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 これは何かの悪ふざけだろうか?
 そう疑ってかかってみたものの、このまま無かった事になど到底出来ないインパクトのあるこの文章である。僕はどうにも真相が気になり、更にテキストを調べる事にした。
 まずは一番古い日記から中身を見ていく。その内容は極々ありきたりなもので、これと言って変わったような内容は無かった。誰にでもある教師への不満や勉強への不満、友人同士での諍い等々。少々ネガティブな内容が続いているように思えたが、口に出せない日常の不満をこういう形で表現するのは別に特殊な事でも何でもない。それよりも問題は、何時の頃からあの文章の件について言及が始まるのかだ。
 文章から察するに、明菜さんの弟は小学校六年生、確かに来年度からは中学生だ。趣味は主にインターネットをやっていて、チャットの仲間も何人かいるようである。ただ、どうも諍いが絶えず長く交流を続けている人は一人もいないようである。社交的な性格ではないのかあまりネタも振れず、しかし余計な所に食いついては論争を起こしてしまい、程無くして自分から離れていくパターンが多い。僕のクラスにもこういう奴はいる。何とか人とコミニュケーションを取ろうとするのだが今ひとつ輪の中に溶け込めず、やがて自分から諦めて身を引くのだ。
 キーボードを操作しながらテキストファイルを次々と開いては閉じていく。怪我をしているのは左手であるため、閉じるコマンドを打つのが少々やり辛かったが、ペースが乗ってくるとそれもほとんど気にならなくなった。マウスを使えば負担は減るけれど、単純作業でマウスを使うのは逆に右手に負担がかかって腱鞘炎気味になるからあまり好きではない。
「これだ……」
 やがて、明菜さんの事について言及を始めた日記に辿り着いた。
 その日を境に、日記は明菜さんについて書かれていく事が多くなった。少なくともこの日記の主にとって明菜さんの存在は生活の大半を占めているのだと思う。


 十一月二十日。
 最近姉さんの挙動がおかしいように思う。突然、意味も無くやたら笑うようになった。笑う事に同意を求められたけれど、何だか気持ち悪かったので無視した。もしかするとお酒を飲んでいるのかもしれない。飲み慣れていないからだろう。絡み酒のケもありそうだ。

 十二月四日。
 今日も一人で笑っている姉さんを見つけた。空を見て笑っている。宇宙人と交信しているのだろうか? なんて冗談を考えてみる。多分、何か思い出し笑いをしているんだと思う。確か昨夜、好きな若手芸人がテレビに出ていて喜んでたっけ。

 十二月二十七日。
 姉さんがお正月の料理の準備を始めた。手伝おうとしたのだけれど、いきなり包丁で切りつけられた。男は台所に入るなという事らしい。けれど、包丁で切る事は無いと思う。ショックだ。

 一月五日。
 姉さんは病気だ。どう考えたって普通じゃない。一体どこの世界に、寝ている弟に掃除機を落とす姉がいるのだろう。

 一月十九日。
 姉さんの症状が目に見えて酷くなる。今日もどこかへ出かけたかと思ったら夜まで帰って来なかった。一体どこへ出かけているのだろうか? 症状が症状だけに、不安が募る。

 一月二十五日。
 学校の帰り、近所の笹村さんと逢って話をした。飼っていた猫が死んでしまったそうで大分気落ちしている。ただ気になったのは、猫が死んだのは病気でも事故でもないそうだ。なんでも、血まみれで草むらの中に捨てられていたらしい。
 まさか、と思う。違うと信じたい。

 二月二日。
 明日は節分だと姉さんがはしゃいでいる。練習と言われて鬼の面を被せられた。しかし、投げつけられたのは豆ではなくて石だった。何発か食らって額を切ってかなり血が出た。姉さんはそんな僕を見て笑っている。明らかにどうかしている。

 二月十日。
 もう我慢出来ない。近所の誰かに相談しようと思う。こういう事は自治会長の奥塚さんがいいだろう。僕達姉弟を一番親身になって看てくれてる人だ。

 二月十一日。
 してやられた。僕が訪ねて行ったところ、既に姉さんが奥塚さんの所にいて楽しげに談笑している。先回りされたようだ。
 こちらから切り出しにくい空気である。姉さんの事は諦めざるを得なかった。
 驚くのは姉さんだ。僕と接する時とはまるで別人だ。羊の皮を被っている。でも、僕を見る目は普段の血走ったあの目だ。表と裏の顔を上手に使い分けているのだ。
 悪魔め。

 二月二十五日。
 学校で擁護教員の藤盛先生に相談する。しかし、まともに取り合ってくれなかった。そんな事をするはずがないと、まったく僕の話を信じてくれなかった。僕が感じているのは、思春期に良くある価値観のずれだそうだ。僕が大人になるためのステップらしい。
 確か姉さんが小学生の頃、担任だったのがこの藤盛先生だった。姉さんは優等生で先生にはよく可愛がられていたという。その反面、僕は一年に一枚は学校のガラスを割るような問題児だ。初めから僕の言う事なんて信じていないだろう。
 ここでも僕は先回りをされてしまったのだろうか。どちらにしても、姉さんをどうにかしてはくれそうにない。

 三月三日。
 色々な事があって、色々な事を考えた。その末に、僕は覚悟を決めた。
 姉さんがおかしくなったのは、お父さんとお母さんが一度にいなくなってしまったせいだと思う。更に僕を養わなければという重圧から心を病んでしまったのだ。
 姉さんを追い詰めたのには僕にも原因がある。だから僕は、何かが出来る訳ではないけれど、せめて最後まで一緒にいてあげようと思う。この世でたった二人の家族なんだから。お父さんもお母さんもきっとそれを望んでいるはずだ。

 三月十三日。
 姉さんの行動パターンをまとめてみようと思ったが、論理性があるようで無く、かなり難航しそうだ。分裂症についてもう少し勉強してみようと思う。
 姉さんはどうしてか僕に対して非常に攻撃的だ。殺意すら感じる時がある。けれど世間体だけは完璧に取り繕っていて、見事に僕のことを表に出していない。まるでサイコパスだ。どうにかして僕を誰にも知られずにじわじわと痛めつけたいようである。サディスティックだ。
 唯一の救いは、その攻撃性が僕にしか向いていないという事だ。僕は姉さんを犯罪者にはしたくない。

 四月二日。
 今日から六年生だ。クラス替えもあって、嫌いだった井上の馬鹿と別れる事が出来た。けれど気持ちは相変わらず晴れない。
 姉さんは相変わらずで、少しも症状は改善しない。むしろ悪化すらしている。善悪の二極化。まるでジキルとハイドだ。
 今日も姉さんは狂っている。さっきは包丁を握り締めて僕を追いかけてきた。僕の方が足が速いので何とか逃げ切れた。けれど、もしも怪我なんかしていて走れなかったら。想像するだけで恐ろしくなる。


 ふと僕は自分が先程から夢中になって読みふけっていた事に気が付き、俄かに我に帰った。
 これは……誰の日記だ? 本当に日記なのか? 事実を記述したものなのか? 何かの作り話じゃないのか? ラジオの投稿とかさ。
 彼の日記の中に登場する明菜さんは、とても正常な精神状態とは思えなかった。明らかに気を違えている。しかし、あまりに鬼気迫る文調からはとても嘘や冗談といった悪ふざけを書いているようには見えない。本当に彼の身に起こった事をありのままに綴っているとしか思えないのだ。
 本当にこの明菜さんはあの明菜さんなのだろうか?
 その答えを見つけるためにも、僕は更に続きを読んだ。


 五月十七日。
 今月に入って五回目の百十番通報。けれどお巡りさんが一人、三十分もしてからのんびりとやってきた。姉さんは相変わらずで、お巡りさんには巧妙に事情を説明をした。姉さんは包丁を持って僕を追いかけてきたのだけれど、何故か僕がかんしゃくを起こして暴れた事になっていた。お巡りさんは僕に説教して帰って行った。
 警察はもう当てに出来ない。幾ら呼んだところで姉さんはころりと態度を変える。あの二面性、本当に恐ろしい。みんなあの善良な顔にことごとく騙されている。でも、僕は騙されない。姉さんの真実の姿を知っているからだ。いや、騙されようが無い。僕は裏の顔の被害者なのだから。

 六月十一日。
 またしても姉さんにやられた。玄関で靴を履こうとした所を後ろから突き飛ばされた。扉に頭から突っ込んで額を少し切る怪我をしたが、それ以上にまずいのは足を捻挫してしまった事だ。まるで常時万力で締め付けられているかのような圧迫感と、骨の中心に電気を流しているような鋭利な痛みが歩くたびに襲い掛かる。これで、僕はもう走って逃げられなくなった。いざとなったら痛みなんて無視出来るだろうけれど、足そのものが使えなくなったら、その時は覚悟しなくてはならない。

 六月十九日。
 姉さんの陰湿なやり口はずっと続いている。また怪我をした足を力いっぱい踏みつけられた。これでまた完治が遅れる。
 どうやら姉さんは僕を殺そうとしているというよりも、ただ痛めつけて楽しみたいだけのようである。それでも、こんな調子が続いたらいつかは本当に殺されてしまう。僕は姉さんと一緒にいると覚悟を決めたけど、もう駄目だ。限界だ。こんな風に悲惨な扱いを受けてまで生きるのは辛い。これ以上は姉さんといられない。いたくない。
 助けて。誰か、助けて。


 不意に僕の足がずきりと疼いた。昼間、足を滑らせて地面に落ち、その拍子に再度捻挫してしまった右足首。そういえばあの時、よくよく思い出してみると僕は明菜さんに引っ張られなかっただろうか? 明菜さんは僕を怪我させて動けなくするためにしたのではないだろうか?


 六月二十四日。
 夜になると姉さんが包丁を研ぐようになった。僕が足を怪我して逃げられないのをいい事に、そろそろ本格的に切りつけるつもりだ。いや、今度こそ本当に刺されるかもしれない。
 このままでは、僕は姉さんに殺される。
 僕は姉さんが好きだ。でも、死ぬのは怖い。死にたくはない。

 七月七日。
 どうか、殺さないで。


 それが最後の日記だった。
 およそ半年ほど前、この日まで明菜さんの弟は確かにここに実在していた。しかし、その後の行方はどうなったのだろうか?
 思い返せば、明菜さんは弟の事についてはずっとはぐらかし続けて一度もまともに答えていない。そして、この日記の内容によると彼は明菜さんから日常的に虐待を受けていたという。
 もしもこの日記が本当に事実だとしたら、彼はこの日記を書いた後にこの世の人では無くなったのではないだろうか。そう、つまりは明菜さんが手にかけてしまったと、そういう事だ。そして明菜さんは、まさか自分が殺したとは言えないから、僕に訊ねられてもあんな風にはぐらかし続ける。
 ただの推測ではあるが、確かにこれで辻褄は合う。後は裏づけとなる証拠だ。
 僕は念のため日記のファイルをアーカイブし自前のSDカードへ落とす。それからパソコンの電源を落とし、まずは手がかりを探るべくパソコンの入っていた引き出しを覗いて見た。電気をつけていないためよくは見えなかったが、何か白っぽい箱が奥の方に押し込まれているのを見つけた。そっと手を伸ばし、形や触感を確かめながらそっと持ち上げて取り出す。それはADSL回線用のルータタイプのモデムだった。無線機能もついているようで小さな指向性アンテナが上部に取り付けられている。このパソコンには無線LAN機能がついているから、彼はこのルータモデムを使ってネットワークを構築しインターネットに繋いでいたと思っていいだろう。どのぐらいの有効範囲があるルータかは分からないが、茶の間に設置しておけばこの部屋でも十分ネットには繋がるだろう。
 まずはこれで一つ、明菜さんの嘘が証明された事になる。明菜さんは確かにこの家にはネットの類は無いと答えた。自分はインターネットは見ない、と。
 単に明菜さんが機械に疎いのであれば、モデムやルータが分からなくても仕方が無い。けれど、この機器が何のためのものかも全く分からないというのはおかしい。毎月お金を払うのだから、多少なりともこれが何であるかは把握していて当然なのだ。だから明菜さんがネット環境の有無に嘘をついた事になる。問われていないからという理由で片付けるにはあまりに不自然だ。
 もう少し調べてみよう。これが実際に使われていたものであれば、電話周りにその形跡が残っているはずだ。もしかすると、この疑惑は確信になるかもしれない。
 俄かに訪れた冷え込むような緊張に、僕は自分を落ち着けるためぎゅっと怪我をしていない右手を握り締める。足の痛みに歯を食い縛りながら机を伝ってに立ち上がると、そっと音を立てぬよう静かに障子を開けて部屋を後にした。