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「神弥様、早くお逃げを。城はもう危のうございます」
「まだ大丈夫です。それよりも、下手に城から離れた方がかえって危険ですよ。もう少し、様子を見ましょう」
 神弥は驚くほど落ち着き冷静に状況を見ている。城内に火の手が上がり妖魔が侵入したとの知らせに周囲が慌てふためく中、神弥は凛と構え成り行きを伺っていた。
 神弥達は大奥にある私室から、緊急避難場所として設けられた小天守へ移っていた。ここは紀家がもしものためにと前々に作らせた、天守閣とは別に独立した大櫓である。中はほぼ大広間の半分ほどの広さで、兵糧などの蓄えも用意されている。まさに籠城用の場所だ。火の手はまだ中奥に広がり始めただけで、大奥にはもう少し時間がかかる。かと言って、あまりのんびりしていては退路を断たれてしまうため、頃合いはきちんと見計らわなければいけない。そして当然、そう考えるこちらの心理も敵は推察しようとするはずだ。
 小天守には、薙刀と胸当てをつけた腰元達が揃って待機していた。いずれも華虎が大奥の護衛役として鍛え抜いた精鋭ばかりである。華虎もまた特注の巨大な薙刀を携え、険しい表情を浮かべたまま警戒を怠らない。
 神弥は上座に鎮座したまま顔をうつむけている。その側にいる華虎は歯痒さで居たたまれなかった。まだ幼いというのに、何故こんな苛酷な目に遭わされるのか。星の巡り合わせには怒りすら覚える。
「……あっ」
 不意に顔をあげた神弥は、小さく驚いた声をあげた。
「神弥様、如何なさいました?」
「来ます……黄泉の者の気配が」
 唇を噛み肩を震わせる神弥。特別な気配は誰も感じはしなかったものの、その尋常ではない様子に華虎も動く。
「全員、構えッ!」
 華虎の勇ましい号令の後、腰元達は一斉に部屋の外へ向かって薙刀を構えた。すると突然、外から襖がゆっくりと開けられる。現れたのは一人の少年だった。
「神弥、ここにいたんだね。探すのに苦労したよ。何せ大奥は特に大神実命の力が強いからね。まさに暗中模索さ」
 この切迫した状況には不釣り合いなほどにこやかに微笑む白牙。その目は人間ではない事を示す猫のような金目。一同は初めて目前にする異形に、思わず息を飲んだ。
「おのれ、曲者!」
 異形の出現に腰元達は反射的に白牙へ斬りかかっていった。
「流石、一人も逃げないんだね」
 しかし彼女らは、白牙が緩やかに右手を前へ構えたかと思うと、次々と白い稲妻に打たれ跳ね飛ばされていった。まるで馬にはねられたかのような勢いで飛ばされた腰元達は、そのまま気を失いぐったりと動かなくなってしまった。
「大丈夫、手荒になったけど殺してはいないよ。これまで神弥の世話をしていた人だからね」
 事も無げに白牙は神弥のいる上座へと近づいていく。だがその前に闘志を剥き出しにした華虎が立ちはだかった。
 華虎の構える薙刀は柄までが鉄で出来ており、常人では持ち上げる事すら出来ぬような代物である。華虎は深い息を一つついたと思いきや、すぐさまそれを軽々と振り上げ構えた。
「勇ましいねえ。でも、出来れば君も殺したくはないんだけどな。神弥が好きな人は出来るだけ傷つけたくないんだよ。そうだ、どうせなら一緒に僕と来ればいい。神弥の世話係にしてあげるよ。それなら今まで通りだし、納得出来るでしょ?」
「妖魔風情が人の口を利くな」
 にべもなくはねつける華虎に、白牙はやれやれと肩をすくめて見せた。
 先に仕掛けたのは華虎だった。華虎は一気に自分の間合いへ詰め寄ると、白牙の左肩へ袈裟斬りに繰り出す。だがその一撃は、難無く白牙の左手に受け止められてしまった。白牙の手のひらに白い稲妻が束ねられ、薙刀を掴んでいる部分が真っ赤に燃え上がる。程なく薙刀の先端は溶け落ちた。
「さあ、どうする? 武器が無いなら素手で来る? 女子が拳を振り上げるのはちょっとはしたないと思うな、僕は」
 悠然とした笑みを浮かべる白牙。
 華虎は憮然とした表情で残った柄を捨てると、おもむろに後ろの神弥を振り向いた。神弥はただ黙って頷き返す。何か無言の会話が成されたようなやり取りである。
「もう一番、付き合って戴く」
 華虎はいきなり足元の畳の端を強烈に踏み抜いた。畳は驚いたように反対側の端から飛び上がり、華虎と白牙が互いの姿が畳で隠れ見えなくなってしまった。
 何が始まるのだろうと目を瞬かせる白牙。そう思った次の瞬間、目の前の畳に横一線の亀裂が走った。畳は宙に浮いたまま真っ二つに分かれて落ちる。その向こう側から現れた華虎は一振りの太刀を腰に差し、腰溜めにした半身の構えを取っていた。抜刀の構えである。
「なんだい、それは」
「榊原仁之介という男を知っているか?」
「あの負け犬か。それが何? 全然大した事無かったよ」
「貴様が語る必要は無い」
 一方的な物言いに微苦笑を浮かべ白牙は、目の前の空間を右手でつるりと撫でた。するとそこには幾つもの白い稲妻の球体が浮かび上がる。
「とにかく、そっちがそう来るなら仕方ないよね。殺しはしないけど、少し痛い目は見てもらうよ」
 しかし、華虎は無言のまま突然踏み込んできた。瞬く間に自らの間合いまで詰め寄ると、弛緩させた右腕から刀を繰り出した。その一刀により白牙の作り出した白い稲妻の球体が弾け飛んでしまった。
「え? ちょ、ちょっと待ってよ」
「待たぬわ」
 更に踏み込んで来る華虎に対し、白牙は驚いた表情で飛び退いた。だが華虎はその後を追うように再度踏み込む。離れ切れないと悟った白牙は、更に右手を振り無数の白い稲妻を作り出し足止めにかかる。だが再び刀を放った華虎は、悉くそれらを切り払ってしまう。
「雷を斬り捨てるなんて非常識だなあ」
「心頭滅却すれば道理など自ずと引っ込む」
 状況は一転し、白牙が一方的な防戦となった。一気呵成に攻め立てる華虎、しかし華虎の刀が白牙を捉える事は無く、必ず今一歩のところで空を切る。白牙は逃げながらも反撃をしない訳ではなかったが、華虎は白牙の稲妻を悉く斬り捨てていた。傍目には白牙は華虎に押されているようだったが、それでも白牙の表情には余裕がありこの状況を楽しんでいる感すらある。
「やれやれ、困ったなあ。どうしても譲ってくれないんだ?」
「武家の女に二言は無い」
「言うと思った」
 すると白牙は不意に足を止めると、一変して華虎を迎え撃つ構えを見せた。不審に思う華虎だったが好機を逃す手は無く、すかさず首を落としにかかる。鞘の中で加速させた白刃は、一分の狂いも無く白牙の首に目がけて放たれる。
「む……」
 だがその刃は、あっさりと白牙の手に掴み取られてしまった。白牙の手のひらからは真っ赤な血がぼたぼたと流れ落ちているものの、刃は首どころか手を僅かに切りつけただけにしか過ぎない。華虎の腕ならば、たとえ腕で守られていようと数打ちで守られていようと諸共首を落とす事が出来る。にも拘わらず白牙の手のひらを軽く切っただけという事実に、華虎は僅かに困惑の表情を浮かべる。
「これだけ遊んであげたんだ、時間も稼いで善戦もしたし、まあ主君に面目は立つよね?」
 そう無邪気に微笑んだ瞬間、華虎は白い稲妻に打たれた。