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「やあ、紀家。神弥を迎えに来たよ」
 本陣に突如として現れた一人の少年、白牙。本陣を守る兵達は皆、一様に驚きの表情を浮かべながらもすかさず槍と石弓で幾重にも取り囲んだ。対する紀家は落ち着き払った態度で視線を向ける。
「白牙……直に顔を合わせるのは初めてであったな」
「そういえば、そうだね」
 白牙は足を踏み出す。しかし、すぐさま取り巻きの兵達が槍衾を作り白牙の動きを牽制する。
「まったく、侍ってのは理解に苦しむね」
 そう溜息をついた白牙は、目の前に突き出された穂先の一つをおもむろに握った。その直後、白牙の手から白い稲妻が迸り構えていた兵を一瞬で槍ごと焼き尽くしてしまった。残ったのは黒く焼け焦げた具足と穂先の僅かな残骸だけである。
「こんな棒切れに鉄をつけただけのもので、僕をどうにか出来るとでも思った? 笑わせるね」
 事も無げに兵を焼き殺してしまった白牙に戦慄する兵達。その様子に紀家は、一言言い放って兵を下がらせた。白牙は得意げな表情で悠々と紀家の前までやって来る。兵達は未だ槍を構えているものの、紀家の命令より恐怖が先立って迂闊に飛びかかる事が出来なかった。
「何度も夢の中に出て警告はしたんだけど、言う事を聞いてくれないんじゃこうするしかないよね」
「そうだな。戦になるのも致し方なく思う」
「それで、何か弁解はあるのかな? 少なくとも、神弥は良い女子になったと思うよ。健康で気品や教養もある。何より器が大きい。誰のおかげでここまで来れたんだろうね」
「だからこそ、妖魔の嫁にはやれぬ。わしの目に適う男子でなければ神弥をくれるつもりは毛頭無い」
「それでこっちの使者を殺したんだ。じゃあ、後はやることは一つだ。戦国の慣わしに則ろう」
 凄惨な笑みを浮かべ、白牙は右手を振り上げた。
 突然、一発の銃声が鳴り響いた。陣幕の外から飛び出して来た一発の銃弾は白牙のこめかみに命中する。しかし白牙は僅かに蹌踉めいただけで、倒れる様子も無ければ血の一滴も流さない。
「ふん……またこういう手を使う」
 苛立った口調で白牙が右手をかざすと、右の陣幕に白い稲妻が落ち一瞬で焼き尽くしてしまった。その稲妻が落ちるよりも早く飛び出したのは狂次だった。
「蒲柳侍、生きていたのか。意外と丈夫だね。もうちょっと念入りに焼いておけば良かったかな」
「妖魔如きが神弥様を娶ろうなどと言語道断、許されると思っているのか」
「君達こそ、約束を破るのは士道に反しないのかい?」
「抜かせ」
 狂次は暴発させられる危険のある鉄砲を捨て、背に携えていた石弓を構えた。矢には大神実命の札が巻かれている。石弓の破壊力や速射性もさることながら、妖魔を退け封じる力は妖魔にとって猛毒同然の脅威である。
「少しは疑問に思ったらどうかな。どうして僕はここに来れたのか不思議じゃないのかい?」
「大方の予想はつく。大神実命の札はあくまで魔を退け封じ込めるためのもの、その魔がこうも大量に現れては封印し続ける力も弱まろうというもの。だから貴様は幾度も大量に妖魔を送り込み、少しずつ大神実命の力が弱まっていくのを待った。こう何度も同じ手を使われれば馬鹿でも見抜ける」
「だったら話は早い。これから江戸城に行くから邪魔をしないで欲しいな。黙って見ているなら命は助けてやるけど」
「我らは死兵、自らの命を惜しむ者はおらぬ」
「じゃあ死ねよ」
 白牙が狂次に右手の手のひらを向ける。手のひらに白い稲妻が音を立てて現れた。先刻、一人の兵を悲鳴もあげる暇も無いほどあっという間に焼き殺したあの稲妻である。
「お前がな」
 しかしその時だった。突然、白牙の胸から大神実命の札が巻かれた刀の切っ先が飛び出して来た。驚いて振り返る白牙が眼にしたのは、いつの間にか背後に回っていた黒装束の男。狂次があらかじめ陣幕に潜ませておいた忍である。
 忍の登場に驚き気を取られた白牙、すかさず狂次は矢を放った。放たれた大神実命の矢は白牙の胸に命中する。立て続けに奇襲を受けた白牙は遂に膝を崩してしまった。妖魔にとって大神実命の加護は猛毒に等しい。白牙は途端に息を切らせ始める。
「大神実命の加護を立て続けに受けた。幾らお前でも耐え切れまい」
 狂次は弓を放り腰の刀を抜き放つと、懐から取り出した大神実命の札を刀身にびっしりと貼り付けた。狂次は剣術などほとんど修めた事の無い文官ではあるが、この刀ならば妖魔を討ち取る事も十分に可能であり、その上相手は動く事の出来ない置物同然の姿だ。
 しかし、
「くだらない、所詮は人間か」
 不意に白牙の体が白く弾ける稲妻の膜に覆われ始める。その膜は急激に膨張していき、突然と加速させていった。
「拙い、上様をお守りしろ!」
 咄嗟に叫んだ狂次は、自分も白牙から離れつつ紀家の前に集まる兵達と同じ盾となる。
 白牙の周囲を覆う白い稲妻の膜は本陣を覆いつくさんばかりの勢いで膨れ上がると、そのまま呆気ない音を鳴らして弾け飛んだ。拍子抜けする結末に驚くのも束の間、その直後には空から無数の白い稲妻が次々と落ちてきた。あまりの勢いに目が眩む一同。そして稲妻が止んだ時、本丸は数え切れないほどの妖魔で溢れ返っていた。
 突然の窮地に慌てる兵達。だが一人冷静に頭を動かした狂次はすぐさま号令をかけた。
「全軍、本陣へ集結しろ! 上様をお守りするのだ!」
 狂次は手勢の確認をする暇も惜しみ、周囲の兵に紀家を防衛させて自ら妖魔の群れに躍り出た。現れた妖魔のほとんどはただの雑兵だったが、武芸とは無縁の狂次では大神実命の札をつけた刀だけ手に負える相手ではない。本丸の布陣が整うまでは紀家を守りきる事に専念しなくてはいけない。
「まだたっぷりと兵はいる。結納の品代わりだ、十分に楽しむんだね」
 そうせせら笑う白牙は、既に受けた傷が塞がってしまったのか元の余裕に満ちた様子を見せている。大神実命の力も体から弾き飛ばしてしまったのだろう、僅かに額には疲労の汗が浮かんでいるものの、ほとんど消耗している様子は見受けられない。
「さて」
 白牙はおもむろに陣幕の中にあった篝火へ手を突っ込んだ。途端に火は燃え移り白牙の手が真っ赤に燃え上がる。
「江戸城は大神実命の札だらけだ。今から妖魔を押し込んでも夜明けまで間に合わないだろう。だからこうさせて貰う」
 白牙は燃える手で宙にくるりと円を描いた。すると、炎は宙に躍り出て鳥の形となると、そのまま江戸城へ突っ込んで行った。炎はあっという間に江戸城へ広がる。
「大神実命の札は、妖魔の炎は退けられても現世の炎はどうだろうね?」
 白牙は妖魔の群れで身動きが取れない紀家に嘲笑を向ける。紀家は歯を剥いて怒りも露にした表情で白牙を睨みつけるものの、周囲を囲んだ家臣と妖魔により身動き一つ取れなかった。
「貴様……ッ!」
「さて、僕は神弥を迎えに行かせてもらうよ。後はどうぞごゆっくり」