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 枕が変わると眠れない体質の人が世の中には存在する。
 幸にも俺はそういう細やかな神経の持ち主ではないため、白壁島に来た最初の晩から普段と変わらず眠る事が出来た。思い返せば、両親の遺体と対面した晩も普段通りに眠っていた。心の傷だの精神的ショックだのと言っても、結局人間は腹が減る時は減るし眠くなる時は眠くなるものだ。辛さ悲しさは別問題なのかもしれない。
 朝は携帯のアラームで目が覚めた。普段ならこのまま二度寝し、遅刻ギリギリの時間になって母親の怒声で起こされる。けれどまだ見慣れない部屋で目覚めた事が二度寝する気を削ぎ、アラームを止めるのと同時に布団から這い出た。一人で自主的に起きるのは良いことだが、二度と起こされない事を実感すると思わずため息が漏れてしまう。
 窓を開けると、眩しいほどの朝日が部屋へ飛び込んできた。目を細めながら見上げると雲一つ無い青空が広がっている。出掛けるには絶好の日和だと胸が躍ったが、その下には見慣れぬ景色が遥か彼方まで続いていて、言い知れぬ不安感があっという間に相殺してしまった。
「今一つ、気分が盛り上がらないんだよな……」
 両親の死について、未だ心の整理もついていない事が一つの要因だと思う。それをいつまでも引き摺るのは良くない事とは分かっているけれど、感情の事だけにどうしようもない。さほど物事に真剣に打ち込んだ事もなければ、それが故に挫折らしい挫折も知らない。精神的に打たれ弱いとしか言いようの無い自分のていたらくさが歯痒くてならない。
 自分に必要なのは気晴らしではなく、新しい日常に馴染む事だ。白壁島のような独特の文化がありそうな環境なら、右往左往している内にきっと気持ちも変わってくるはず。そう自分を言い包め、気持ちを前向きに方向修正する。
「裕樹様、おはようございます。起きていらっしゃいますか?」
 早速朝から部屋を訪ねて来る者がいる。
 息が詰まるし憂鬱だと思ったが、声の主に気付くとその気持ちは幾分和らいだ。
「起きてるよ、成美ちゃん。入っていいよ。服は着てるから」
 そうからかい半分で呼び掛けると、成美が静かに戸を開けて部屋へ入って来た。仕種は他の使用人と同様に厳かで敬意を感じるが、まず最初に向けて来た視線は鋭く突き刺すような非難めいたものだった。俺にからかわれている事へ対する返答なのだろう。少し態度を砕いてくれている。俺は口許を綻ばせた。
「おはよ。良い天気だね」
「はい。でも白壁島は海風が強いですから、外は意外と肌寒く感じますよ」
 そうなの、と問い返そうとした直前、窓から一陣の風が吹き込んできた。意外なその冷たさに思わず背筋を震わせ、体温を取り戻そうと二の腕を擦る。これは意外とと言うような生易しいものではない。
 今朝の成美の口調は、普段のものへ戻っていた。周囲の目が無い時は普段通りに、という約束を履行してくれているのだろう。使用人達の一線を引いた態度に息が詰まっていただけに、気軽に話せるのは嬉しいものである。
「世間は今日は学校なんだよなあ。そうそう、見学の件、忘れてないよね?」
「その事なんですが。昨日、校長先生に電話してみたところ、午後からにして欲しいと言われまして」
「え、何でまた?」
「学校側での受け入れ態勢の準備と思います。ほら、見上さんは緒方家の血筋ですから」
「学校側として粗相は許されないってことね。別にそこまで気を使わなくても良かったんだけどなあ」
 白壁島において、緒方家の人間は神様のような存在であり、その影響は世代によって特に顕著に現れる。校長ならばそれなりの年齢で、緒方家へ対する畏敬心も高いのだろう。それでなければ納得出来ないのであれば、心行くまでやらせておくのがこちら側の気遣いだろう。我を通した所で先方を困らせるだけだ。
「せっかくですから、今日の午前中は私が町を案内しましょうか? 日常的に寄りそうな場所を中心に」
「お、それは一つ頼もうかな。あ、でも成美ちゃんも学校じゃないの?」
「許可を戴いていますから。それに、今後からは私が見上さんの窓口となりますので、日常の御世話をさせて戴く事になります」
「窓口ねえ。まるで芸能人か何かになった気分だな」
 しかし実際はもっと深刻、芸能人どころか神様扱いされる。ひとまず昨日だけで、ある年齢以上は緒方家というブランドだけで妄信的な態度を見せる。
 今後はどういった学校生活になるのかは分からないが、同級生にそういう態度を取られるのは非常に厄介である。俺は生まれつき疎外感に弱い。ざっくばらんにぶつかれる人間関係を希望したいが、この島では果たして叶うのかどうか微妙な所だ。