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 午後の授業が始まる前に、俺達は邪魔にならぬよう教室を後にする。あと回っておきたい所と言えば、化学室や音楽室といった特別教室くらいだ。ただし、どちらかと言えば授業よりもどんな設備があるのかに興味がある。後はほんの少しだけ、何か遊びに使えるようなスポットはないか、そういう所だ。
「教室って思ったより席はあったね。大体前のとこの一クラスと同じくらいかな」
「でも、あれで高一から高三まで全てですから。実際授業を受けると、きっと違和感を感じると思いますよ」
 この白壁島に住む高校生が全てあのクラスに居る事になるのだから、単純に数を数えたくらいでは決して多くはない。自分と同学年の生徒も果たしてどれだけいるのか。元々遊び友達とは分け隔て無く付き合っていたから学年を意識した事は無かったが、逆に学年を意識しない方が自然なクラスに来ることになって意識するようになるというのは、何とも妙な巡り合わせである。
「ねえ、次はさどこか面白いとことか珍しいようなとこがいいな」
「面白い所ですか? ここは学校ですから、遊ぶ所はありませんよ」
「またそんな固いこと言っちゃって。遊び場を探してる訳じゃないよ。本当に額面通り、本土の学校には無いような所があれば見たいんだ」
「本土には無い所ですか。そうですね……」
 視線をうつむけ僅かに考え込む成美。その間、俺はきょろきょろと建物の作りを眺めつつ、早く早くと成美を急き立てる。急き立てられる成美の表情が焦りに染まる。それを見て俺は満足感を覚えた。
「そうだ、サーバールームはどうでしょうか」
「サーバールーム? なに、やっぱパソコンとかあるの?」
「いえ、パソコンルームはありますが、それとはまた別です。少し前に最新型に入れ替えをしたんです。普段の生活ではまず見る事は無いでしょうから、良い機会だと思います」
 耳慣れない言葉に首を傾げながらも、そんなに珍しいのならと早速成美の案内する先へと向かう。向かった先は廊下の一番奥の部屋、別途非常階段用に仕切られたフロアの隣だった。他の部屋の戸が木製なのに対し、その部屋は出入り口が金属製の扉だった。火災の時に燃えないようにするのではなく、逆に電子機器に燃え移り発火するのを防ぐためだという話を以前テレビで聞いた事がある。本当かどうかは知らないが、機械類は鉄の扉の中と昔から相場が決まっているのだろう。
 重い扉を成美の代わりに開け中に入る。すると中には更にもう一枚金属の扉があった。床も一段高くなり、何足かスリッパが並んでいる。中に入る時はこれに履き替えろという事なのだろう。
「ここがサーバールームの玄関? なんかここ涼しいね」
「はい。常に温度が一定に保たれ、埃が積もらないように空気も循環させていますから。あそこに覗き窓がありますので、少しだけ中が見れますよ」
 成美に教えて貰った先にあるのは、壁に申し訳程度に付いた一枚の窓。窓の手触りからして、ハンマーで殴っても割れないのだろうなと何となく想像する。しかし良く透き通っていて普通のガラスよりも中がはっきりと見えた。部屋の中を覗いてみると、まず目の前には金属のラックが幾つか見えた。ラックの中には小さな光が幾つも点滅している。そのラックの後ろには無数の配線が飛び出し、床下の排水溝のような溝へ伸びている。奥には壁に丸々立てかけるような大きな空調があり、そこから冷たい風が出ているようである。
「サーバーってあれでしょ、凄い高いパソコンの事だよね。NASAとかにある」
「はい、概ねは。あのラックの中に入っているのが全てそうです。入れ替えたばかりの最新型です。以前のより一回り小さくなりましたね」
「小さい方が高いもんね、パソコンってのは。しかし、何台あるんだろ。一つ二つじゃないよね。これって何に使ってるの?」
「主に学校の運営やネットワークの管理ですね。授業でも少しだけ使う事があります。これとは別に、部室棟にも少し型の古いサーバーが一台あります。それは情報部が部活動で使うためのものですけど」
「良く分からんが、なんか凄いな。映画みたい。ここって中に入れるの?」
「いえ、残念ながらここまでです。あの扉を開錠するには、IDカードが必要ですから。ほら、あそこに読み取り機械があります」
「なんだ、こう針金でちょちょいってやれるようなものじゃないんだね」
 そんな泥棒のような技術は持ち合わせていないが、アナログな手段で開くような脆い構造ではないようである。あのサーバーには多分、色々学校に関するデータが入っていて誰でも見て良いような代物ではないのだろう。学校の収支報告やら成績表に興味は無いが、生徒個人のプロフィールには少しばかり食指が動く。下種の勘繰りではあるのだけれど。
「あの、見上さん。私の記憶違いかもしれませんけど」
「なに?」
「以前、見上さんが友人と夜の学校に忍び込んだという話です」
 そんな事を訊ねられ、拙い記憶の底を探ってみる。ヘドロのように滞留しているエピソード達、今まで散々下らない遊びをして来た記憶の積み重ねがそれだが、その片隅に成美の言うそれはすぐ見つける事が出来た。
「ああ、はいはい、あれね。うん、俺俺。中一の夏だったかなあ、みんなで勢いでやっちゃったんだよね。いやまいったよ、忍び込んだらすぐに警備会社が来るんだもんな。見つかったらどうしようかと思ったよ」
「一応、この学校にも防犯機能があるんです。ただ、敷地内にはいたる所に防犯カメラがあって顔をしっかり記録に残してしまうので、くれぐれもやらないで下さいね。仮に正当な目的があったとしても、すぐに呼び出されて改めさせられますから」
「もしやっちゃったら?」
「緒方家の御子息ですと分かりませんけど……普通の人ならこの島へ居られなくなります」
 成美の表情は真剣そのもの。むしろ、俺が真に受けず若気の至りをしてしまうのではないかという心配すら見え隠れしている。
 居られなくなるという事は、普通に考えて追放、昔で言う村八分である。住居の自由は法律だか憲法だかで保障はされているが、きっと何かしらの手段で出来なくなるのだろう。一般常識ではありえない事だが、祖母と緒方家の力を考えるとあながちあり得ない話でもなくなってくる。
「嫌だな、冗談だよ。やらないやらない。俺、この島に来てからは真面目になろうと思ってるんだ。ほら、蓬莱様も見てる事だしね」
「はい、そうして戴けると助かります」
 多分、あまり信用していないな。
 成美の不安げな表情に、俺はそう思った。普段の言動が軽々しいだけに、それも仕方のない事だろう。
「っと、そうだ。次に出るバスって何時?」
「一時間置きですから、あと三十分ほどですね。どうかしました?」
「んー、今日さ水野さんが帰ってくるらしいんだよね。ほら、祖母ちゃんの秘書。俺、事故の事後処理とかで凄い世話になってるからさ、港に迎えに出た方がいいかなと思うんだ。まだお礼もちゃんと言ってないし。そうだ、ついでに船の時刻表とか知らない?」
 今後からこういった心配りも大事な務めになってくる。そんな気持ちもあっての事だ。
 すると、
「私は、必要無いと思います」
 俺は思わず自分の耳を疑った。普段から遠慮がちな成美がはっきりと自分の意見を、それも非常に強く否定する意見を述べたからである。人に意見を合わせるタイプと思っていただけに、尚更俺は驚いた。
「は?」
 成美は俯き加減で表情が良く見えない。けれど、今の抑揚の無い口調や纏った空気で、どんな表情をしているのかは容易に想像がついた。
 そんな俺の驚きが態度に出、伝わったのだろう、成美は急に我に帰ったようにハッと息を飲み、慌てて向き直って弁解を始める。
「いえ、その……水野さんは忙しい方ですから。かえって御迷惑になるかと」
「はあ、そう言うなら」
 成美はしきりに取り繕うが、この違和感はまるで取り繕えていない。しかしこれ以上を深く言及するのは本当に可哀相だと思い、俺は表面上納得した振りをする。
 何だろう、成美と水野さんの間には何かあるのだろうか?
 気になる。
 けど、それを口に出して訊ねるのは、また藪蛇になるのだろう。俺は空気を変えるための下らない話題を繰り出した。