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 午後の授業は変則でニコマ、その後はホームルームだけで放課となった。この学校では専門の清掃業者がいるらしく、生徒が掃除をする事はほとんど無いそうだ。掃除を覚える機会が無くなるのではと疑問に思ったが、そもそも掃除は各家庭で親から教えられるものだというのが白壁島のスタンスらしい。よく考えてみれば当たり前の事ではある。
 ホームルームの後は教室で何人かと談笑に耽った。昼休みに話し足りなかった分もあるが、自分自身でもまだまだ知りたい事は多く、何よりも早く転校生という認識を薄れさせたかった。この島の生まれでは無い以上、輪の中に入り周囲と溶け込もうとする気持ちは必死だ。
 放課後は部活動があるため、思っていたほど長い談笑にはならなかった。時間と共に部活動へ次々と行ってしまう。この学校は部活動のための建物や屋内施設がこれでもかとばかりに充実している。何かしら目的があれば、下手に町へ遊びに繰り出すよりも案外面白いのかもしれない。
 結局最後まで残ってしまった俺達も教室を後にする事にした。ただし、俺は部活動をしている訳ではないので、向かう先はバスプールになる。
「ねえ、前の学校で部活動は何してたの?」
 帰り支度を始めていると、ふと悠里がそんな事を訊ねて来た。
「前の学校? 俺は何もしてないんですよね、帰宅部って奴で。授業終わったらもうすぐかえって遊んでましたから」
「じゃあ、こっちでも何もしないの?」
「まだ決めてないです。ほら、当主になるための勉強もしないといけないかなあって。そういう整理がつくまでは、自分の事は二の次三の次かな」
「裕樹君って真面目ね。いつも軽いノリだから、そうかと思ってた」
「俺は生まれつき真面目ですよ」
 教室を後にし、階段を下りて玄関を通り校舎の外へ。誰もいない殺風景なグラウンドの隅を歩きながらバスプールへと向かう。
 放課後の学校は昼間とは打って変わってそこかしこがしんと静まり返っていた。前の学校では放課後になってもどこかしらで騒ぐ声が聞こえていたし、グラウンドは運動部が所狭しと駆け回っていた。体育館からも地鳴りのような飛び跳ねる床音が聞こえていたし、日中に比べたら放課後の方が騒がしいほどである。白壁島の方が校舎は綺麗で立派だが、圧倒的に生徒数が違う。そのため放課後は廃墟のような薄ら寂しさのようなものを感じてしまう。
「悠里さんは部活動はしてないんですか?」
「私は水泳部よ。今日は予定があるからお休みなの」
「わお、水泳部。だったら俺も入っちゃおうかな」
「何が、だったら、かな?」
「いやあ、何だろうね?」
「明日は私は部活に出るけど、裕樹君も来てみる?」
「行きます。覗きに行きます」
「やあねえ、もう」
 下らないじゃれあいだが、すぐに乗ってくれる悠里とはつくづく性格が合う。まだ短い付き合いだが、悠里は自分にとって非常に好ましい存在である事を何度も実感する。人間関係のまっさらな状態で見ず知らずの土地に来る不安は非常に大きかったが、こう相性の良い人とすぐ巡り合えたのは実に幸運な事だ。
 バスプールに着いて間も無く送迎バスが到着する。たまたま時間が丁度良かったらしい。
 発車時刻まで数分ほどである。待つのが苦になる時間ではない。俺達は一番後ろの長椅子の席に座った。この席は手足がゆったりと伸ばせるから一番息苦しさが無くていい。それにまだ、普通の席だと悠里との距離が少しばかり気になってしまうのだ。
「ねえ、裕樹君。少し込み入った話をしてもいい?」
 そうしてバスの発車を待っているさなか、不意に悠里がそんな事を訊ねて来た。
 込み入った話とは何だろうか? 漠然と訊かれても俺には答えようが無い。とりあえず俺は肯定の意味で頷き返した。
「裕樹君さ、今日嘘ついてたでしょ」
「え? 何の事です?」
「ほら、みんなに色々訊かれてたでしょ。その時」
 思わぬ質問に戸惑い、口をすぼめる。
 いきなり嘘をついているだのと言われるとは予想だにしなかった。どんな意図で訊ねているにせよ、簡単に見透かされるのはあまり面白くない。俺は動揺しないように気持ちを引き締める。
「ちなみに、何が嘘だと思いました?」
「転校の理由かな。多分嘘ついたのはそこだけだと思うんだけど」
「何故嘘だって思うんです?」
「こう見えて、人を見る目はあるのよ。だから部代表に選ばれたんだもの。嘘ついてる事くらい分かるわ」
 ただの勘で言ってるだけじゃないか。
 溜息を漏らしかけ、しかしすぐに何でもない素振りを見せようと表情を改める。簡単に腹を立てては底が知れてしまう。俺は殊更平素をアピールすべく、少し口元を緩め笑って見せる。すると悠里はそれを大丈夫なものと解釈したのか、更に遠慮せず切り込んできた。
「本当はどうして転校してきたの? お姉さんに教えなさいな」
「緒方家の跡取りが見つかったからですよ。祖母も孫の俺に会いたがってたみたいだし」
「それなのに、裕樹君は苗字がそのままなのね。緒方に籍を移さないの?」
「正式に当主となったら移しますよ」
「でも変ね。後継者は順当でいったら裕樹君の両親になるんじゃないかな。両親はどうしたの? 一緒に越して来なかったの?」
「ん? えっと……」
 一瞬、吐き気のような不快感が胸に充満し、俺は言葉を詰まらせる。
 誤魔化すべきか? 素直に話すべきか?
 その選択が一瞬では付かないほど異様に重く、俺は詰まらせたまま口を閉じすっかり機を失ってしまった。様々な言葉が頭の中を駆け巡るものの、一つとしてうまく誤魔化しきれるようなものは無い。自分の語彙の乏しさ、事前の準備を怠った事が今更悔やまれる。
「どうしたの?」
「いえ……まだ、あまり話せる感じじゃなくて」
「そう。ごめんね、何か悪い事訊いちゃったみたい」
 申し訳無さそうに悠里が俺の顔を覗き込む。こちらの事情を知らないため言ってしまったのだから、何も悠里に非は無い。ただ、俺の動揺はそれとは無関係だ。特定の単語に対して機械的に反応し気持ちを蝕む。やはり上っ面だけ平素を保とうとしても、連想する言葉で簡単に崩れてしまうようだ。
「この事はもう訊かない事にするわ。でも、話せる様になってからでいいから、私には話してね。話す事で楽になることってあるものよ」
「はい、分かりました」
 悠里はそれ以上追求する事は無かった。訊ねられない事に安堵を覚えるものの、これは果たして当主らしい行動だったのかとすぐに不安が込み上げてきた。たまたま悠里が相手で良かったと思う。どちらにしても、悠里はさほど気に留めないだろうし、むしろフォローする側に回ってくれるからだ。
 改めて俺は、悠里のような人間と逸早く知り合えて良かったと思う。意外に鋭く、精神的な包容力がある。確かに気の弱い人間なら容易に依存してしまいたくなる。それだけ頼もしい仲間という事だ。気は許せるけれど抜く事は出来ないような所はあるけれど。