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 茶の間に戻った僕は、全身から溢れ出す緊張感に気をつけながら今朝と同じように不貞腐れた態度で寝転がった。それから程無くして、玄関の開く音が聞こえて来た。入って来たのはやはり明菜さんである。姿が見えないと思っていたが、どうやらどこかへ出かけていたようである。
「ただいま。って、もう。雄太君、いい加減に起きなさいよ。若者がだらしないわ」
「若者だけど怪我人ですから。怪我人はおとなしくしているものだと教えられて育ちました。うちの家庭教育は異常なのでしょうか?」
「雄太君の御両親もきっと、雄太君みたいに理屈っぽいんでしょうね」
 普段通りの態度で接してくる明菜さんに対し僕も普段通りに振舞えるかどうか不安だったが、案外うまく言い返す事が出来た。案ずるよりも産むが易しを地で行った気分である。
 明菜さんの服装は飾り気の無い地味な普段着のままだった。出かけたと言ってもおそらく近所だろうが、明菜さんの事だからもっと遠出していた可能性もありそうである。
「どこか出かけていたんですか?」
「ちょっとそこまで、散歩してたの。雄太君が一緒に来てくれないから一人で」
「だから、僕は怪我人ですよ。怪我人に歩けと?」
「あら、おんぶしてあげてもいいわよ?」
「心底御免です」
 酷いわね、と微苦笑を浮かべる明菜さんに僕は軽く肩をすぼめて眉をしかめて見せた。普段の僕ならこんな仕草を取るだろうと思って取ったポーズだが、自分が取るであろう行動を予測して真似するというのは実に奇妙な感覚である。
 明菜さんは散歩と言ったものの、言葉通りまともに受けるべきではないと思う。僕を追い詰めるための何らかの準備をしていたと考えても、決して不自然ではないだろう。ただ、具体的にどんな準備をして来たのかは随分と限られてくる。この現状では、弟の日記にあったような近所の人間への根回しは不要だろう。もしかすると、大胆にも家の周りに落とし穴のような罠を設置しているかもしれない。今夜逃げ出す時は、家の外へ出ても慌てず慎重に歩かなければならないだろう。
「さて、十時も過ぎたからお茶にしましょう。実はヨックモックのクッキーがあるの」
 そう言って明菜さんはうきうきしながら台所へ入っていった。正直何がそんなに嬉しいのか分からないが、そういうキャラクターを決めて振舞っているのだから大した理由はないのだろう。
 それにしても。幾ら演技とは言っても、あんな明るく笑える人が残虐な手口で肉親を死に至らしめられるものなのだろうか? もしもそれが可能な人が存在するとするならば、それこそが正真正銘の悪そのものである。とあるアメリカの凶悪な連続殺人事件の犯人は、同じ街に住む人達は一人として犯人だと思っていなかったそうだ。明るい笑顔で分け隔てなく接し、週末は教会へ行った後にボランティア活動もしていたというその犯人。唯一家族だけが犯人ではないかと疑った所から事件が発覚したけれど、もしも犯人が真っ先に家族を手にかけていればおそらく一生逮捕される事は無かったかもしれない。
 明菜さんはまさにこの犯人と同じだ。対外的には善人で通るような人は、多少おかしな事をしても決して疑われない。弟もそれが原因で誰にも相談出来ず孤立し、明菜さんに体良くやられてしまった。そして僕が置かれている状況も、孤立無援という意味ではほぼ同じだ。ただし僕には、明菜さんが本性を完全に現すよりに先に、明菜さんの本性に気付く事が出来たというイニシアチブがある。このままただ待っていても殺される他の道は無い。僕には唯一、明菜さんが本性を現す前にこっそりと逃げ出すという選択肢がある。そこに賭けるのだ。文字通り、自分の命そのものを。
 台所からはお湯を沸かす音が聞こえて来た。明菜さんはいつものように紅茶を淹れている。調子外れの下手な鼻歌もいつも通りだ。こっそりと台所を覗いてみたが、明菜さんにはこれと言って不審な仕草は見受けられなかった。考えてみれば、弟の日記には毒を盛るといった記述は無かった。やる時は直接手を下す事を美学にでもしているのだろうか。さすがに砒素や青酸カリなんて過激な毒物を手に入れる事は出来ないだろうけど、どこのホームセンターでも売っているような農薬やパイプ洗剤でもかなりの苦痛は与えられると聞いた事がある。死に至らなくとも、しばらくはまともに動けないダメージを負えば、それでもう僕にとっては死も同然だ。
 明菜さんが不審な行動を取らないと確認した僕は、何となく手持ち無沙汰になりテレビをつけてみた。ブラウン管に表示されたのは、引き続き人名とメッセージをひたすら繰り返す伝言放送だった。停滞感すら覚えるこの状況は、相変わらず今日も続いているようだ。
 僕はこれまで、奈落に飲み込まれようとしているせいで日本がおかしくなってしまった実感はほとんど無かった。けれど、成田空港での爆弾テロや夜行バスでの一連の出来事、そしてパソコンの中にあった明菜さんの本性、こうも立て続けに異常性を見せ付けられては実感が無いとか言っている場合ではなく自覚しなければならないと思い直させられる。
 余命幾許も無い日本、それをさながらタイタニックの悲劇に見立てて煽り立てるマスコミがようやく己の馬鹿さ加減に気付いた時は誰も見向きもしなくなっていた。政治家達はもはや次の選挙も党のメンツも無視し、ただただ開き直ったように言わなくてもい事実を堂々と国民へ打ち明ける。真っ先に海外へ逃亡する芸能人に著名人、けれど中には日本への愛国心を見せるとかの建前であえて日本に留まるというパフォーマンスをするのもいる。街中は最低だ。ホームでの負け試合を見せられたサポーターがフーリガンと化して破壊活動を行うような事は起こらなかったけれど、店という店が一斉に営業を放棄し忽然と人間だけが消えてしまい殺伐とした光景に変わり果ててしまった。こんな状況で外を出歩くのは、暴徒気取りか心をやられた人だけである。SF映画、それも退廃的未来をそのまま再現したような、悪夢の光景だ。
 もう日本は駄目だ。どうしようもない所まで壊れてしまった。焼け野原からでも復興した日本人だけど、世界そのものの滅亡にはさすがにどうしようもない。するのは生への悔いを残さぬよう逃避とリビドーの解放だけで、奈落を克服しようと団結する意思もなく、ただ終末思想という破滅的な状況に陶酔するだけ。つまるところ、受け入れる側も立ち向かう側も共通して終末へ諦観しているのだ。宇宙に脱出しても定住する技術はまだ無い。世界の崩壊が止まらなければ死は必定、だからせめて死ぬ前に思い残す事が無いようにと狂騒する。要は性悪説が真理だったという事で、それが急速に世界を荒廃させているものの正体だ。
 テレビに映し出される文字をボーっと追っていた僕は、ふとある事に気が付いた。映し出されてる文面が同じ内容を繰り返している。二十前後の文面を何度もループさせ、あたかも幾つもの投稿を放送しているように見せかけているのだ。気が付くと僕はテレビを消していた。もうテレビ局も終わったのか。別段、マスコミに思い入れがある訳でもない。むしろ、毒しか流せないのなら潰れてしまえばいいとすら思っていた。けれど、今はただこうなってしまった事が酷く残念だった。
 本当に日本は亡国となってしまうのか。
 僕には日本なんて括りはそれほど重要ではない。僕にとって大事な単位は家族だ。そういう繋がり、密接なコミュニティ。最もそれが重要だ。けど、亡国の現実はこれまでに悩ました事の無い種類の苦悩を僕へとぶつけてきた。自分が何に苦悩するのか理解が出来なかった。だからそれは感情論なんだと、他人事のようにそう思う。親日教育と半日教育とをまぜこぜに受けて育った僕が、国への感情論を展開するのは滑稽だ。だけど、国を失うという事は、そういう事としか言い様がないのだ。
 退屈に溢れた日常が、国ごと消えてしまう。狭心症とはこういうものなのだろうか、自分の置かれた状況を改めて思うと胸が強く痛みを伴って軋んだ。