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「フッ、西の丸もたけなわか」
 蒼十朗は足元に踏み締めた妖魔の体から突き刺した斬馬刀を引っこ抜き、体液を払いながら見やった西の丸へ笑みを浮かべた。北の丸もまた西の丸と同じく、次から次へと妖魔の武将が送り込まれる激戦となっていた。しかし蒼十朗の率いる井伊軍は、城を防衛するどころか自ら進んで妖魔軍へ切り込んでいく相変わらずの苛烈な戦ぶりを見せており、押し寄せる妖魔の勢いを完全に圧倒していた。妖魔の雑兵が送り込まれているのは正門のある三の丸がほとんどで、北と西の曲輪には実力のある武将ばかりが送り込まれている。何よりも戦功を欲する蒼十朗にとってそれは願ったり叶ったりの好機だった。蒼十朗にとって強い敵は千金に匹敵するほどの魅力があるのである。
 城外へ次々と白い稲妻が落ちる。その音を聞いた蒼十朗はかっと目を見開き斬馬刀を肩へ担いだ。
「今度は清水門の方角か。退屈させんのう。流石に妖魔も必死と見える」
 蒼十朗はそのまま清水門へ駆けて行った。蒼十朗は自ら手勢を率いることも無く、布陣も関係無しに戦場を駆け回る。井伊の兵は奔放に振舞う蒼十朗の後を追うのが常だった。清水門は既に大量の妖魔で溢れていた。ほとんどが甲冑を纏った妖魔の武将である。雑兵を遥かに凌ぐ強さを持つ武将がこれだけ揃った状況に、兵達は皆苦い表情を浮かべるものの蒼十朗はのんきに頭数を数えていた。
「おい、何故妖魔共は城外へ現れるのだ?」
 不意に蒼十朗が傍に居た一人の兵にそう問いかけた。
「はい、それは恐らく大神実命の札のためかと思われます。狂次殿の話では、大神実命の加護により妖魔は江戸城の全容が良く見えないそうです」
「七面倒な話だな。大神実命の札など全て剥がしこの曲輪を妖魔で溢れさせれば手間も省けように」
「しかしながら、それでは城の守りが余りに手薄になり申す」
 蒼十朗は冗談でそんな事を言ったと思ったが、兵の言葉に対し蒼十朗は何も答えなかった。その時この兵は、蒼十朗ならばやりかねないと戦慄した。何より戦いを好む井伊の血族、そのような無体を行っても決しておかしくは無いのだ。
「では、もうしばし楽しませて貰おうぞ」
 蒼十朗は何の号令もなく単身妖魔の群れへ飛び掛っていった。
「妖魔の赤備えとは驚いたな! 赤備えは我ら井伊の赤鬼のものぞ!」
 偶然か、北の丸に現れた武将のほとんどは真っ赤な具足を身に纏っていた。井伊と言えば兵達の赤備えが有名である。しかし蒼十朗はそれを似せられた事に怒っている訳ではなかった。ただ、赤の鎧が無数の妖魔の中から目を引いた理由の一つにしか過ぎない。
「どうした!? 此度の化物は手を抜いておるのか!?」
 蒼十朗は次から次へと妖魔の武将を薙ぎ倒していく。大名としてはあまりに若く血生臭いが、戦場でこれほど頼りになる存在もない。まるで台風の如く縦横無尽に駆け巡る蒼十朗と、その側近である僅かな手勢。それらが通った後には妖魔一匹残らなかった。これでは一体どちらが攻め込んでいる側なのか分からない構図である。
 ひとしきり暴れ満足げに息をつく蒼十朗。しかしまだ暴れたり無いのか、すぐにぎらついた目を周囲に向けては妖魔を物色し始めた。まさに飢えた獣である。
「む?」
 その時、周囲の不意を打つかのように城外の門の傍へ一条の白い稲妻が落ちた。音の無い異様な稲妻は、ほんの一瞬周囲を眩しく照らしただけにしか過ぎなかった。初め安穏と構えていた蒼十朗は、途端に待ち侘びていたと言わんばかりの嬉々とした表情を浮かべ、真っ先にその方向へ駆けて行った。そんな蒼十朗の様子に慌てて家臣達もその後を追う。
 城外へ現れたのは、白い大鎧を纏った一人の武者だった。腰には太刀を一振りだけ下げており、兜を被るのは真っ白な髑髏である事を除いては比較的人間のそれに近い妖魔である。白い稲妻を白牙の出現と早計していた蒼十朗は、明らかに白牙ではない妖魔の姿に聊か落胆するものの、この武者の妖魔の持つ気迫がこれまで斬り捨てて来た妖魔の武将とは比べ物にならない事を感じ取るなり妥協したのか、気を取り直して斬馬刀をゆっくりと構えた。
「少しは骨のあるのが来たようだ」
 不敵な笑みを浮かべつつ蒼十朗は斬馬刀ごと突っ込んでいく。武者の妖魔は静かに太刀を抜き放つと、ゆっくり正眼に構え迎え撃った。すぐさま激しく打ち合い出す蒼十朗と武者の妖魔。武者の妖魔は明らかにそれと分かる道場剣術だったが、基礎は道場でも太刀筋は実戦にて磨いているのか、我流に近い蒼十朗の野生的な太刀筋に全く引けを取らない。
「なかなかの武人よ。楽しませてくれる」
 蒼十朗と徹底的に打ち合えた妖魔は決して多く無い。これまで相手にしてきた妖魔の武将に剣術を使う者はいたが、いずれも三度も打ち合わぬ内に仕留められている。そう安易に決着がつかないという事は、この武者の妖魔はそれらとは比べ物にならないほど強いという事だ。
「おい化け物、人間の言葉が分かるなら答えてみろ。その剣術はどこで憶えた?」
 競り合いの最中、蒼十朗はそう武者の妖魔に問いかけた。しかし妖魔は蒼十朗の言葉を理解していないのか、それとも理解はしても話す口がないのか、一言も発する事は無かった。だが蒼十朗はそれでも不敵な笑みを崩さなかった。
「黄泉とは存外退屈な場所でも無いようだな。今、多少なりとも行ってみたいものと思うたぞ」
 急に蒼十朗は斬馬刀を押し込んだ。そのあまりの圧力に斬馬刀は武者の妖魔の太刀を力ずくで押し込むと、更には左肩へと徐々に食い込ませていった。武者の妖魔はすかさず腰に力を入れ蒼十朗を押し返しにかかるが、その圧倒的な腕力を跳ね返すまでには到底及ばない。
「されど、それは隠居の楽しみにとっておこう」