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 混沌とする戦場を仁之介は駆けた。
 かつて、喉から手が出るほど欲した戦功を求めて戦場を駆け巡っていた自分が懐かしかった。それほど、ただひたすら戦だけに没頭した。この戦に負ければ榊原がどうこうといった価値観がさもしいものにすら思う。
 三の丸は幾分か落ち着きを取り戻してきた。戦況は榊原軍の優勢、どうにか妖魔軍の勢いが収まりつつある所まで持ち堪える事が出来た。
「本陣は無事として……。勝往殿や蒼十朗殿は無事であろうか」
 そう憂うのも束の間、再び三の丸には大量の妖魔が群れを成して入り込んで来た。これまでは雑兵ばかりだったが、今度は武将の姿も少なくない。
「他の心配をしている場合ではござらぬな」
 仁之介は布陣を整え妖魔軍を迎え撃った。新手の登場とは言え、戦況は相変わらず五分を越えた六分五厘程度で榊原軍が優勢であるに変わりは無い。妖魔も多少武将が増えはしたものの、まだ仁之介には十分手に負えるほどの敵である。しかしん仁之介には気掛かりなことがあった。少しずつではあるが、妖魔が初めよりも明らかに活気付いているのである。
 まさか、大神実命の力が弱まっているのだろうか。
 大神実命とは桃の化身。あらゆる魔を退け封じるものだ。これまで徳川軍が優勢を保っているのも、少なからず大神実命の加護がある。開戦から四刻も経過し現時点で徳川の優勢であるのも、大神実命の加護が理由の一つとして数えられるほどだ。このまま大神実命の力が無くなってしまえば、戦況は五分、もしくは妖魔の優勢へ持ち込まれてしまうかもしれない。夜明けまではあと二刻、最低でも現状を維持し耐え抜くしかない。
 榊原軍は全ての大砲を失ってはいたが依然として士気は高く、兵達は次々と妖魔を打ち破っていった。際限無く送り込まれていく妖魔を前にしても、一歩も退くどころかむしろ全て討ち尽くすほどの勢いがある。常軌を逸する精神の高揚が疲労感を忘れさせ、誰もが功を競い合っている。仁之介もまた、既に妖魔の武将を両手で数え切れないほど討ち取っている。腰に差す太刀は二本目で、奮い過ぎて刀を潰してしまうのも初めての事である。
 時の頃は夜八つ。一日で最も魔が出て来ると言われる時間帯だ。熱狂は未だ冷めやらず、このまま朝まで戦い続けるには十分な勢いがある。けれど仁之介は一人、この時間帯に差し掛かったことで警戒心を強めていた。それは前の戦で白牙が現れたのはこの時間帯であるからだった。そもそも丑三つ時は最初の妖魔との戦が始まった時刻でもあり、非常に因縁深い時である。
「む……!」
 ふと、仁之介は背筋を震わせ俄かに肩を痙攣させた。不意に首筋へまとわりついてきた妖気に悪寒の走った仁之介は、思わず首を掻き毟りながら上空を見上げる。空には真円を描く望月が煌々と輝いているが星はひとつとして見つからない、いつも通りの異様な空模様である。しかし、よく目を凝らしてみると、空にはどんよりと雲のような何かが蠢いているのが見える。
 白牙が来た。
 そう直感した仁之介は、すぐさま兵を引き防衛体勢の号令をかけにかかった。だがそれよりも早く、これまでより一際大きい白い稲妻が空を切り裂きながら落ちてくる。落ちたのは三の丸を大きく外し、あろうことか本陣のある本丸の方角だった。
「な、まさか、本陣が!?」
 偶然にも稲妻が落ちるところを見た兵は、仁之介と同様に驚きを露にしていた。白牙の事は知っていたものの、現れるとしたら他の妖魔と同様に城外だと思っていたからである。大神実命の加護により、妖魔達は江戸城をうまく見る事が出来なかったはず。何故、いきなりあのような所へ降りることが出来たのか。やはり、それほどまで大神実命の力が弱まっているという事なのか。
 とにかく、事は一時を争う。すぐさま仁之介は数名の手勢を引き連れて本陣へと向かった。