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 燃え盛る城内をひたすら駆ける仁之介。炎は容赦なく仁之介の体を焼きにかかるものの、一度火を払ってしまえば仁之介の体はすぐに治癒してしまう。炎を恐れず仁之介は大奥へと突き進む。大奥の構造を把握はしていないものの、小天守の存在は知っている。ならばひたすら上を目指して進めばいい。勘だけが頼りだったが、仁之介は何かに導かれるようにして真っすぐ小天守へと向かって行った。
「な……これは」
 ようやく小天守まで登り詰めた仁之介だったが、その様相に愕然とした。何が起こったのか天井が屋根ごと吹き飛んでいたからである。驚きながら周囲を見渡すと、そこに倒れている幾人もの腰元達、立ち尽くしたまま動かない勝往、そして畳の上を這う華虎の姿を見つける。
「姉上!」
 すかさず駆け寄った仁之介は華虎を起こそうとするが、華虎は仁之介の手を払い除けた。しかし仁之介は華虎のあまりに弱々しい力に息を飲んだ。これほど弱りきった華虎を見たのは生まれて初めての事である。
「仁之介……ッ! 神弥様を、取り戻すのだ……!」
 部屋を見渡すと神弥の姿はどこにも見当たらない。既に白牙に連れ去られた後なのだろうか。
「東だ、鳥の妖魔に乗っていった。まだ間に合う、急げ!」
 腹の底から声を振り絞った華虎は、そこで唐突に意識を失った。華虎だけでなく、ぴくりとも動かない勝往や他の腰元もまとめてすぐ医者に診せたかったが、今は神弥を追わなければならない。
 仁之介は東側の壁を斬り捨て、そこから東の方角一帯に目を凝らす。
「……あれか!」
 すぐさま空に巨大な異形の鳥がゆっくりと飛んでいるのを見つけた。赤黒い翼に漆黒の長い尾羽、形や長さまではっきりと確認出来る。だが今から小天守を降りて追った所で間に合う距離ではなく、たとえ追いついたとしても自分は空を飛ぶ事が出来ない。
 ならばどうすればいいのか。
 直後、閃いた仁之介は切り立った壁から宙へ飛び出した。瓦屋根の上に着地した仁之介は、そのまま妖魔の鳥の後を追って屋根を駆ける。城をいちいち降りるよりは、屋根伝いに追った方が遥かに早いためである。屋根は絶え間なく続いている訳ではなかったが、まるで忍びのように次々と屋根から屋根へ飛び移っていく。仁之介自身、こんな暴挙へ出たのは生まれて二度目の事である。一度目は生家である上州の城に住んでいた幼少の頃、華虎の逆鱗に触れて逃げ回った時だ。その折の死ぬ気になれば案外楽なものであるという経験も手伝って、仁之介は何の迷いや躊躇いも無く屋根を駆けていった。
 見る間に妖魔の鳥へ近づいていく仁之介。よほど油断しているらしく、鳥の妖魔は屋根に近い低いところでゆっくりと飛んでいる。このまま追いつけば背に飛び乗る事も可能である。しかし、足元には徐々に火が広がり始めもう間も無く屋根が途切れる。鳥の妖魔が江戸城から完全に離れてしまっては追う術はない。
 仁之介は出来る限りの脚力を振り絞りひた走る。だが、鳥の妖魔との距離は間に合うかどうか際どい距離だ。
 そうしている内に、鳥の妖魔の体が屋根の端から離れてしまった。
「御仏よ……ッ!」
 仁之介は迷う事なく屋根の端を蹴って宙へ飛び出した。
 ここで落ちる訳にはいかぬ!
 宙を舞う仁之介は、まるで水に溺れているかのように空気を掻き鳥の妖魔へ何とかしがみつこうとする。けれどほんの僅かに残る距離は最後まで埋まる事なく、仁之介の体は鳥の妖魔より下へと落ちて行く。
 しかし、その時だった。
 不意に吹いた向かい風に煽られ、仁之介の目の前に一本の縄のようなものが舞った。咄嗟に掴んだ仁之介は、全身の力を振り絞ってそれにしがみつく。跳んだ時の勢いと自重により地面へと引っ張られたが、それでも仁之介は何とかそこへ留まる事が出来た。
 それにしても、一体これは何なのだろうか。そう思い、掴んでいるものの先を見上げる。するとそれは、鳥の妖魔の尾から生える長い尾羽だった。仁之介は咄嗟にこれを掴んだため事無きを得たのである。
 遂に仁之介は、白牙へ追いついた。