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 それはまるで、足元が急に抜けてしまったような感覚だった。いや、実際に足元が抜けていた。翼を引きちぎられた鳥の妖魔は浮く力を失い、そのまま背に乗せた三人諸共地面へ向かって落ち始めたのである。
 白牙の逃走手段はこれで失われたが、このままでは神弥様までもが危ない。すぐさま仁之介は神弥の姿を探し傾いた周囲へ目を走らせる。神弥の姿は丁度鳥の首元で見つける事が出来た。神弥は突然の出来事に戸惑いどうする事も出来ないまま、ただ鳥の妖魔の首に生えた羽にしがみついている。
「神弥様、今参りますぞ!」
 傾いていた足元は更に大きく傾き、鳥の妖魔の頭はほぼ真下を向いてしまう。羽を掴む神弥の体は大きく揺さぶられ、遂には両足が宙へと投げ出されてしまった。仁之介はほぼ直立に近い鳥の妖魔の背を伝い、一気に神弥の元へ駆け抜けた。それは自ら地面に向かって落ちていくに等しい行為だったが、神弥を助ける事しか眼中にない仁之介にとってそれは些細な感覚でしかなかった。
「仁之介ッ!」
「神弥様!」
 向かってくる仁之介を見つけた神弥は、恐怖に慄いた表情で仁之介の名を叫んだ。目前に神弥を捉えた仁之介は、更に大きく足を前へ踏み出し加速をつける。
「御免ッ!」
 その擦れ違い様、仁之介は右腕で神弥の体を抱き上げると、着地地点に目星をつけそのまま鳥の妖魔を蹴って宙へと躍り出た。仁之介に抱えられた神弥は全身を丸めながら強張らせ両目をぎゅっと閉じる。仁之介は逆にかっと目を見開き、着地点のただ一つをしっかりと見据える。そして右手は神弥の体をしっかりと預かり、左手では神弥の体を庇う。
 神弥様に御慈悲を!
 仁之介は仏に祈りながら、そのまま両足から塀の屋根へ着地した。神弥を含めた全ての体重を受けた仁之介の両足は、小気味良い音を立てて折れ曲がった。着地の衝撃を全て受け切れなかった仁之介はがっくりと屋根の上に膝をつくものの、神弥には土をつけまいと体を後ろへそらし背から倒れる。だが神弥を抱きかかえる仁之介の体は屋根を滑り落ちていった。仁之介はそれでも尚、神弥を強く抱え込んだまま自らあえて地面へ背をぶつけ衝撃を受け止める。
「神弥……様。御無事ですか?」
 遅れて両足から走ってきた激痛に、たちまち仁之介の意識が朦朧とし始めた。しかしそれでも仁之介は抱えていた神弥の無事を確認しようと声をかける。すると、抱きかかえていた仁之介の腕の中で神弥が動く感触が伝わってきた。
「仁之介……。仁之介、あなたは御無事ですか……?」
「拙者は不死身が故、御心配召されるな」
 か細いものの気丈な神弥の声を聞くなり、仁之介は安堵のあまり気を失いそうになった。だがすぐさま両足に走る激痛が遠退こうとする意識へ釘を刺してくる。おそらく足の骨が折れてしまっている。だが、その折れたらしい部分が俄かに燃えるように熱くなり始めていた。既に仁之介の体は負傷した部分を修復にかかっているのである。
「神弥、何処におる! 無事なら返事を!」
 すると、仁之介の頭の方から大勢の兵の足音と紀家の叫び声が聞こえて来た。すぐさま神弥は立ち上がると、その呼びかけに対して応える。
「父上! 神弥は此方です!」
 たちまち紀家とその手勢は声の聞こえた方へ向かって駆けて来た。仁之介は地に寝転がったまま、その足音の振動を背で感じていた。不思議とそれが心地良く、大事を成し遂げた達成感に心が満たされる。
「おお、神弥! 無事だったのだな!」
「父上!」
 どちらからともなく駆け寄った二人、神弥は紀家の胸へと飛び込んだ。紀家はそんな神弥を強く抱きしめる。そしてひとしきり無事を確かめあい感激に浸った後、紀家は仁之介の元へ歩み寄った。
「仁之介、よくぞ神弥を無事取り戻してくれた。大儀であったぞ」
「感謝の至りにございます」
 紀家から労いの言葉を受けるのは仁之介にとって初めての事だった。嬉しさと誇らしさ、様々な感情が一気に込み上げ、思わず涙ぐみそうにすらなる。しかし、すぐさま仁之介は緩みかけた気持ちを引き締め直した。折れた足を確かめると既に痛みはなく、互いにぶつけ合っても全く痛みは無かった。それだけを確認し仁之介はすぐさま飛び起きると、驚く紀家の前に膝をついて畏まった。
「上様、まだ終わっておりませぬ」
「仁之介? お主、体は良いのか?」
「興奮しているためか普段よりも治癒が早いようです。それよりも上様にお願いがございます。どうか腰の物を拙者にお貸し願いたい」
 突然起き上がったと思えば何を言い出すのか。そう首を傾げる紀家だったが断る理由も無く、自らの刀を取り仁之介へ差し出した。
「よかろう。この刀、お前にくれてやる」