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 西の丸は特に激戦となっていた。
 これまで妖魔は正門からのみの進軍を繰り返してきたが、今宵ばかりは総力戦という事でこれまでとは比べ物にならないほどの兵を率いているためか、様々な方向から多角的な攻城を仕掛けているようである。しかしそれは全て狂次の読み通りであった。
 西の丸は御三家の一つである水戸徳川を初めとする徳川家の要人が多く住む区域であるためか、正門よりも遥かに多くの妖魔が押し寄せていた。名立たる要人はあらかじめ城内へ避難させ、本多軍をあえて正門ではなく西の丸へ配置した事も狂次の指示である。西の丸が最も敵兵が集中するであろうという読みはこうして見事に的中した。
「ふんっ!」
 勝往は大槍を大きく横へ払い、その一振りで何十匹という妖魔を蹴散らす。既に七度目の戦となる勝往にとって、妖魔の雑兵など踏めば拉げる雑草程度でしかなかった。稀に遭遇する具足をまとった武将級の妖魔にしても、どのような妖力を使われようと勝往は武力にて圧倒してしまう。徳川家臣団の中でも名実共に最強である勝往はまさに敵無しであった。本多軍は倍近い妖魔軍を相手にしているにも関わらず士気が全く衰えないのは、自ら先陣を切って戦う勝往の圧倒的な存在感があるためである。
 兵の士気は未だ高いままであるが、妖魔も一向に勢いを弱める気配は無い。西の丸の入り口となる坂下門は早々に大量に群れた妖魔の重量にて倒潰されてしまったものの、西の丸にも大神実命の札が張り巡らされているため、此処で戦うならば負けはほぼ無い。しかし、それはあくまでこの戦況が延々と続いたならばの話である。白牙が総力戦と仄めかしている以上、このままで済むという事は有り得ない。必ずどこかで白牙は戦に介入して来る。その時にどれだけ白牙を抑える事が出来るのかが重要である。それが出来なければ、前の戦と同じ事を繰り返してしまう。何にせよ、とにかく今は目の前の妖魔を食い止めるしか他は無い。
 本多軍の猛攻は、むしろ攻め入ってくる妖魔軍を押し返していた。幾ら死を恐れぬ妖魔であろうと武力の差は圧倒的である。その上、大神実命の加護により体を焼かれていては本多軍に敵うはずも無い。遂には坂下門があった場所まで本多軍はほぼ制圧してしまう。
 その時だった。不意に城壁の外へ白い稲妻が落ちた。瞬く間に本多軍には緊張が走る。白い稲妻と言えば、前の戦ではたった一人で江戸城内まで押し入った白牙の象徴であるからである。
「鎮まれ! ここで浮き足立っては敵の思う壺ぞ!」
 勝往の大喝が雷鳴の如く響き渡る。兵は俄かに落ち着きを取り戻すものの、白い稲妻の行方が分からなければ不安を拭う事は出来ない。
 兵が士気を失う前に流れを戻さなければならない。すぐさま勝往は数名の手勢を引き連れると、城壁の崩れた部分を乗り越え稲妻の落ちた方へ向かった。
「あれか……!」
 そこには白装束をまとった一人の妖魔が立っていた。まるで平安時代の貴族を思わすような化粧を施しており、唇の赤さが異様に際立った怪しい風体の妖魔である。これまで相手にしてきた妖魔の武将は鎧を纏っているか屈強な体躯をしていたが、この妖魔は鎧を纏っていないばかりか体格も文官のようなか細さである。そうなれば、戦う方法は腕力ではないと考えるのが自然な結論だ。
「妖術の使い手か……ならば」
 そう読んだ勝往は真っ先に立ち向かっていった。ほぼ同時に白装束の妖魔は両手で印を組むと、何やら小声で唱え始める。だが見つかってから妖術を唱え始めるのは、敵に突撃を仕掛けられてから鉄砲に火薬を詰めるのに等しい。それ故に勝往は迷わず踏み込み切った。
「させぬ!」
 勝往は大槍を石突近くを握ると、長く持ち直した槍の穂先を妖魔の脳天へ振り下ろした。脳天に吸い込まれた穂先は一気に股下まで駆け抜け、妖魔の体は真っ二つに裂かれた。しかし、
「むっ!?」
 直後に背後から聞こえた、大地も揺るがすような雷鳴に思わず振り返る。すると、坂下門の残骸があった所を中心に周域が跡形も無く吹き飛んでいた。あの場所には幾つか部隊があったはず。それも共に消し飛んだ事になる。
「なっ、これは!」
 勝往の手勢が悲鳴のような上擦った声を上げた。視線を戻すとそこには、真っ二つにしたはずの妖魔がそのまま平然と立っていた。確かに体は二つに分かれたままではあったが、まるで見えない力に支えられているかのようにその場へ直立し不敵な笑みすら浮かべている。兵はすぐさま妖魔を取り囲み槍を構える。妖魔は一息吐くと、二つに分かれた体がぴたりと合わさり傷跡が消え失せてしまった。
「おのれ!」
 兵達が一斉に槍を突き入れる。四方八方から貫かれる妖魔だったが、それでも平然とした表情のまま事も無さげに立っている。
 生命力が並外れて強くとも、不死の妖魔など存在するはずが無い。ならばこれは、単純にこの程度では死なぬ妖魔という事になる。
 再び妖魔は印を組んだ。勝往は兵を下がらせると、念仏のように言を唱える妖魔の首を横薙ぎにして刎ねた。だが妖魔の首はどこからか吊るされているかのように、肩の上に留まり続ける。また一息つくと、首はぴたりと重なってしまった。続いて心臓を貫き抉ってみるが、それでも妖魔は一息ついただけで元に戻ってしまった。そうしている内に、二発目の稲妻が落ちた。今度は先程よりも更に西の丸の奥へ落ちる。兵の被害も恐らく大きいだろう。
 妖魔は勝往と視線を合わせると明らかな嘲りを浮かべて見せ、そして尚も同じ印を組んだ。何をしようとこのまま何度も稲妻を落とす。そう言いたげな仕草である。
 何故、この妖魔は死なないのか。その焦りは勝往よりも先に周囲の兵が感じ始めた。妖魔の武将はこれまで何度も倒して来た。妖魔は根本的に人間と構造が違うせいか、首を落としたぐらいでは死なないのは珍しくは無い。しかし、全く傷を負わせられない妖魔など存在しなかった。妖魔は単純に生命力が強いだけで、必ず致命傷を負わせる事は出来るのである。
 この妖魔は本当に不死身なのか。それとも、上等な妖魔はこの程度の傷ではあっという間に治せてしまうほど生命力が強いのか。
 そう考えている内に、再び白い稲妻が西の丸へと落ちる。今度はほぼ中央、おそらく最も兵が多く密集していると思われる場所である。
 もはや悠長に考えている暇は無い。勝往は頬当ての位置を押し込みながら直した。
「しばし付き合って貰おうぞ」
 勝往は突然大槍を左手に持ち帰ると、右腕を妖魔へ伸ばし掴みかかった。すぐに妖魔は白い火花が幾つも散らせ勝往の腕を焼きにかかるものの、勝往は表情一つ変えずに妖魔の胸倉をしっかりと掴んだ。それでも妖魔は相変わらず余裕の表情で、今度は勝往の右腕を掴むと直接稲妻を流し込み焼きにかかった。見る間に勝往の右腕を覆う鎧が煙を上げ黒く焦げ始める。
「勝往様、一体どちらへ!?」
「知れた事、この妖魔を黄泉へと叩き返す!」
 まるで荷物のように妖魔の体を持ち上げた勝往は、踵を返して真っ直ぐ西の丸へ駆け出した。その後を兵達が慌てて追従する。
 勝往の意図は理解していなくとも、絶対の自信があるせいか妖魔は余裕の表情で勝往の右腕を焼き続けた。だが、妖魔の表情からは急に余裕が消えてしまった。勝往の向かう先は西の丸ではなく、最も近い城壁と知ったからである。俄かに焦り始めた妖魔は落ち着きを失い暴れ始めるものの、鋼のような勝往の体は微動だにすらしない。
「斬って死なぬならば、こうしてくれる」
 勝往は持ち上げた妖魔の体を城壁へ叩き付け、そのまま中へと押し込んだ。妖魔は狂ったように悶え苦しみ始める。城壁の内側には大神実命の札がびっしりと貼られている。その力によって妖魔は直接体を焼かれているのだ。
 どれだけ暴れ稲妻を流そうと勝往は微動だにしない。むしろ、更なる剛力で押さえ付ける。徐々に妖魔の抵抗する力が弱まっていく。やがて、遂に動かなくなった妖魔は突然砂のように崩れて消え去ってしまった。
「なるほど、斬って死なぬならば大神実命の加護を」
 兵達は恐る恐る妖魔の成れの果てを槍で突付いた。囲炉裏にあるような肌理の細かい砂であり、もはやぴくりとも動くどころか風に煽られ舞い上がってしまった。完全に妖魔が灰と化している。これまではあまり大神実命の加護を実感する事がなかったため、こうして実際の効果を目の当たりにするとあながち札も気休めではないと感心する。
「さて……。戯れておる暇はないぞ」
 ふと勝往は徐に大槍を構え穂先を城外へと向けた。するとそこには、いつの間にか無数の妖魔の姿が群れを成しひしめいていた。しかも、そのほとんどは雑兵ではない武将ばかりである。更に白い稲妻が連続して落ち、妖魔は次々と増える。
「全兵を此処へ集中させるのだ。この西の丸、決して突破されてはならぬ」
 そう指示を出すなり、勝往は真っ先に単騎で妖魔軍へ向かっていった。