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 学校へ到着すると、悠里とは職員室へ案内された所で一旦別れ、俺は来客室で待たされる事になった。朝礼で担任教師と一緒に行きクラスメートに挨拶するという段取りのようである。転校の経験の無い俺にはいまひとつピンと来ない段取りだが、学校側の都合であるならそれも仕方ない。
 時間まで俺は一人で来客室で待った。悠里が一緒に居て話し相手にでもなってくれれば退屈しなくて済んだだろうと思う。けれど、朝は委員長としての仕事もあるのでそういう訳にもいかないようである。成美ほど時間に自由が利かないのだ。やはり、いざという時に頼りやすいのは成美である。
 今朝は顔も合わせていないから、今頃成美は布団で寝ているのだろうか、医者にでもかかっているのだろうか、そんな想像が膨らむ。電話してみようかと携帯を開くものの、話すのも辛い状態ならかえって迷惑だろう。メールも同じだから、昼ぐらいになってから送ってみようか。そう思っていたその時、担任教師がやってきた。教室への移動のようである。
「それでは生徒には、見上裕樹様のお名前で紹介して宜しいでしょうか?」
「はい、見上で。緒方の人間ではあるんですが、一応まだ見習いのようなものですから」
「分かりました。席については何か希望はございますか? 本日は一番後ろの席となっておりますが」
「何でも構わないですよ」
「それでは、勉強科目等で何か御要望等は?」
「それも特に」
 行きすがら、担任の荻本は何度も細かく俺についての質問や確認を繰り返した。どれもが自分にとってかなりどうでも良い内容が多く、俺はほとんどを特に無しで返答を流した。正直な所、あまり良い気分では無い。担任は担任で立場や責任もあるだろうが、こちらには有無を言わさず一方的に露骨な特別扱いをするのは、何か醜い腹の探り合いをしているようで癪に障るのだ。
 昨日訪ねたのと同じ教室へと入る。教室は廊下からでも分かるほど騒がしく、担任が入ると同時にぴたりと静まるのは前の学校と同じだった。続いて行われた、日直の号令による起立礼着席のセットも、特に変わったところはない。日常的な学校でのやり取りだ。そう俺は安堵する。
 教室にいた生徒は、ざっと数えて五十人くらいだろうか。空席は二つ、一つは成美でもう一つが俺の分だろうと想像する。生徒の男女比率は同じ程度で、偏りは感じなかった。
 やはり先生の前だからか、昨日見せたような興味本位の視線や内緒話を交わす姿は見られず、ただ黙って先生の話を聞く緊張感のある姿勢を誰もが徹底している。幾分か、皆が制服ではなく私服のためそれほど緊迫しているようにも感じなかった。随分まとまりのある学校だ。それが一番率直な感想になるだろう。
「では皆さん、以前告知した通り、本日より転校生をお迎えする事になりました。どうぞ、御挨拶を」
 担任に促され教壇の真ん中へ移る。すると、一斉に教室中の視線が自分へ集まってきた。白壁島に来てからは視線など常に浴びているようなものだったが、改まった場で注目されるのは人前に立つ事をさほど意識しなくとも及び腰になってしまう。ただ、どの視線からも少なからず好奇心を感じられる事が、むず痒くて仕方なかった。
「えー、初めまして。見上裕樹と言います。まだ白壁島には越して来たばかりなんで、恐る恐る生活している感じです。割とオープンな方なんで、みんな気軽に声かけてくれればと思います。どうぞよろしく」
 直後、誰かが大きな拍手を打ち鳴らし、それに続くようにとまばらな拍手が鳴らされる。口火を切ったのはやはり担任で、その不自然に大きな拍手は強要しているようにしか聞こえない。俺に気遣っているのかもしれないが、あまり嬉しくない配慮だと思い、浮かべたばかりの笑みが引き攣る。
 そして、
「ありがとうございました。さて、皆さん。知っている者もいるでしょうが、見上様は緒方家の御子息です。くれぐれも失礼の無いように注意して下さい。不遜な態度や言葉遣いといったものは、緒方家に対する侮辱となる事を忘れぬように」
 拍手も終わらぬ内に担任の口からそんな注意事項が並べられる。思わず俺は引き攣った笑みすら失い、声を漏らしそうになった。それでは今の自己紹介の大半が否定されたようなものになるからだ。自分にはそんな特別の配慮も要らず、ましてやこれではただの脅迫でしかない。
 何て余計な事を言うのか。
 そう俺は横目で担任を睨み付けたが、それに関しては気付く事は無かった。
「それでは見上様、御席は中央の列の最後尾になります」
「はい、どうも」
 苛立ちから少しぞんざいになった返答を返し、指定された席へと移る。普通ならここから転校生への質問タイムなどが始まるんじゃないかと思っていたが、とてもそんなものが始まりそうな和やかな空気ではない。むしろ、大切にしないと祟られてしまう厄介な神様が来たかのような、そういう雰囲気だ。
「あ」
 自席へ着いた途端、左隣の席に悠里の姿を見つける。悠里はにこやかに微笑むものの、教師の前だからか声を出す事をしなかった。きっと教師の前では軽々しく話しかけられないからだろう。
 なんだ、良い席じゃないか。
 そんな事を思った直後、その悠里の席のすぐ前が今朝バスプールで会ったあの菊本である事に気が付き、喜びの表情が半分曇る。普通席順は苗字のあいうえお順で、菊本と縁だから席の距離は離れているべきである。この学校ではあいうえお順ではなく、他の基準なのだろうか。ほんの一瞬だけ、担任に無理を言い菊本の席を遠ざけて貰おうかと考えてしまった。
「見上様、左手の彼女、縁悠里は高等部代表、その手前が代表補佐の菊本一哉です。何か問題等がございましたら、この二人に遠慮なく言いつけて下さい」
 その言葉に、悠里はイスからふわりと立ち上がり微笑みながら会釈する。
「どうぞよろしく」
 そして、それに続き菊本は、
「どうぞ、よろしく」
 同じように立ち上がり、背筋や指先をきっちり伸ばした姿勢で一礼するものの、担任からは見えないのを良い事にさも憎々しげな表情を浮かべる。
 生真面目な人間にほどあまり好かれない自分だったが、初対面からすぐにここまで目の仇にされるのは始めてである。どうにも気の休まらない人間が必ずどこかに居る学校生活になりそうだ。俺は溜息の一つも漏らしたくなりながらも、にこやかに二人に応えて見せた。