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「ん? どうした火鷲、何を騒いでいる。神弥が乗っているんだ、もっと静かに飛ばないか」
 鳥の妖魔の背に立つ白牙と神弥。白牙は俄かに騒ぎ出した鳥の妖魔に向かって名を呼びながら不思議そうに訊ねた。
「江戸を離れるまでだ、もっと落ち着けよ。せっかく神弥と二人の雰囲気に浸りたかったのに、何だよ急にさ」
 盛んに騒ぎ立てる鳥の妖魔の様子に首を傾げる白牙。しきりに落ち着かせようと首筋を撫でるものの、一向に鳥の妖魔は落ち着く気配を見せなかった。
「あ……」
 ふと神弥が小さく声をあげた。それに気付いた白牙は、鳥の妖魔の声に煩そうに顔をしかめながら振り向く。
「どうしたんだい、神弥?」
 神弥は何も答えず、ただ驚いた表情で尾の方を見ている。一体どうしたのかと白牙も同じ方を見る。その途端、白牙の表情が鬼気迫ったものへ変貌した。誰もいないはずの鳥の背中、しかし突如尾羽の方から一人の人影が這い上がって来た。それを見た白牙は露骨に舌打ちをし、奥歯を音が立つほど強く噛み締めた。
「天は我を見放さなかったか。これは父上の御加護かもしれぬな」
 何とか鳥の背まで這い上がりながら安堵の溜息をついたのは仁之介だった。ようやく尾羽から這い上がってきた仁之介は額の汗を拭い、背に立つ二人を見つける。
「ようやく追いついたぞ、白牙。さあ、神弥様を返して頂こう」
 仁之介は腰溜めに半身の姿勢で構え白牙を見据える。すると、
「ふ……ふざけるな、負け犬が! いい加減しつこいぞ! 神弥は初めから僕が嫁に貰う約束をしているんだ! どうして邪魔をする!?」
 これまでと一変して白牙は仁之介に向かって怒鳴り散らした。意外な白牙の反応に仁之介も戸惑いを見せる。そして仁之介はそれを、白牙には余力が無いのではと解釈した。元々江戸城内は大神実命の力が強く働いている。そこを通ってきたのだから疲弊していてもおかしくはないのである。
「貰い受けたくば拙者を倒してからにしてもらおうか! いざ、榊原家当主、榊原仁之介が参る!」
「前口上は余計なんだよ、負け犬が!」
 苛立つ白牙に向かい、仁之介は右手を柄に触れながら突っ込んでいく。明らかに平常心を失っている白牙の様子に仁之介は勝機を感じた。白牙はこれまで圧倒的な力を嫌というほど見せつけてきたが、どのような理由にしろ怒りに我を忘れているならば必ず普段は見せない隙を見せるはず。そういう算段からの真っ向勝負だった。
 しかし、事の成り行きは仁之介の思惑通りには運ばなかった。
「何ッ!?」
 すかさず間合いに捉えた白牙へ刀を繰り出す仁之介。しかし白牙はその刀をあっさりと右手で掴んで止めてしまったのである。
「確かに劣るな、負け犬め。神弥の護衛はもっとましな剣だったぞ」
 白牙は刀を掴んだまま手を滑らせ一気に仁之介との間合いを詰めると、左手を延ばし仁之介の首を掴んだ。反射的に仁之介は首を後ろへそらして振りほどこうとするものの、白牙の左手は仁之介の首へ爪を立てしっかりと食い込んでいる。どう首を振ろうにも決して振りほどけるような状態ではなかった。
「もう、これで最後だ。ここなら大神実命の加護もない、僕の余力を全部食らわせてやる」
 忌々しげに吐き捨てた白牙。その直後には仁之介の体が白い巨大な稲妻に包まれた。
「がっ……!」
 全身を駆け抜ける激痛が思考の自由を奪い呼吸すらも出来なくなる。まるで地上で溺れているかのような錯覚に陥り、空を掻き毟ろうと伸ばす四肢は痙攣し思うように動かない。やがてそれすらも自覚出来なくなった仁之介は自分の全ての制御を失い、ただひたすら手足を痙攣させ白目を剥き口からは赤い泡を吹く。それでも白牙の稲妻は止められず、執拗に仁之介の体を内から外へと焼き続けた。
「おやめなさい! 家臣に手は出さないと、私と約束を交わしたのをお忘れですか!?」
「こいつで最後だから下がってろ!」
 明らかに仁之介を殺しにかかっている白牙に対し、追いすがる神弥。しかし白牙はあの異形の金目を剥き出しにし神弥を激しく怒鳴り返した。それでも追いすがろうとする神弥だったが、白牙が何かの妖術を用いて見えない壁を作っているのか、それ以上近づく事は出来なかった。
 白牙が余力を使い果たし繰り出した稲妻は、勝往へ浴びせたそれよりも遥かに強く執拗で、ひたすら猛り狂い仁之介の体を徹底的に焼き尽くした。仁之介を脅威として見ているのではなく、仁之介へ対する鬱憤をそのまま晴らそうとしているかのような白い稲妻。むしろこの感情は憎悪に近いものですらある。
 やがて余力を全て振り絞った白牙は、咳き込みながら稲妻を止めた。
「はっ……はぁ! どうだ、見たか負け犬め!」
 白牙が左手で掴み支える仁之介の体は、体中が黒く焼け焦げ傍目には誰なのか識別すら出来なかった。手足はだらりと力無く垂れ下がり、膝も折れ曲がったまま自立出来ない。腰に差している太刀は脇差ごと鞘まで焼け落ちていた。
 白牙はそれでも慎重に仁之介の唇に指をかざし胸へ耳を当てる。何度かそれを繰り返し、そして白牙は満面の笑みを湛える。
「息も止まった、心の音も聞こえない。死んだな、間違いなく死んだ」
 白牙は息を切らせながら狂喜した。その様に神弥はがっくりと膝をつき涙を堪えながら唇を噛んだ。