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 戦況は悪化の一途である。
「化物め、楽しませてくれる」
 そう不敵に笑う蒼十朗だったが、既に井伊隊の兵の半数近くは敗走していた。鳥居隊も妖魔から包囲を受けほぼ壊滅に近い。
 二丈五尺の巨大妖魔は、その大きさに見合った緩慢な動きで正門を目指していた。対する井伊鳥居の両部隊は何とか行く手を阻もうと立ちはだかるものの、討ち取るどころか妖魔の雑兵に押され止める事すら出来なかった。時間と共に兵を着実に失いつつある。そう清兵衛は危機感を募らせていた。
「撃てーッ!」
 井伊の鉄砲隊が巨大妖魔へ向け一斉に射撃を試みる。しかしその規格外の巨体に鉛弾は蚊が刺したほどの衝撃しか与えられず、足止めにすらならなかった。巨大妖魔はおもむろに左拳を振り上げ、そのまま鉄砲隊へ振り下ろす。大筒にも似た盛大な爆発音の後、逃げ送れた数名が陥没した土の下で変わり果てた身を晒した。
 体格差があまりに圧倒的で戦うどころではない。どれだけ優れた武器を使おうと、この大きな差は到底埋められそうに無い。鉄砲でも足止めが出来ないと知るや否や兵達には動揺が走った。一度退いて体勢を立て直すか、身を捨て武士の意地を見せるか、そんな算段さえ始めるようになる。
「鉄砲ではどうにもならぬか。やはり戦は肉同士のぶつかりあいで無くてはな!」
 しかし、唯一蒼十朗だけは嬉々として暴れまわっていた。これだけの劣勢にも関わらず、むしろ昂ぶってさえいる。戦を楽しむのが井伊の血筋、彼の戦についていけぬ者は既に眼中には無い。
 蒼十朗は自分を取り巻く雑兵を粗方片付けてしまうと、斬馬刀を振りかざし巨大妖魔へ単身向かっていった。奇声をあげながら向かってくる蒼十朗に巨大妖魔は振り向くと、ゆらりと右拳を振り上げ繰り出す。しかし蒼十朗は、地面を深々とえぐるほどの威力を持ったその拳を斬馬刀の腹で受け止めてしまう。
「流石は化物よ。人間とは訳が違う」
 にやりと不敵な笑みを浮かべるや否や、蒼十朗の斬馬刀が閃いた。巨大妖魔の右拳が一瞬で真っ二つに割られ、真っ赤な血飛沫が吹き上がる。
「ほう、此度の化物は血が赤いのか」
 妖魔の返り血を浴びながら尚も笑う蒼十朗は、更に攻勢を強め巨大妖魔を攻め立てる。もはや他の者が入り込む余地の無い、蒼十朗と巨大妖魔との一騎討ちに等しい構図である。しかし妖魔の雑兵は進軍を緩めてはおらず、刻一刻と数を増やしていく。既にほとんどの兵を失った清兵衛は渋い表情で残った兵を見やる。蒼十朗はあの巨大妖魔に取り憑かれたように戦っているため、もはや指揮も出来ぬだろう。鳥居隊も井伊隊も総崩れ、後は榊原隊と合流し援軍を要請しつつ乗り切るしか無い。
「全軍、撤退だ! 榊原隊と合流するぞ、一旦退け!」
 蒼十朗を見限った清兵衛は、全兵に指示を出した後反転する。兵は堰を切ったように次々とこの場から離脱を始めた。
 これまで戦って来た妖魔には、確かに人間から遥かにかけ離れた形状の妖魔は存在した。しかし、これほどまで常識の範疇から逸脱した妖魔は見た事が無い。如何なる古今の武士とて、遥か頭上から見下ろしてくるような敵と戦った事は無いだろう。大筒ならば同程度の戦力に換算出来るだろうが、あの巨大妖魔は大筒とは違って指揮者を討ち取れば止まるような代物ではない。そもそも、刀や槍はあくまで人間を相手にする事を前提に作られた武器であり、妖魔を討ち取るためには作られていないのだ。
 榊原隊の元まで戻って来た清兵衛と鳥居隊。戻って来れた兵は当初の半数にも満たなかった。井伊隊は更に悲惨な状況ではあったが、嬉々として巨大妖魔と戦う蒼十朗へ律儀に付き従い留まった者は数多くいる。
「清兵衛殿、蒼十朗殿は如何なされた!?」
「駄目じゃ、あの通り人の声に耳も貸さぬわ。それより狂次殿に連絡を取り、兵力を正門に集めねばならぬ。巨大な妖魔が現れ我らの手には負えぬと」
「巨大とな……む? 清兵衛殿、あれはまさか」
 仁之介が指差す方を振り向く清兵衛。そこにはあの巨大妖魔がゆらりと進んでくる姿があった。
 まさか蒼十朗は妖魔に敗れたのか?
 そう思った清兵衛だったが、次の瞬間には更に最悪の状況に置かれた事を認識させられた。
 巨大妖魔の背後から、更に同じ巨大妖魔が二体も姿を現したのである。