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 大通りの一角にあったカフェで軽く昼食を取った後、成美の案内で学校行きのバスプールへと向かった。この時間に学校へ向かうバスなどあるのかと思ったが、バスは既に発車位置に停車していた。早速乗り込むと、中には数名の乗客が疎らに座っていた。いずれも学生ではなくそれなりの年齢の大人で、格好からすると用務員や何か学校へ卸している業者のようだった。彼らは俺の顔を見るなり表情を強張らせ、そっと席から腰を浮かせて一礼する。大げさにしないで、と俺は苦笑しながら会釈する。
 何となく距離を取っておきたくて、俺達は一番前の周囲に誰もいない席へ座った。意識し過ぎなのかもしれないが、どうしても人からの視線が気になって仕方なかった。こうしていても背中に彼らの視線が突き刺さっているような錯覚さえする。やはりしばらくの間は、バスの通学ではなく自家用車で送り迎えして貰おうか。そんな気にさえなった。
「白壁島の学校ってどんなところ?」
「見上さんの居た学校に比べたらずっと小さいですよ。田舎の学校ですから、一つの校舎に小等部から高等部まで収まるぐらいの生徒しかいませんから」
「一貫校みたいな奴かな。そういえば浩介君も通ってるんだよね」
「はい。今年から中等部に上がりました。算数と数学を未だ言い間違えるって困ってましたよ」
「あー、あるある」
 転校という経験は人生で初めてである。俺は初めクラス替え程度にしか考えていなかったが、こう見ず知らずの人間から注目され続けては嫌でも深刻にならざるを得ない。成美の話では、若い人ほど緒方家を神格化する傾向が薄いそうだ。クラスメートにまで拝まれる事など流石に無いだろうが、それでも常に一線を引かれるのは堪らないものがある。今更だが、学校へこのまま行くのが少し怖くなってきた。
「はい、お待たせしました。間もなく発車しま……あ、はい」
 やがて制帽を被り直しながら運転手が乗り込んで来る。しかし乗り込んだ直後こちらの姿を見た運転手は、たちまち表情を強張らせ言葉を途中で噛んだ。淀みある物言い。何故緒方の人間が此処に居る。そう緊張しているのかと俺は思った。
 運転手が席に着き、バスが発車する。
 バスはエンジンの音が随分小さく揺れが少ないように感じた。新幹線を降りてから乗ったバスはもっとがたついてうるさかったのだが、こちらはずっと年式が新しく性能も良いようだ。
 順調に目的地へ向かって走る車中、空気はどこと無く重苦しいように感じた。話し声が聞こえない訳ではないが、誰もが俺の事を気に留めている。そんな錯覚がまだ続いている。当分はこういう感覚は慣れないだろう。そう溜め息を漏らす。
 不意に窓の外が薄暗くなった。バスが峠に差し掛かったようだ。昼間だというのにこうも薄暗い場所が通学路にあるとなると、下校時はとても一人で歩こうという気がしない。
「お、携帯ここも入るんだね」
 ふと思い出し携帯を開いてみると、アンテナのマークが全て表示されていた。この辺りでもまだ電波の状況は街中とさほど変わらないようである。
「白壁島では圏外の場所はまず見つからないと思いますよ」
「凄いもんだね。田舎田舎って馬鹿に出来ないな」
 窓の外を見ても、木と山と藪しか見当たらないような場所で、普通に電波を捕まえられる事に俺は感心した。自分が住んでいた所では駅と駅の境目でも割と圏外になる事はあるのに、その気配すらしないとは。それだけ基地局の密度が高いという事なのだろう。
「俺は高等部になるのかな。どんな所だろう」
「高等部は特に生徒が少ないですから、全員が同じクラスです。私と見上さんも同じクラスになりますよ」
「え、それってみんな同じ授業受けるってこと?」
「先生は一人ですが、それぞれ学年ごとに違った内容で授業を行います。テキストの解説がほとんどですけど」
「先生も大変だねえ。いや、そうなると俺らも自主的に勉強しなきゃいけないって事?」
「そうなります。見上さんは戸惑うとは思いますけれど」
 峠を抜けるとすぐ、窓の外の景色には校舎と思われる大きな建物が現れた。小高い丘の上に建つその建物は最近建設されたばかりなのか、随分真新しい外観だった。壁もコンクリートを剥き出しにするような野暮ったいものではなく、眩しいほど真っ白に濃く塗られている。白壁島にちなんでいるのだろう。壁から屋根まで、窓ガラス以外のほとんどが白で統一されているこの外観は、まるで何かの漫画にでも出てきそうなほど奇抜だ。
「あれが校舎? 意外と大きいね」
「一階が職員室で、二階から順に小中高と分けられています。実はエレベーターもあるんですよ。ただ、生徒は使用禁止ですけどね」
「体育館とか広そうだなあ。プールもあったりする?」
「はい、丁度校舎の裏側に。ガラス張りの温室プールですから、冬でも使えるんですよ」
 ざっと話を聞いただけでも、自分の持つ校舎のイメージとはまるでかけ離れたものが白壁島の学校らしい。普通学校を建てる予算は自治体が負担するものだけど、白壁島は自治体にとって無視し難い税収があるから予算が割かれやすいのだろう。原発や産業廃棄物処理場を受け入れた町が国の補助金で経済的には潤った、という話をテレビで聞いた事があるが、多分それに近い構図だ。
「間もなく校門前に到着致します。停車時、車内揺れますのでご注意下さい」
 運転手による車内アナウンスが流れる。どうやらそろそろ学校に到着するらしい。俺は少し緊張を覚えた。今後生活の中心となる場所なのだから最初が肝心だ、という気概がそうさせるのだろう。