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 涼やかな五月の風も、その晩ばかりはねっとりと絡みつくような生温い吐息のようだった。
 時刻は夜八つと半。江戸の町はひっそりと静まり返り、どの家も厳重に門戸を閉め切っている。この時分に起きているのは見回り方ぐらいのものだったが、今宵ばかりは雰囲気が違う。
 大通りを十人ほどの組で巡回するのは藍色の甲冑をまとった侍だった。いずれも腰の刀だけでなく、穂を剥き出しにした素槍を携えている。それはまるで戦場への行軍そのものの姿だった。夜半過ぎの警備とは言え、治安の良い江戸にとってはあまりに過剰である。だが、今の江戸にはこれだけの仰々しさが必要になる異変が起こっていた。侍達の足元を吹き抜けた生温い風はまさにその一端である。
 突然、町角にある物見櫓に備えられたから半鐘が鳴り始めた。その音はたちまち各所の半鐘へ伝わって行き、けたたましい音が波紋を広げて行く。
「妖魔だ! 妖魔が来たぞ! 城へ向かえ!」
 各所から聞こえてくる叫び声。たちまち侍達は色めき立って駆け出した。
 町中を警邏する侍達は一斉に同じ方へ向かってひた走る。彼らの向かうその先には、華やかな江戸の町の象徴とも言うべき天下の江戸城がそびえていた。だがその江戸城には、まるで流れ星のような無数の光が夜空から降り注いでいる。流星群と呼ぶにはあまりに禍々しい、斑に輝く異様なその光群。明らかにただの自然現象とは違う、得体の知れない何者かの存在を仄めかすような、そんな光景だった。