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 翌朝、俺は携帯のアラームで目を覚ました。寝ぼけた頭で手繰り寄せ、画面に表示されている数字をしばし眺める。それが一日の中でどの位置に当たるのかを理解した時、俺は思わず溜息をついた。前日、明日は少し早く起きて成美の様子を見ようと思っていたのに、肝心のアラームを早めの時間に設定していなかったからだ。
 まだ生活のリズムが出来ていないせいもあるが、こんな単純な事に気づかない自分の間抜けさ加減には幻滅すらしてしまう。精神的に落ち込み易い状態にあるせいか、こんな些細な失敗すら妙に身に堪えてならなかった。
 朝食を食べた後に少し早く出かける振りをすれば見舞う時間はあるだろう。そう気を取り直しながら、俺は布団を畳んだ。
「裕樹様、起床のお時間です」
 服を着替えた調度その頃、部屋を訪れる誰かの声が聞こえてくる。俺は返事を返し入って来ることを促した。
「おはようございます」
 やってきたのは成美だった。成美は一礼して控えめに部屋へ入りそっと戸を閉める。ここでの会話が外へ漏れないようにするためだ。
「おはよう。体調崩したって聞いたけど、もう大丈夫なんだ?」
「はい、御心配をおかけしました」
「そっか。今日は学校来れそう?」
「大丈夫です。今日はきちんと御案内いたしますので」
 見たところ成美の体調は回復しているようである。ただ昨日の例もあるように、日頃が大人しいのと遠慮して我慢するような性格だから、本当に全快なのかは油断が出来ない。あまり軽率なことをして困らせないように気を使った方が良さそうだ。
「あの、見上さん。布団はそのままで結構だったんですよ」
「ああ、これ? でもこれくらいはやっておかないと」
「でもシーツを取り替えないといけませんから。それに、畳み方は二つ折りじゃありません」
 そうなんだ? 成美の微苦笑に俺はおどけて小首を傾げて見せる。
 早速成美は俺がいい加減に畳んだ布団を広げ、シーツをはいでいく。確か温泉旅館の中居さんもこんなことをしていたと思う。同年代で、こういった自分とは馴染みの薄い仕事をてきぱきとこなす様には思わず見入ってしまう。
「昨日は学校は大丈夫でした?」
「ん、特に何とも無かったよ。いやあ、割と溶け込めるもんだね。都会モンがってハブられるかとヒヤヒヤしてたよ」
「そんな悪い人は白壁島にはいませんよ」
「だよね。あ、でも例の菊本。あいつは別だな」
 そうなんですか、と成美は意外そうに目を瞬かせる。普段菊本は成美に対してああいった態度は取らないからだろう。いや、そもそも自分だけを特別視しているのかもしれない。そういう態度の使い分けをする人間は好きになれない。何やら菊本に対する嫌悪感が深まったように思った。
「そういえば、昨日は悠里さんが迎えに来てくれたよ」
「悠里さんがですか?」
「うん。玄関までわざわざ。学校行きのバスとか教えて貰ったんだ。教室も席が隣だったしね。菊本の席がそのすぐ近くじゃなきゃ最高だったんだけど」
「悠里さんは部代表ですから。学校側も緒方家を受け入れるのに問題を起こす訳にはいきませんし、生徒側の責任者となるとやはり悠里さんや菊本さんになりますから」
「でもさ、菊本ってなんか感じ悪いよなあ。初対面から突っ掛かってきたし。ホント、悠里さんは親切で優しいからいいわ。話も合うし」
 そうしている内に成美が布団を畳み終えた。シーツの他に枕カバーも外している。こういう直接触れるものは毎日変えてくれるのだろう。
「見上さん、今日は学校にはどのように行きますか?」
「うーん、やっぱりバスかな。それに悠里さんも迎え来るし」
「では、そろそろ朝食を食べて下さい。そよ様をお待たせするのは良くないですから」
 早くしろと言わんばかりに部屋から追い立てられる。急に何事だと言い返す間も無く、成美も外したシーツを抱え足早に部屋から去っていった。
 確かに朝食の時間も間もなくだが、最後の物言いがどこか突き放されるように聞こえてならなかった。仕事を邪魔したことがそんなに癇に障ったのだろうか。たとえそうだとしても、成美はそういった不満を露骨にする事は無い性格だと思っていたのだが。
 やはり、病み上がりで平素とは何かと心持が違うのだろう。今のはたまたまそうなってしまっただけなのだ。そう俺は自分に納得させた。