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 戦模様は程無く混戦を迎えた。
「退くな! 陣形を整えよ!」
 兵頭の指揮は虚しく響くばかりだった。既にほとんどの兵が陣形はおろか自分の居場所すら分からなくなっている。それほど戦況は混沌としていた。陣形を崩し孤立した兵を狙い、組織戦術を徹底する妖魔の兵が一斉に襲い掛かっては討ち取る。これまでの妖魔は片っ端から襲い掛かっては食い千切るといった原始的な戦いだったのだが、此度の妖魔軍は見るからに異なる戦い方を繰り広げていた。その装いはどれも侍と同じ黄金色の具足、腰には大小の刀を差し、手には素槍を構えている。侍達と同じように武装した妖魔の兵は、兵法を心得ているかのように常に一定人数での徒党を組んでは自分達よりも少ない人数の侍へ襲い掛かっている。戦術としては極初歩的なものではあるものの、これほどの数が一斉に用いるのであればそれだけでも十分脅威である。
 兵法を用いた集団戦術と幾ら倒しても減る事の無い圧倒的な物量。一体どれだけ倒せばいいのか皆目見当もつかない相手は否が応にも精神力を削られる。榊原隊も鳥居隊も時間と共にじりじりと押し込まれ始めていた。混戦に持ち込まれては数で劣る侍達の方が不利、そしてそれを覆すほどの統率力と経験は、太平の世に生まれた仁之介も清兵衛も持ち合わせてはいない。
 もはや大将自らが先頭に立ち進軍するしかないのか。だが、万が一ここで討ち取られるような事があったら、その時点で正門は突破されたも同然になる。かと言ってこのままではじわじわと兵をあたら失うのみ。共に決断を迫られていた、その時だった。突如空気を打つような破裂音が一斉に鳴り響いたかと思うと、数十にも及ぶ妖魔の雑兵が一度に倒れた。
「井伊が鉄砲隊の威力を見たか! 往くぞ、全軍我に続け!」
 突如現れた赤備えの軍勢は井伊隊だった。大将自ら最前線に立ち、指揮もそこそこに敵軍へ切り込んでいく様はまさしく圧巻である。
 井伊隊は妖魔軍の横腹を狙い突撃を敢行、そのまま力ずくで分担するかのように強引な突破を試みた。井伊隊の戦ぶりは鬼に例えられるほど苛烈な事で有名である。自ら先陣を切る蒼十朗は身の丈ほどもある斬馬刀を振り回し、御前試合で見せた物静かな顔とは似ても似付かぬ別人のようだった。血の気の多い大将に率いられる兵もまた士気が高揚しない訳が無い。まさに井伊隊全てが鬼のようにいきり立っては散々に暴れ回り、強引に妖魔軍を真横に切り裂いて突破した。
「今だ! 妖魔共を押し潰せ!」
 井伊隊のあっという間の突破に煽られ、榊原と鳥居の部隊が好機とばかりに一斉に進軍する。井伊隊によって孤立させられた妖魔軍の前衛は、榊原と鳥居の両部隊による突撃を真っ向から受けて瞬く間に押し潰されてしまった。
 妖魔軍にもようやく前進を中断する動きが見え始める。泥沼の消耗戦よりも、一進一退の長期戦にもつれ込んだ方が時間も稼げ無駄に兵を失わなくて済む。旗本にしてみればむしろ望む所である。
 だが、
「む、あれは……」
 ふと蒼十朗は妖魔の群れの遥か彼方に、妖魔の武将を発見した。
「全軍、井伊に続け! 井伊蒼十朗が大将首を獲るぞ!」
 守備陣形に移っていた仁之介達に構わず、蒼十朗は手勢を引き連れ再び妖魔軍へ突撃していった。
「いかん、出過ぎだ! あれでは井伊が孤立してしまう!」
「井伊殿は我が鳥居にお任せあれ! 榊原殿は正門の守りを!」
「承知仕った!」
 井伊蒼十朗は、代々血気盛んな井伊家の血筋を忠実に受け継いだ猛将である。本多勝往が武勇のみならず戦術や大局を見定める目に優れているのに比べ、蒼十朗は戦功しか頭に無く目先の機に囚われ易い傾向にあった。そのため井伊家当主は代々刀傷や矢を受けて死去している。蒼十朗が非常に若くして井伊家の当主となったのも、先代が野盗討伐の際に先駆けて受けた矢に毒が塗られていて死去したためである。
「蒼十朗殿! 出過ぎですぞ! 功を焦ってはなりませぬ!」
 すぐさま井伊隊の後を追う清兵衛だったが、蒼十朗は見向きもするどころか狂喜すら振り撒きながら妖魔軍を切り裂いていく。驚くべき強さではあるが、戦況を見ない猪武者が勝てるほど戦は簡単なものではない。
「ほう、囲まれたか」
 気が付くと蒼十朗は鳥居諸共に妖魔軍に囲まれていた。見る間に緊張感で表情を強張らせる清兵衛。しかし蒼十朗はさもない仕草で、むしろ笑みすら浮かべる豪胆さを見せつけた。
「蒼十朗殿、反転し榊原と合流いたしましょう」
「それには及ばぬよ、清兵衛殿。このまま、この井伊蒼十朗が片っ端から妖魔共の首を刎ねてくれる」
 戦の興奮に当てられた蒼十朗は清兵衛の言葉に耳を貸さず、再び前進を開始した。井伊家臣団も誰一人として反転する者はいない。ここで反転し安全策を図るような家臣はとうに全て失ってしまっているからだ。
「ハッ、この井伊蒼十朗が討ち取った!」
 闇雲に切り込んでいく蒼十朗は、振り回した斬馬刀の勢いも余り雑兵ごと妖魔の武将をあっさり討ち取ってしまった。単騎駆けも辞さない無謀な突進は恐れ知らずにも程があるものの、それでいながら妖魔を蹴散らせる圧倒的な強さは常人を一回りも二回りも逸している。蒼十朗にとっては如何な智謀策略も意味を成さないのではとさえ思わされる。
「な、なんだあれは!?」
 井伊隊が妖魔を圧倒し続けるそんな中、周囲の兵が突如うろたえ騒ぎ始めた。浮き足立つ兵を抑え清兵衛は異変の先へ目を向ける。
「な……」
 それを見た清兵衛もまた、周囲と同様に驚きを露にした。そこに居たのは身の丈は二丈五尺はあろうかという巨大な妖魔だった。具足はつけていないものの、獣のような輪郭に長い四肢がついたその姿は雑兵よりも際立った異形である。
「化物め……!」
 同じように巨大妖魔を見やる蒼十朗も苦々しく吐き捨てる。しかしそんな態度とは裏腹に、蒼十朗の顔には満面の笑みが浮かんでいた。