乗り出す始末である。もはやこれは火事泥棒なんて生易しいものじゃない。もう助からないのだと知って、法律を守る事を止めた人間が急増したのだ。もはや国としても立ち行かなくなっている。
 国内がこんなありさまだから国外脱出を図る人間は少なくなかった。国際線は連日満席で、席の取り合いで傷害沙汰になる事すら珍しくない。そのため日本の主要空港は全て自衛隊の統治下に置かれたのである。
 僕の家族も御多分に漏れず海外への脱出組だ。マレーシアに祖父の戦時中の知り合いがいるのでそこへ避難しようとしていたのである。だが、件の成田空港でのテロ事件のせいでこんな事になってしまったのだ。
 携帯電話は一度も繋がらず呼び出し音すら鳴らないため、家族と連絡を取る手段は全くなかった。けれどこんな事態に備えて、もしも何か事件事故に遭遇して離れ離れになった時は家に戻って合流しよう、とあらかじめ打ち合わせておいたのである。そのため、僕は何とか成田からの臨時バスを見つけて自宅へと向かっているのである。
 まあ、きっとみんな家にいるだろうさ。
 そう自分に言い聞かせながら、僕はいつしかうとうとと船を漕ぎ始めた。あえて当たり前のことを自分に言い聞かせるのは、本当にそう都合良く行くかどうか、心のどこかで不安に思っているからだ。単に家に辿りつけていないだけならばそれでもいいが、もしも自分だけ見捨てられとっくに日本を離れていたりなどという事になっていれば。そうやって疑う事をしたくはないのだ。荒廃している今だからこそ、家族同士の絆は大切にしたい。一片の疑いも持つべきではなく、ただお互いを信頼して出来る限りの事をする。それが家族というものだと僕は思っている。
 こんな馬鹿な事を深刻に考えている自分も、その内ただの笑い事になってしまうだろう。そんな風に僕は自分のことをおかしく笑った。
 その時だった。
「うわっ!?」
 突然、前方へ体が投げ出され顔が座席へと押し付けられる。同時に、アルミ缶を踏み潰した音をそのまま大きくしたような音が前方から聞こえて来た。
 事故だ。
 そう咄嗟に僕は思った。