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「よし、全員引け!」
 狂次は片腕ながら自らも縄を引きながら号令をかける。
 鳥の妖魔に打ち込んだのは、大筒を改良し巨大な鉤を弾代わりにして撃ち放ったものだった。縄は細く鍛えた鉄を幾重にも編んだもので、刀で多少切りつけた程度ではびくともしない代物である。
 元々は攻城兵器の一つで、城壁に引っ掛けて中へ入り込み門を内側から開けさせるのに用いる。既に使用する機会など無いと思われていたそれだったが、もしも必要になる状況が出てくるかも知れぬと予め狂次が手入れをさせておいたのである。
 本陣に残った兵が一丸となり、鳥の妖魔へ引っ掛けた鉄縄を引っ張る。号令をかける狂次ばかりか紀家までもがその中に参加し、鳥の妖魔を引き摺り落としにかかった。しかしどうにか鳥の妖魔の動きは封じられたものの、依然として浮力の方が強い。ただでさえ疲弊している兵士ばかりで引っ張っているため、持久戦に持ち込まれてはとても体力が続きそうにない。
「どうした! もっと力を出せ! 今こそ徳川の意地を見せる時ぞ!」
 狂次の叱咤に一同が威勢良く鬨を挙げるものの、やはり疲弊した体を誤魔化す事は出来ず、ずるずると少しずつ城外へ引っ張られてしまう。
 すると、
「狂次殿、何やら面白い事をしておりますな」
 不意に現れたのは、肩に斬馬刀を背負い全身を返り血で塗らした蒼十朗とその手勢だった。今し方まで暴れ回って来たのか全身からもうもうと湯気を立たせている。
「遅いぞ蒼十朗! 早く貴様も引け!」
 蒼十朗はいやに落ち着き払った仕草で時折含み笑いを漏らしながら、鉄縄を引っ張る列の最後尾に立ちその場へ斬馬刀を突き刺した。そして縄の端を取ってそれぞれ自分の腕に巻きつけると、しっかり鉄縄が腕に固定された事を確認する。
「ふふっ、これは幼少を思い出しますな、狂次殿」
「蒼十朗! 今は戯れる場合ではない! 早く引け!」
「実の所、凧揚げだけは苦手でしてな。どう引いても必ず落ちてしまうのですよ。そう、こんな具合に」
 蒼十朗は両足を地面にそれぞれ杭のように打ち込むや否や、全身を大きく後ろへ倒しながら両腕の鉄縄を一気に引っ張った。蒼十朗の両腕ははちきれんばかりに筋肉が盛り上がり漲っている。決して大柄な体格ではない蒼十朗だったが、その腕力は何十人分にも匹敵する凄まじいものだった。全力に近い蒼十朗の力を受け、鉄縄を引いていた一同は突然鉄縄が軽くなったような錯覚に陥った。
「そら、落ちるぞ、落ちるぞ!」
 蒼十朗の出鱈目な力を急激に受けた鳥の妖魔は浮力を相殺され、何事か騒ぎ立てながら宙で激しく暴れる。その様を見た蒼十朗は不敵な笑みを浮かべながら、更に鉄縄を引く腕に力を込める。すると突然、鳥の妖魔に引っ掛けられていた鉄縄がびくんとしなったかと思いきや、鉄縄は左右の翼ごと鳥の妖魔から取れてしまった。飛ぶ術を失った鳥の妖魔は当然、そのまま真っ逆様に落ちていく。
「そら見たことか! やはり落ちたな!」
 嬌声を上げて手を叩く蒼十朗。しかし狂次は顔を真っ青にして怒鳴りつけた。
「ば、馬鹿者! あれには神弥様もおられるのだぞ!」
「なあに、心配ござらぬよ。更なるうつけが乗っておるのでありましょう?」