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 その日の放課後、四月のカレンダーがいつの間にかめくられて五月となっていた事に気がつく。白壁島ではほとんどの祝日が休みではないと成美から聞いた通り、確かに五月のカレンダーだというにも関わらず祝日という祝日が一切色付けされていなかった。一見すると平日ばかりが並んでいる月のように錯覚してしまう内容である。祝日自体はそれぞれ記述があるので存在はしているようだが、それは休むためのものではないという製作者の意図がはっきりと感じ取れる。月末が近づけば、すぐに次月の祝日を数え遊びの予定を立て始める俺には考えられない事だ。
 ゴールデンウィークの間も当然白壁島は休日ではないのだが、唯一の例外として学校は休みとなる。週明けからそれが始まるという事で、その日の放課後は普段よりも多くクラスに残っていた。無論理由は皆一緒で、連休中の遊びの予定である。
「今年もまたする?」
 と提案したのは、一つ年下の一年生の男子。どうやらそれが毎年の決まりごとらしく、すぐに周囲からああだこうだと意見という訳でもない声が疎らに上がる。
「またって、何か毎年やってる事でもあんの?」
 そう訊ね、答えてくれたのは別の生徒。以前もトイレの場所を教えて貰った事がある生徒だ。
「ゴールデンウィーク中は天気が良い事が多いから、キャンプと花火大会するんだよ。みんなで集まって」
「へえ、五月なのに。普通キャンプって言ったら夏場じゃない?」
「そうだけど、まあ、外泊の口実みたいなものだよ。結局のところ、普段より長く遊びたいってだけだからね。親とか教師の目の無いところじゃないと、羽目を外す事も出来ないし。適当に騒いで、疲れたら休んで、また適当に騒いで夜を明かすって感じだけど、随分開放感があっていいもんだよ」
「メシや寝床はどうするの?」
「キャンプ場みたいな施設があってさ、そこは子供は無料で使えるんだ。白壁島が運営してる施設なのかな? バンガローがあるから雑魚寝くらいは出来るよ。食べるものは大体コンビニで買い揃えるけど、やっぱりカレーかバーベキューぐらいはするもんだよね」
 小学生の頃に林間学校という行事でそんな事をした記憶がある。ただ、何かと教師が煩く口を挟み主導するので、少しも楽しいとは思った覚えがない。
 なるほど、開放感か。
 何気なく放ったであろうその一言だが、俺は長らく忘れていたときめきのようなものを感じた。確かに白壁島に来て以来、人の目は四六時中気にして生活している。しかも緒方家らしく次期当主らしくと常に意識しているから、慢性的な窒息感が付きまとっている。親も学校も関係無いところで、子供達でだけで騒ぐ、確かに単純だが何とも筆舌し難い魅力を感じる。俄かに思い出してきた、あの時これが出来ればな、という当時の悔やみに気持ちが揺さぶられる。そして、騒ぐ事の好きな自分がそれを抑える理由も無かった。
「俺も行ってみたいな、それ。人数制限は無いでしょ」
「そりゃあ勿論。でも、見上君って家の人は大丈夫? ほら」
 そう濁す言葉が指摘する所に気づき、はてと自分も首を傾げる。母なら父が許せば良いと答え、父は勉強を終わらせたなら良いと答えるのがうちでの常である。しかし今の保護者は緒方家、一刻も早く当主として認められなければいけない立場なのに、果たして遊んでいる隙などあるのだろうか。そう考えると、祖母はとても許してはくれないような気がする。
「とりあえず、今夜聞いてみてメールするよ。時間とはその時に教えて頂戴」
「分かった。じゃあ期待して計画をまとめておくよ」
 普通の家庭ならこの程度の事は当たり前に許可するものだよな。そう俺は溜息をつく。自分の置かれている立場、自覚や理解が足りないのは承知しているが、それでも普通に遊びたいという誘惑は捨てきれない。それをそのまま祖母に訊ねてみたら、やはり叱責を受けてしまうのだろうか。絶対とは言わないまでも極めて濃厚な線だが、簡単には諦めきれない。実際やってみるまで納得しない、自分の悪い癖である。
「そよ様、許して頂けると良いね」
 いつの間にか不安げな表情でもしてしまっていたのか、不意に悠里がそっと俺の肩を叩く。俺は慌てて表情を緩めた。
「そうだねえ。一日くらいは許してくれるといいんだけど。何か訊くのがちょっと怖いなあ。もし駄目だったら、悠里さん慰めてね」
「いいわよ。思う存分付き合ってあげる」
 にっこりと微笑む悠里に、ありがとう等と戯れながら俺も笑う。ふとそんな時に鋭い視線が向けられている事に気がつき、俺は慌てて気づかないふりをしながら平素の振りに自分を戻した。
 どうやら、こういう事だけでも成美はあまり面白くないらしい。