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「まずは校舎の周辺から御案内いたしましょう」
 成美の案内で、まずバスプールから正門までの道順を辿る。バスプールは校舎の東側に位置し、正門は真っ直ぐ進んだ先にあった。しかしその間には恐ろしく広い校庭が横たわっていた。前の学校の軽く倍はあるだろう。都会とは違って土地が余っているにしても、幾らなんでも広過ぎるのではないかと思う。
 正門まで歩いて往復するのに五分や十分は本当にかかりそうに思えるため、今回は遠目から場所だけを確認する。
 正門の作りはさすがに緒方家と比べるまでも無く、ごくありふれたものだったが、門柱やその間の格子戸はやはり真っ白に塗装されていた。緒方家の意向が強く反映されているのだろうか、あくまで白壁島の特色にこだわるようだ。
「向こう側には体育館、そして校舎裏には屋内プールがあります。これらは全て校舎と屋根続きの廊下で繋がっているんですよ」
「親切な造りでいいね。ところで体育館の隣の建物は?」
「あれは部室棟です。一応この学校でも部活動は行っていますから」
「あの中に部室が入ってる訳? 豪勢なもんだなあ」
 バスプールから校舎を挟んだ西側には、大きな校舎に負けず劣らずの見るからに大きく広い体育館、そこに隣接するアパートのような建物が部室になる。これだけの施設、私立の生徒数が何千人というマンモス校ならともかく、授業を学年ごとにすら行えない小さな学校としてはあまりに破格だ。ひとえに白壁島の経済力としか言いようがない。
「校舎裏も行ってみますか?」
「そうだね、一応。例のプールもちょっと見てみたいな」
 再び成美に連れられ歩き出す。まずは校舎沿いに体育館の方へ向かって進む。目的地への順路がそうなっているらしい。
 途中、連絡廊下を渡りやや日当たりの悪い路地を抜ける。ふと囁き声が聞こえ、頭上を見上げる。案の定、二階の窓から数人の生徒がこちらを見ている。先程とは違う顔触れだ。俺は人当たりの良い表情を意識しつつ軽く手を振ってみる。すると彼らは、喜ぶというよりもはしゃいでいるような雰囲気で笑顔をこぼしバラバラに手を振り返した後どこかへ走り去ってしまった。
「やっぱ注目されちゃってるね、俺」
「気に障るようでしたら、すぐにやめさせますよ」
「いや、いいよ。あの方が俺も気楽にやれそうだから。それに俺、揉め事とか諍い事は、当事者じゃなくても苦手なんだよね」
「ですが、見上さんは緒方家の当主となられる方ですから。それなりに示しは必要です」
「示し、ねえ。昔の番長じゃないんだからさ」
 どうやら家督を継ぐとなると、自分の意に介さないプライドだとか見得の問題が出て来るらしい。
 自分が良ければ別に構わない、というスタンスは今後は通用しない場合が起こり得るのだろう。それを面倒と思うのは、自分に緒方家の当主となる自覚が足りないからだろうか。確かに自覚は大切かもしれない。けれど、それが周囲と自分を分かつ一線になってしまわないかが非常に心配だ。自分は煽てられるとすぐに物事が見えなくなる。そうやって調子に乗り、取り返しのつかないことをしてしまいたくはない。
 やがて校舎裏に到着する。正面が整地された広い校庭だったのに対し、校舎裏は比較的草木や藪がそのままになっていた。山奥の秘境とまではいかない大自然の中、建てられている温水プールは壁から屋根までが全面ガラス張りという非常に近代的なデザインだった。中は漕を青く塗った極普通のプールなのだが、どこかビニールハウスを連想させるガラスの壁が外よりも暑そうな印象を与える。
 ガラス張りでは、ちょっと石が飛んできただけでも割れてしまうから建物には向かないのではないだろうか? そんな事を考え窓なのか壁なのか分からない透明の建物を触ってみると、意外にもアクリルか何かのプラスチックのような感触だった。よく見ると壁そのものが何枚かの層になっていて、単純なガラス張りという訳でもないようである。間に空気の層を作ることで断熱するとかそんな話をどこかで聞いた気がするから、きっとそれだろう。考えてもみれば、こういう建物を建てるのなら初めからただのガラスを使うはずもなく、強化ガラスのような特殊なものが普通だ。
「冬に雪降ってる時も入ることあるんだよね?」
「そうですね。プールの授業は年間通して定期的に行いますから」
「外は極寒、中は快適、って感じになるのかな? なんかこう、真冬なのに裸で外に飛び出した、って思わない? 冒険心を剥き出しにするような」
「いえ、その……あまりそういう事は意識した事がありません」
 なるほど、またしても本土人特有の雑言になってしまったか。
 白壁島の方がもしかすると下手な都会よりもずっと充実しているのではないだろうか? そう思った。
「ま、年中プール開きってのもいいことだ。色々と」
「はあ。それでは次は、校舎へ行きましょう。まだ昼休みですから、一度みんなと教室で顔合わせをしておくと明日から気楽だと思いますよ」
「だね。あっ、やべえどうしよう。何の挨拶も考えて来なかった」
「いつも通りで構いませんよ。そんな堅苦しくならなくとも」
「えー。今成美ちゃんが、当主としての自覚を持て、って言ったばっかりじゃんか」
「そ、そんなに厳しくは言ってませんよ……」
 成美は困ったように俯きながら俺をみ見上げてくる。その仕種が可愛らしく、思わず何度か意地悪く訊ね返した。
 成美を困らせると案外可愛い反応をする。これからも時折わざと困らせてみよう。そんな邪悪な事を思い浮かべ、しかしポケットの中の蓬莱様を思い出し、慌てて邪念は外へ取っ払った。