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 三十分ほど経ってようやく目的地に到着する。バスが止まったのは一台が乗降するのにやっとなほどの小さなバスプール。降りてすぐ、白壁島キャンプ場とポップな書体で描かれた看板が目についた。
 周囲は見渡す限り鬱蒼とした木々が生い茂っている。今走ってきた道路とバスプールに隣接している駐車場ぐらいしか、舗装された所は見当たらない。にも関わらず、携帯を開けば余裕で通話圏内である事を示すアンテナが立っている。これは白壁島らしいちぐはぐさだ。
「よーし、全員荷物持ったかー。移動するぞー」
 幹事の号令で一同は各々買い物袋や段ボールを抱え出発する。荷物の中身は、食料や飲み物、花火といったものである。機材はみんなキャンプ場で用意して貰う予定になっている。だがこの人数ともなれば、食料だけでもなかなかの大荷物になる。段ボールを抱えて行くような遊びなど、これまで体験しなかった事だ。それだけに、期待で胸がうずき気持ちがわくわくするものがある。
 バスプールからキャンプ場までの距離はさほども無く、すぐに敷地内へと入って行った。キャンプ場は切り開かれた草原の中にあるのではなく、森の中を部分部分スペースを作ってはロッジやちょっとした広場を設けた構成になっている。如何にも森の中にいる気分が味わい自然楽しむといったロケーションだ。ただ、果たしてこんな所で花火などやって火事にならないか、いささか不安である。
 やがて屋外テーブルが幾つも並んだ広場に到着すると、一旦荷物を下ろし確認が始まる。広場の周囲には屋根だけがついた屋外用の炊事場があり、そこには既に鉄板や鍋といった器具が揃えられている。後は火を入れるだけで使えるようだ。
「んじゃ、みんな飯の準備してて。俺、管理人さんとこ行ってくる」
 幹事の指示に一同が荷物を開け動き回る。どうやら昼食の準備が最初らしい。俺は料理などしたことは無いが、ボーッと突っ立っている訳にもいかない。取り合えず自分も何か仕事をしようと荷物の開封を始めると、
「裕樹君もいらっしゃい。管理人さんを紹介するわ」
 悠里に呼び止められ、そのまま幹事のところへ連れて行かれた。そこにはもう一人、菊本の姿もあった。親戚への挨拶も兼ねるのだろうが、相変わらずの如何にも面白くなさそうな表情を向けてくるのが気に障る。
 先程の広場から更に奥まった森へ続く道を歩いていく。僅かに高低差のある舗装されていない山道は、あまり日が当たらないせいか幾分の湿気を帯びていた。踏む度に靴底には湿った土が纏わり付き足が重くなる。その上、端々に生えている雑草も濡れて滑りやすく、小石が転がっているのも珍しくない。舗装されているか以前に、普段から人通りがほとんど無いように思えるほどの荒れぶりだ。キャンプ場の方はざっと見渡した限り綺麗に管理されていたのだが。ここの管理人は普段から常駐している訳でもないのだろうか。
 やがて木々の影が途切れ一軒の山小屋が見えてきた。リゾート地のロッジを連想させる小洒落た外観である。遠目からは手作り感が窺えたが、近くで見れば本物の木材ではなくコンクリートを似せた形に固めたものが多く、専門の業者が建てたもののようだった。
「すみませーん」
 幹事が入口の金具を鳴らしながら呼び掛ける。するとすぐに中から足音が聞こえドアが開いた。
「やあ、君達かい。よく来たね」
「またお世話になります」
「うんうん。お、一哉君も久しぶり。うちはみんな元気かい?」
「おかげさまで。今度酒でも飲みに来いと親父が言ってました」
「じゃあ近い内に。もう随分町には出てないからねえ」
 現れたのは、白髪は目立つものの背筋がしっかりと伸びた一人の老人だった。飄々とした語り口調と笑顔で出迎えてくれるこの老人、バランスの良い中肉中背に、左右がそれぞれ艶のある黒と赤のフレームという変わったデザインの眼鏡、薄赤の生地に赤紫のボタンのついたクレリックシャツと、体格といい格好といい随分と若々しい姿だった。しかも不自然さが無く、如何にも自由に老後を楽しんで過ごしているといった風体だ。
「ロッジの方は掃除しておいたから、好きに使ってくれていいよ。はい、これが鍵ね」
「んじゃ、これ。人数分の代金ですんで」
「はいはい、いつもどうもね。今領収書出すから、ちょっと待っててね。こういうのやっとかないと税務署に怒られちゃうからね」
 鍵と代金のやり取りを幹事と済ませ、老人はまた足早に家の中へ。程なくしてボールペンと白紙の領収書の束を持って戻ってきた。足取りもしっかりしていてもたつきがない。ここまでの悪路もこれなら大して苦にしないのだろう。そう思った。
「はい、宿泊代上様、と。おや、そちらの子は? 初めて見る顔だね」
 領収書を書き上げた老人がふとこちらの顔を見ながら小首を傾げた。
「俺、先月越して来たもので。見上裕樹と言います」
「ああ、なるほど! もしかして、そよちゃんのとこの!」
 そう嬉しそうに声をあげ、老人は強引に俺の両手を取って握手をする。突然の事で俺はいいように両腕を上下に揺さ振られた。
「僕は森下、ここの管理人をやってるんだ。森の中に住んでるのに森下って、いまいち締まらないなんて思っちゃいけないよ」
「はあ」
 突然の冗談に、俺は困惑して曖昧な笑みを浮かべる。しかし当の本人はこちらのリアクションなどまるで気に留めようともせず、ただ自分が言いたい事だけを並べていく。
「あの、そよちゃんって誰ですか?」
「ほら、君のおばあちゃんだよ。緒方そよ。僕は彼女とは昔っからの友達でね。よく一緒に遊んだものだよ。って、おっといけないいけない。一応緒方家の人には敬意を表さないとね」
 そう笑う森下老人。だが、悪びれるそぶりは微塵も感じられない。敬意なんて形だけ。そうとも取れるが、嫌な気分には決してならなかった。
 マイペースな上に開けっ広げな人物。彼の人柄を表すのにはそれだけで十分だろう。けれど、俺にとっては非常に好意的なタイプである。特にこの島の老人は俺を見るとすぐに拝んだりしてくるだけに、こういう反応は気楽で良い。
「まあ、森じいはこういう人なのよ。あまり気にしないでね」
「えー、悠里ちゃんたら少し冷たくなったんじゃないの?」
「元からこんな温度差だったでしょ。それに、裕樹君は次期当主なんだから、少しは大人らしくした方がいいわ。どうせ外の事なんてほとんど知らないんでしょ?」
「大丈夫、彼は綺麗な目をしているから。まさか、こんな生い先短い老人を虐めたりしないもんね?」
 そう問われ、俺は微苦笑しながら頷き返す。こうも軽口を自然に叩ける老人を見たのは生まれても初めてなだけに、普段は饒舌な方である自分が自然と無口になっているのが分かった。
 なんとなく、普段の自分と成美もこういう構図なのではないかと推測する。成美は成美で人並みに言いたい言はあっても、俺があまりに調子良く軽口を並べるから、言うに言い出せないでいるのかもしれない。
 客観的に見て、案外見苦しいものである。本当に自重はするべきだ。そう思った。
「じゃ、自分らそろそろ行きますんで。何かあったら連絡します」
「楽しんでおいで。火には気をつけるんだよ。僕も後から様子見に行くから」
 そして話が長引く前に幹事が打ち切り、俺達は最後に一礼し踵を返した。幹事は早速来た道を足早に引き返した。昼食の準備の進行が気になっているのだろう。続いて俺とは距離を取りたい菊本、最後に悠里と俺が後を追う。
「そよちゃんも長くない、もんな……」
 その去り際、不意にそんな呟きが聞こえてきた。すぐ振り返ったが、森下老人は中へ入りドアを閉めた後だった。
 傍らの悠里に視線を送ると、俺と同じものを聞いたのか、ただ無言で軽く首を振った。頷き返し、俺もそれ以上は画策せずその場を後にする。
 幼馴染みの死が近い。森下老人はそれがどうしようもなく悲しいのだろう。確認するまでもない、当たり前の事である。ただ俺には、今の口調はどうにもそれだけでは無いような気がしてならなかった。
 幼馴染みならば、緒方家に見舞いへ来れば良い。けれど今の呟きは、どこか行きたくても行けない、そんな口調に聞こえなくもなかった。それが、どうしても引っ掛かってならない。
 何か事情があって行けないのだろうか?
 そもそも俺の単なる思い過ごしではないだろうか?
 真意を訊ねるような状況でもなく、俺は思考をキャンプの方へと切り替える。しかし今の森下老人の言葉がどうしても気になって仕方なかった。