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 正門の中は、思わず敷地内であることを忘れさせるほど広く、成美の案内が無ければ迷子になってしまいそうだった。
 教科書にでも出てきそうな如何にも情緒に溢れた日本庭園、それがハリウッド映画のセットのような途方もない規模で遙か続いている。塀の端と端はかすかにしか見えず、どこからどこまでがそうなのか予想すら出来なかった。
 向かう先にはまるで格式高い老舗旅館のような、ただただ大きなとしか形容のしようがない木造の屋敷が建っていた。城と言うよりは江戸時代の遊郭に近い雰囲気だが、華やかさよりも長い伝統を思わす厳格な印象の強い外観だ。昔の豪農か豪商の家などこんな感じだっただろう。
「あれが緒方の屋敷?」
「はい。真ん中が母屋で、右端とその後ろ側には私達使用人の住む場所になります」
「使用人の寮みたいなもの?」
「そうですね。ただ、一家で住んでいる所も多いですから、借家の方が近いと思います」
 つまり、世帯で住めるアパートが使用人用として敷地内に建てられていて、母屋はそれよりも更に広いという事なのか。
 これまでの自分の生活と比較すると、何ともこじんまりとしていたか痛感させられる話である。世帯単位で使用人を雇うなど、実にスケールが大きい。
 正門から更に数分、中庭を歩き続ける。初めこそ普段縁のない日本古来の伝統芸術にでも触れた気分になって景色を楽しみながら歩いていたが、それが普通ではあり得ないほど長く続くと、さすがに意識が果たしてこの庭はどれだけ広いのかという疑問へ向いてくる。正門をくぐってから母屋は目の前に見えていた。しかし歩いてもなかなか玄関へ辿り着けない。そして外の竹林と同様に、綺麗に手入れの行き届いたこの中庭、成美はさも当たり前のような表情をしているが、俺には信じ難いものの連続でとても気持ちが持たない。
 それも程なく、ようやく母屋の玄関へと辿り着いた。玄関は何度か建て直しているのか、木の色が幾分明るく曇りガラスが張られている。その玄関の前には一人の中年の男が深々と頭を下げて待ち構えていた。
「お待ちしておりました、裕樹様。ささ、どうぞ中へ」
 男は親しげな口調とは裏腹に緊張した表情で玄関を開けると、有無を言わさず俺を屋敷の中へと招き入れる。流されるまま敷居を跨いだ直後、俺はその場にたじろいだ。
 玄関は老舗旅館のように広く、廊下も足を上げればすぐ乗れるほど低く作られている。その廊下の両端に、ずらりと老若男女が並び座礼で俺を待ち構えていた。多分、みんな緒方家に仕える使用人なのだろう。だが、数があまりに多いことに驚愕した。すぐには数え切れないほどの人数が三つ指ついて俺を出迎えているのだ、驚くなという方に無理がある。
 前に両親と行った温泉旅館でも、これと似たような出迎えがあった。しかしあれは女将と女中の二人で、接客の一環とばかりの明るく重苦しさのない挨拶だった。ここでは、まるでミス一つ許されないとばかりに空気が張り詰めている。皆が顔も伏せたまま視線を送ろうとすらしない。使用人とはかくも従順であるべき、と何かしらの格言を地で行くような様相だ。
「えっと、成美ちゃん? どうしたらいい?」
 とても次に取るべき行動を自分で正確に判断出来るとは思えなかった。こういった状況など無論初めてのことで、どう受け答えしたらというものが全く想像が付かないのだ。
「さあ、お荷物と御履き物を」
 成美はそっと俺の背中を押し、構わず上がるようにと微笑む。するとすかさず近くにいた数人がやって来て、一人が荷物を受け取り、一人が俺の足元に屈み込むと足を取って自分の膝へ乗せて脱がせにかかり、もう一人は転ばぬよう俺の体を支える。
 まるで理解の出来ない状況だった。何故、たかが靴を脱いで上がるだけの事にこれだけの人数が必要なのか。そして当たり前のように従事する彼らを直視する事が出来なかった。
「そよ様は奥の間にいらっしゃいます。さあ、どうぞ。こちらへ」
 いつの間にか中履きに変えさせられた俺は、中年の使用人の案内のまま後に続いた。その後ろを俺のバッグを持った男と、成美の二人が続いてくる。まだ使用人というものを良く理解出来ず不安だった俺には、成美が付いてきている事に幾分安堵した。成美が居なければ、この家ではどう振舞えばいいのか分からない。都会と田舎以上にギャップのあるこの島では、全てが言葉の通じない外国に来てしまったように思えてならないのだ。
 おとなしく頼りない印象のある成美がいなければ先行きが不安になってしまう。そんな自分が少しばかり情けないように思った。