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 半月も経った頃、そろそろ白壁島での生活が落ち着き始めたと思えるほどの余裕が持てるようになった。
 新学期が始まってすぐの事件、今まで存在すら知らなかった祖母の事、急な生活環境の変化や白壁島という特殊な土地への引越しと、次から次へと畳み掛けるように起こる出来事に、俺は流されるまま戸惑う暇も無かった。今思い出してみれば、両親の事故から最初の一週間と変わらないほど時間の感覚が薄い。単に新しい環境に馴染むだけでなく、緒方家の次期当主という特殊な問題も浮上して来て、いちいち立ち止まり考え選ぶような暇すら無かった。
 それらがようやく落ち着いて一息つける状況になった。これまで、忙しさに感けて両親の事や自分の身の上を考えずに済んでいたが、また抜け殻のようになるのではという不安も少なからずあった。しかしいつの間にか気持ちの整理がついていたらしく、それほど気持ちの沈みは無かった。こうなると、断然生活には余裕が出て来る。そしてその余裕が、今最も大切な当主になるための努力する姿勢をブレさせる。余裕が出来たとしても、今度は堕落した生活への誘惑との勝負になる。怠け癖のある自分にとっては、それの方が大きいように思う。
 息抜きは適度にした方が良い。生来の不真面目な人間なのだから、それを反転させっ放しにするのはどこかしら無理が生じる。しかも、一度諦めてしまった時の反動が大きく二度と立ち直れない事も考えられる。それほど自分が意志薄弱である自覚はある。だから、決して妥協や甘えでは無くて、息抜きを適度にした方が良いのだ。
 息抜きは適度に必要。
 その日も俺はそんな事を考えながら家路に付いていた。何もしていない時ほど自分の怠け癖が気になって仕方ないため、それを紛らわせるために唱えるお呪いのようなものである。
 商店街のバスプールへ向かう車中には成美と二人で、朝は一緒にいる悠里は部活動に出ている。俺はまだ部活はどこに入るとも決めていないため放課後は適当にだべってから帰り、成美も必然的にそれに合わせる。主人と付き人という単語が嫌でも連想される、実に奇妙な関係である。それによる、時折見せる成美の遠慮が未だどうしても心苦しくて仕方ない。
「ねえ、成美ちゃん。そういえば来週ってゴールデンウィークだね」
「そうですね」
「何か予定はあったりするの?」
「いえ、私は緒方家の使用人ですから。学校が無ければ仕事をします」
「んー、何かそれ勿体無いなあ。遊びたいとかそういうの無い?」
「白壁島ではそもそもゴールデンウィークはあまり関係ありませんから。学校だけが休むようになったのも一昨年からですし、勤め人は普通に出勤しますよ」
「何でまた?」
「普通のカレンダーと、白壁島のカレンダーは違うんです。白壁島にとっての祝日は、大晦日と正月、後は天皇誕生日だけですから」
「それも緒方家の方針?」
「そういう事になります」
 緒方家の威光はカレンダーすら左右し、住民には勤勉さを強いるものらしい。
 昔ながらの伝統が続く緒方家らしいといえばらしいのだが、祝日が世間とずれている事に誰も不満は無いのかと疑問に思う。それは単に、休みは多ければ多いほど良いという自身の堕落した持論に基づくからそう思うだけなのかもしれないが。
「学校の授業が無いと言っても、俺は水野さんの授業かなあ。当主になるためだって言うけど、結構難しいんだよね」
「捗っていますか?」
「まあまあかな、多分。ほら、水野さんて褒めたり怒ったりしてくれないからさ、実際どのレベルにいるのか分からないんだよね。なまじ美人だから無表情にされると近寄り難い威圧感あるし」
「見上さんは水野さんが苦手なんですか?」
「苦手っていうか、もうちょっと仲良くなりたいだけだよ。何か一線引かれるって言うか、見えない壁作られてる気がして。もっとも、水野さんにしてみれば俺は気さくに相対せるような相手じゃないのかもしれないけれど」
 そうですか、と成美はぽつりと答えた。気の無い返事をする所を察するに、おそらく成美は水野さんに対して苦手意識が無いからあまり俺の言っている事が共感出来ないのだろう。
 そういえば、前に成美は水野さんの事で妙な反応をした事がある。水野さんが本土から戻って来るのを迎えに行く行かないの話をした時だ。使用人同士で何か派閥でもあるのだろうかと勘繰ったものだが、案外普段から接点が無いので気まずいだけなのかもしれない。
「水野さんも仕事はありますから、見上さんに付きっ切りとはいきませんよ。少しぐらい遊びに出かける時間はあると思います」
「そうだね。じゃあそしたらさ、適当に理由付けて成美ちゃんも連れ出すよ。俺の御付って名目あれば大丈夫でしょ?」
「そうですけど……見上さんは宜しいのですか?」
「いいのいいの、遠慮するなって。他にも人集めてさ、どっか遊びに行こうよ。俺、あんまり白壁島の遊ぶ場所知らないし」
 成美の遠慮がちな部分は元々の性格と思っていたが、単に俺が次期当主の立場だから遠慮している場合が多いようである。だから成美に遠慮されればされるほど、俺は成美を巻き込みたくなる。あまり行動に自由の利かない微妙な立場にいるのだから、一人でも多く身近に囲っておきたいのだ。要するに、俺の一方的な淋しがりである。
「成美ちゃんも仕事ばっかりじゃなくて、たまには友達と遊びに行きたいでしょ?」
「友達、ですか?」
「そう。なんかこう、カラオケ行ったり、買い物したり、どこかで御飯食べたりさ」
 しかし成美は困った表情で俺の方を見返すばかりだった。そこには悲壮感さえ見え隠れしている気がする。そんな何かが入り交じった、実に申し訳なさそうな表情で成美は口を開き、
「私は良く分かりません……」
 そう答え、うつむいた。
 成美は小さい頃から緒方家の使用人として働いていたのだから、もしかすると親しい友達は出来なかったのではないだろうか? もしもそうなら、今の質問は随分と無神経である。いや、それぐらいは俺の方こそが初めから察してやるべきなのだ。
 また余計な事を言ってしまった。考えも無しに思いつきで並べるから。
 俺の口から乾いた笑いがこぼれる。
 きっと、さぞかし殴り甲斐のある表情をしている事だろう。何と無しに自虐的にそう思った。