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 戦術を用いるようになったとは言え、妖魔の兵は個々の戦力が侍よりも遥かに劣る。後は圧倒的な物量差を埋める戦術を展開すれば、自ずと戦況は盛り返す事が出来た。
 正門を挟んだそこが最終的な防衛線となった。榊原隊と本多隊が先行して妖魔の迎撃に当たる中、酒井狂次の指揮により平岩隊と大久保隊、更に酒井家鉄砲隊が後詰で参戦、妖魔軍は次々と打ち破られていく。しかし、それでも未だ戦況の流れは完全に徳川方へ向いた訳ではない。
「さて、あれは如何したものか」
 眉間に皺を寄せ首を傾げる仁之介の視線の先には、各部隊が相変わらず苦戦を強いられている巨躯の妖魔が三体。遂には城壁を乗り越え、本丸御殿を目指し塀を乗り越えようとするものの、侍達の攻勢に遭って進む事が出来ずにいる。何とか此処で食い止めてはいるものの、いつまでもこうしている訳にはいかない。仁之介達は巨大妖魔達を前に手を拱いていた。
「首を落とす以外、他あるまい。往くぞ!」
 雑兵はほぼ一掃した勝往は、更に士気を昂らせて大槍を構え叫ぶ。
「しかし、首を落として死ぬのであろうか? 拙者、以前はそれで不覚を取ってしまった故」
 妖魔は人間と根本的に構造が異なる。首を落としても即死する訳ではない。
 と、
「首を落としても死ななければ、動けなくなるまで切り刻んでやれば宜しかろう!」
 正門の外からそう叫ぶ声が聞こえて来る。振り返るとそこには蒼十朗の姿があった。右手で斬馬刀を肩へ担ぎ、驚く事に左手にはあの巨大妖魔の首を引き摺っている。
「蒼十朗殿、まさか御一人で討ち取られたか?」
「然り。久々に良い敵であったわ。しかし、首を落とすだけで終わりとは思ったほど頑丈ではないぞ」
 全身に返り血を浴びた蒼十朗は白い歯を見せながら不敵に笑った。徳川四傑の中でも最年少の当主である蒼十朗は、普段は歳相応の分を弁えて振舞う非常に落ち着いた人物である。だが模擬戦でもない本当の戦に出ると、興奮のあまり突然と変貌してしまう事がある。それがまさに今の蒼十朗である。一度変貌してしまうと戦が終わるまで鎮まる事は無く、ただひたすら己の戦功のためだけに戦場を縦横無尽に駆け巡るのだ。戦国時代の井伊家の当主も同じく気性が激しかったものと伝えられており、これは単に血統としか言いようが無い。
「さあ、お二方。あすこにも戦功首が転がっていますぞ。さあ、さあ!」
 蒼十朗は左手の首を放り捨て、嬉々として妖魔へ向かっていった。一人で巨大妖魔を討ち取ったならば、かなり疲弊していてもおかしくはないはず。しかし奇声を発しながら駆ける蒼十朗は、まるで無尽蔵に精力を蓄えているのかとさえ思えてくる。
「井伊の赤鬼、太平の世にも眠らぬか」
「致し方なし、我らも参りましょうぞ。どの道、避けられぬ故」
 二人は蒼十朗を追うように巨大妖魔達へ攻勢をかけた。遂に動き出した三人の譜代大名に、周囲からはどよめきと歓声が上がる。
 真っ先に仕掛けたのは先行する蒼十朗だった。
 蒼十朗は侍の攻勢で立ち止まる巨大妖魔の無防備な背へ足をかけ、半ば駆け上がるようにして肩先まで跳び上がった。そのまま落下の勢いで巨大妖魔の背へ斬馬刀を突き刺すと、自分の体重を加え一気に股下まで切り裂く。いきなり背中をえぐられたことで巨大妖魔はうめき声をあげながら背をのけ反らせた。
 続いて勝往は大槍を横一文字に振り抜いた。その豪快な一撃で妖魔の右足が膝下から吹き飛ぶ。足を失った妖魔は体を支えられず、右半身から地面へ倒れて行く。だが巨大妖魔は咄嗟に右手を地面へつくと、左拳を振り上げて反撃を試みた。
 それとほぼ同時に仁之介が妖魔の右腕を駆け上がった。妖魔の右肩から宙へ躍り出た仁之介は、そのまま妖魔の左腕に神速の剣を繰り出す。振り上げた妖魔の左拳は振り下ろすよりも先に肘から先が地面へ落ち、勢いだけですっぽ抜ける。続け様に仁之介はもう一度剣を繰り出す。今度は上体を支えている右腕が肩から落ちた。
 体の支えを失い地面へ転がる巨大妖魔。すかさず勝往は右足を吹き飛ばした大槍の返す刃で無防備な妖魔の首を一撃で胴体より切り離す。
「討ち取ったりッ!」
 兵達が次々と歓声をあげる。あれだけ苦戦を強いられていたはずの妖魔を瞬く間に討ち取ってしまった三人に歓喜が渦巻く。
「次だ!」
 だが、一人異様な興奮を見せる蒼十朗は喜びも満足もする事なく、ただ飢えた獣のような表情で斬馬刀を振りかざし、次の妖魔へ向かって行った。
「我らも遅れるな!」
 不意に兵のどこからかそんな声があがった。今の出来事に活気づいた兵達は、あの妖魔は少なくとも人間の手には負えないものではない、という確信を得た。彼ら徳川四傑は始めから別格だったとしても、決して死なない妖魔ではない。それが兵達の士気を高める。
 これにより戦況はほぼ徳川へ傾いた。そう仁之介は確信した。そうなると次の問題は具体的な武功である。これまで榊原家として名立たる武功を挙げるどころか、醜態ばかりを晒している。醜態も何度も続けば減封も免れない。榊原家のためにも、此処は大きな武功を一つでもあげなければならない。
「進め、榊原の名を世に轟かせるのだ!」
 僅かに残った手勢に向かって叫ぶ仁之介。すると予想よりも遥かに大きな声が返って来た。兵の士気の高さが如実に現れている。戦力は足りなくとも士気は充分。そう判断した仁之介は手勢を引き連れ、残りの妖魔の掃討に活気づいた兵達の先陣を切った。