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「見上さん、間もなく到着しますよ」
 町の中心へ向かっていくに連れて建物の数は増え、より近代的な雰囲気となっていたのだが、不意に建物が途切れ鬱蒼と生い茂る竹林の中へ入った。
 船着場からの道のように開発が進んでいない地帯なのかと最初は思ったが、よく見れば竹一本一本の間隔が一定に決められ綺麗に小枝も払われている。明らかに人の手で管理されている竹林である。軽く見渡しただけでもこの付近一帯に広がっているらしく、これを管理するだけでも相当な手間がかかるだろう。
 竹林を更に奥へと進むと、私道らしい遊歩道に差し掛かった。その先は更に竹林の密度が濃くなり、特別看板が掲げられている訳でもなかったが迂闊に立ち入る事は躊躇ってしまう独特の雰囲気があった。
 成美の後に続き遊歩道を進む。竹林は外から見ると隙間無く群棲しているように見えたが、遊歩道は思っていたよりも日の光が差してくるので昼間なりの明るさだった。一見無造作に生えているようできちんと管理しているから、ある程度の光量も得られるのだろう。
 しばらく進んでいくと、竹林の間から寺にあるような大きな門の姿が現れ始めた。思わず見上げるほど大きく、端と端は竹の影に隠れてここからでは見えない。ただ、普通に家一軒ほどはある大きな門だという事は推測出来た。
「あれがもしかして入り口?」
「はい、緒方家の屋敷の正門になります」
「ここからでも見えるって事は相当大きいんだ?」
「そうですね。片方でも大人二人分ほどの幅がありますから」
「相当重いんじゃないの? 外出るたびに開けてたら大変じゃん」
「いえ、すぐ横に勝手口がありますから。実際に開けるのは元旦の行事ぐらいですね」
「車とかはどうするの?」
「車専用の道が裏門にあります」
 更に遊歩道を進んで行き、程なく件の正門に辿り着いた。思わず見上げてしまうほどの大きさに俺は一目で圧倒されてしまった。如何にも伝統建築といった趣で、おそらく何十年どころではないほど年季が入っているだろうが古臭さは一切無く、むしろ年季がそのまま威厳になっている。さすがに島を取り仕切る一族、屋敷は門からして普通では無い。
 その圧倒的な重厚感の正門のすぐ脇、そこには丁度自分の背丈よりは頭一つ分ほど高い小さな片手戸があった。多分それが成美の言った勝手口なのだろう。そう思ったその時、突然戸が内側から開けられる。現れたのは少々小柄な色黒の男の子だった。
「成美さん、お帰りなさい!」
「ただいま。何か変わった事はあった?」
「いつも通り、平穏無事です。あの……ところで、もしかしてその方は……」
 男の子が遠慮がちに俺の方へ視線を配る。何となくその雰囲気で言わんとしている事が分かり、俺はひとまず会釈だけする。
「そう、見上裕樹さんよ。挨拶して」
 すると男の子は途端に背筋を伸ばして俺の方へ向き直ると、勢い良く一礼し咳払いをして喉の調子を整えた。
「はっ、初めまして。鹿谷浩介と言い、申します。緒方家で下働きをさせて貰っています。よろしくお願いします」
 鹿谷浩介と名乗った男の子は緊張のせいか、ロボットのようなぎこちない仕草で無闇に声を張って自己紹介をした。明らかに俺を緒方の人間だと意識している態度である。町の老人のように神様の如く拝まれるのも困るが、緒方の人間として強烈に意識されるのも困る。
「どうも、見上裕樹です。まあ、その、あんまり緊張しないで。楽に楽に。俺はまだ来たばかりの人間だし」
「いえ、しかし緒方家の御令息様ですから、くれぐれも無礼があってはいけないと言われておりますので」
 そう言って浩介は背筋をピンと伸ばした直立姿勢ではきはきと答える。まるで運動部のノリだと俺は思った。
「浩介君、そよ様はいらっしゃいますか?」
「はい、御在宅です。あ、自分が裕樹様の御到着をお伝えに行きますね」
 それだけを言い残し浩介は慌ただしく中へ入って行ってしまった。そんな様を見て成美は微苦笑を浮かべる。
「すみません、騒々しくて。根は真面目で良く働く子なんですけど」
「今のも緒方家に、いわゆる仕えてるって子?」
「はい。よく私が仕事を教えているんです。まだ頼りない所もありますから」
 姉と出来の悪い弟のような関係か。今の短いやり取りから、そう俺は普段の二人を想像する。
「ところで、そよ様って?」
「緒方そよ様です。この白壁島を取り仕切っておられます、緒方家の当主代行です」
「代行?」
「はい。去年、前当主が急逝され、それ以来。緒方家にはそよ様以外の血族の方がおりませんが、当主は必ず男性が務めなければならないしきたりになっております。それで代行なのです」
「つまり、俺の母親は一人っ子だったのに島を出たから、跡取りがいなくなった訳か」
「そうです。ですからそよ様は、孫に当たる見上さんが見つかった時にとてもお喜びになりました」
 しかし、その喜ぶという言葉に少し俺は引っかかりがあった。
 やはり祖母が俺を引き取るのには、当主を継がせたいという意図もあるのだろうか?
 まさかそれだけの事で喜んだのではなく、亡くなった一人娘の子供が見つかった事を肉親として純粋に喜んだと、そう解釈するのが普通だ。けれど、緒方家に関して背景が背景だけに、どうしても余計に勘ぐってしまう。両親は何故白壁島の事を隠し、母は島を出て戻らなかったのか。何となくの勘ではあるけど、もしかして緒方家に理由がある気がするのだ。
 母の故郷を見たいとか親権者なら血の繋がってる人の方がいいとか、そんな安易な考えで来たのだけれど。思ったよりも先行きが重苦しくなりそうだ。
 少しだけ、俺は自分の浅慮を反省した。