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 件のキャンプは週明け月曜日だった。休み初日とは随分張り切ったものだと思ったが、天気予報によると週末から崩れるそうなので早めにした方が良いのだそうだ。白壁島の天気予報は、何でも緒方家による独自の気象観測システムがあるらしく、テレビよりもよほど正確な予報が出せるらしい。普通に考えて、一個人で気象観測をするなど有り得ないのだけれど、何かと目に付くものの大概が緒方家の出資したものだったり資産だったりするような事が続いたため、今となっては、そういう事もあるだろうとしか思わなかった。
 集合場所は商店街の中央にある第三バスプール。俺は少し早い時間に出て、近くの喫茶店で時間を潰していた。同行するのは、成美と浩介の二人。成美は初めから予定の頭数に数えられていたが、浩介の参加、というよりも中等部の参加を知ったのはその時にだった。
「じゃあ、毎年中高でやってるんだ?」
「はい、そうです。自分は、今年は人手が足りなくなるかもという事で誘われただけですけど」
「ん、浩介君は来るつもりじゃなかった?」
「今年は随分中等部からの参加人数が多いらしく、要は荷物の運び手が足りないそうで、それで」
「なんでまた今年に限って増え……って分かったぞ、それは転校生を見たさだな」
「というよりも、裕樹様の噂が中等部では非常に多くて。学校では中々接点が持てないですから、これを機にというのが大方の理由だと思います」
「なんか未だに珍獣扱いだなあ、もう」
 学校生活では別段特別視される事も無く、むしろ都会から来て勝手の分からない転校生として良くしてもらっている。しかし中等部からは、普段見え難い分、それこそ生まれて初めて目にする外国人なんかのような存在に捉えられているようだ。別段上下関係に細かい方でもなく、ざっくばらんな付き合いが好きなのだけれど、今は緒方家の絡みもあり一概にそうは出来ない。これまでは諌められる立場だった自分が、相手の行き過ぎた行為には諌められるのか。早くもそんな不安が過ぎる。
「そんな訳で、成美ちゃん。俺は怒ったりするの苦手だから、いざという時にお願いね」
「分かりました……何とかしてみます」
 無理な事は分かって言ったのだが、頼まれたら嫌とは言えない性格のせいだろう、こちら以上に不安げな返答をする成美。やはりこういうのは部代表でもある悠里の出番だ。単なる憎まれ役ならば、菊本当たりで十分なのだけど。
「あと、裕樹様。実は頼まれ事があるんですけど」
「なに?」
「その、クラスの女子から裕樹様を紹介して欲しいと言われてまして」
「ふうん。いいんじゃないの? 俺も仲良くするきっかけとか欲しいし」
「えっと……いいんですか? 本当に?」
「いいってば。何でそんな深刻な顔してるんだよ」
「あ、いえ……分かりました」
 浩介の驚いた表情に俺は小首を傾げる。自分から訊いておいて、どうして驚くのだろうか。少しそれを考え、多分成美か悠里かに気でも使っているのだろう、という所に行き着く。それなら、何も成美の目の前で訊ねるなよ気が回らないな、と浩介に向かって心の中で念じた。
 ふと成美の方を見ると、いつも通りの穏やか表情だった。しかし、何故か視線を合わせてくれない。
 拗ねるような甘える性格ではないから、まさか嫉妬しているのではないだろうか?
 そんな自惚れを思い浮かべ、一人苦笑いする。あまり成美が居心地が悪くならないよう構ってやらなければ。そう思った。
 やがて時間も近づき、俺達は喫茶店を後にしてバスプールへ向かう。そこには何名かの人だかりが出来ていた。まだ集合時刻ではないが、気の早い者は思ったよりもいるようだ。
「あら、裕樹君。思ったより早いのね」
「おはようっす、悠里さん。なんか今日は露出が控えめですね」
「虫が多い所に行くからよ。刺されたらみっともないじゃない」
 人だかりの中には悠里の姿もあった。いつものように、真っ先にこちらに声をかけてくる。最初の挨拶にしても最近はお決まりの調子が出来つつある。
「ああ、やっぱ虫刺されるのか。やべ、俺虫除け持って来てないわ」
「裕樹様、自分が準備していますよ」
 浩介が荷物から素早く取り出したのは、スプレー型の虫除け。最近のは随分と小型になっているらしく、ポケットに入れても違和感がなさそうなほどスリムな本体だ。
「お、サンキュ。ちょっと早速やってよ。先に背中で……ちょ、前はいいって! うえっ、口ん中入った!」
「す、すみません!」
「気をつけてくれよう、もう」
 一瞬、怯えのような色を見せる浩介。口に入ったのは事実だが、それを殊更怒るつもりなど初めから無く冗談のつもりで言ったものの、浩介がそんな反応をしたためいささかばつが悪くなってしまった。
 成美といい浩介といい、なんて緒方家の使用人は無駄に真面目なのだろうか。俺はおどけて浩介の頭を軽く小突き苦笑いする。
「こういうスプレーじゃない奴もあるわよ」
 悠里が差し出したのは、先ほどと同じぐらいの本体だがキャップを外すと丁度液体ノリを塗る部分に良く似た網目状のヘッドになっている。ノリを塗るのと同じ要領で、若干時間は掛かりそうだがスプレーのように口に入ってしまう事は無さそうである。
「これで首筋とか胸元とか塗るんですね」
「そうね。でも、私はもう塗ったから」
「そうですか。じゃあ成美ちゃん。前側は俺に任せるんだ」
 と、呼びかけた直後、
「結構です」
 と、少し怒った風に口を尖らせ、はっきりと拒絶された。そして、その脇でおろおろと双方を見比べている浩介から虫除けをもぎ取り、自分で自分に吹きつけ始める。
「裕樹君、そうやって苛めちゃ駄目よ」
「でも、ああいう反応されるとつい。可愛くって」
 そうね、と悠里は笑い俺もそれに続いた。しかし、再び成美に非難めいた視線で睨みつけられ、御免と謝りのジェスチャーを送った。