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 結局見つかったのは古い変電施設だけで、例の幽霊やらが出るとかいう廃墟は見つからなかった。もっとも、中等部とも顔見知りにはなれたのだから、全くの無駄足という訳でも無い。
 広場に戻ってきたのは午後三時過ぎ。人の姿はまばらで、持ち込んだサッカーボールでリフティングを競ったり、どちらが先に落とすかでバドミントンをしたり、はたまたどういう訳か屋外で読書をしている者もいた。自分が行事でやったキャンプは、常に何をしろあれをしろと指示が飛んでばかりでろくに自由時間も無かっただけに、こういったまとまりのない光景を見ているとうるさい大人を抜きでやっているという実感が強く沸いて来る。やはり遊びは自由にやるのが一番である。改めてそう持論を噛み締めた。
「お帰り。幽霊は出た?」
 戻ってきた探険組一行を見つけたのか、ばらけた集団の中から俺を見つけた悠里がペットボトルのお茶を持って来る。調度喉が渇いていた事もあって、俺は早速それを一息で飲めるだけを飲んだ。
「全然。その代わりに、変電施設があったよ。小汚い奴。あれ使われてんのかな」
「案外、そこで感電死した人の幽霊が出るんじゃない?」
「まさかー。それって大事件じゃないの? でも、なんであんな所にあるんだろ。このキャンプ場のためじゃないよね?」
「それらしいのなら、すぐ向こうにもあるわ。このキャンプ場ではそれを使っているんじゃないかしら?」
「普通は近くに建てるもんだよね。昔なんかあったのか。管理人さんに訊いてみようと思うんだけど」
「覚えてたらね。ほら、森じいはあんないい加減で物忘れも激しいから」
 そう肩をすくめる悠里に、そうなのかと小首を傾げながら苦笑。
 森下老人の記憶が曖昧だと、他に詳しそうな人を捜さなければなくなる。しかし、そこまで労力をかけるほどの興味がある訳でもない。
「普通に考えて、無線基地局か何かじゃないかしら。携帯、森の奥でも通じるでしょ?」
「うんうん。まあその辺が妥当だね」
 廃墟でも何でもなければ、幽霊すらいない。話の種として期待は全く無かった訳ではなかったが、そういった非現実的な話がそうそう転がっているはずはないのだから、妥当な結果だろう。むしろ、過程で期待や想像を楽しむためのものと割り切った方が良い。怪談や心霊スポットと同じレベルだ。
「おーい、みんなそろそろ時間だぞ」
 不意に声を上げたのは、いつの間にかやって来た幹事だった。彼はしきりに何かの期限が押し迫って来ている事を告げ、周囲に確認して回っている。一体何事だろうか? 悠里に訊ねてみる。
「バスの時間よ。ほら、買い出しに行ける店ってこの辺は無いでしょう? だから、今度のバスが最後のチャンスなの。逃したら明日の朝まで待たなくちゃいけないわ」
「ふうん、日暮れ前に最終とはローカルだね」
「白壁島は田舎ですもの」
 最後の買い出しのチャンスとなれば、差し当たって必要な物に心当たりはなくとも、自然と何か無いかと一通り持って来た荷物などを思い巡らせた。とはいえ、小学校で遠足に行く時のような張り切りで事前に必要なものは何度も確認しているため、差し当たって物要りは無い。
 それなら、大人がいないのなら、今回は自制していたこういう時は欠かせないあれはどうだろうか。
 ひとまず皆の意識の程を確かめるべく、まずは傍らの成美を少し離れた所へ連れ声を潜めて訊ねてみる。
「ねえ、こういう時ってみんな真面目?」
「真面目、ですか? 何についての事でしょう」
「ほら、こっちとかアレとか」
 露骨ではない適切なジェスチャーが思い浮かばず、指先をくるくる回して成美に汲み取るよう催促する。しかし成美は、次第に険しく眉間にシワを寄せた。
「あの……まだ学生ですから、そういう事は結婚してからでなければ」
「え? いや、それは誤解だってば。っていうか、古風だねえ」
「それでは何の事ですか?」
「ほら、未成年が口にするとアレな奴。吸うのと飲むのと」
 それでようやく理解したらしく、成美が一旦は感心の声を漏らす。しかし、それもすぐに元の険しい表情に戻った。
「見上さんは、もう少し自分の立場を弁えた方が宜しいです。以前の学校ではそれが当たり前でも、今はまがりなりにも緒方家の代表になろうという立場なのですから」
「いや、みんなその辺は真面目なのかどうか訊いてみただけだよ。それに、ちょっとくらい羽目外しても良くない?」
「いけません。周囲がどうでも、関係はりません。私は絶対に許可出来ません」
 周囲がどう羽目を外そうとも関係ない、それが緒方家の立場である。そう言わんばかりに、成美はこれまで見せた事も無い厳しい口調で言い切る。頑として譲らないその姿勢には驚くほどの威圧感、反論に窮する迫力があった。自分の許可無しでは許さない。成美が許可とはまるで立場が逆転しているではないかと思ったが、予想外に強い成美の姿勢に俺はたじろいでしまう。
「どうかしたの? そんな所で。さっきから揉めてるみたいだけど」
 声を潜めていたがいつの間にか声が大きくなって聞こえてしまったのだろう、悠里が不思議そうな顔で近付いてくる。
「い、いえ! 何でも!」
 咄嗟に出た声が上擦っている。
 当然の事である。悠里は部代表、委員長なのだから、こういう非行ネタはむしろ取り締まり監督する立場なのだ。わざと離れて訊ねたのも、悠里や菊本に聞こえないようにするためである。
「それじゃあ、どうして慌ててるの?」
「いや本当に何でもないですって。ねえ、成美ちゃん?」
 成美は無言で頷き同意を示す。対外的には話を合わせてくれるらしい。周りは良くても緒方家は絶対に駄目だと本気で思っているようである。
「またどうせ成美ちゃんのこと虐めてたんでしょ?」
「そんなあ、まさか。僕はいつも可愛がってますよ。こうして、可愛い可愛いと」
「そういう事にしておきましょう。ところで、そろそろ買い出しに出るみたいだけど、裕樹君は何にする?」
「何にって言いますと?」
「お酒。それとも飲まない方?」
 唐突に出たその言葉に、俺は耳を疑うよりも先に吹き出してしまった。悠里の立場上、有り得ない質問が飛び出して来た。
 俄かには信じ難く、自分の聞き間違いかもしれない。いや、そうに違いないだろう。すぐに俺は問い返そうとしたが、しかし、それよりも先に口を開いたのは成美だった。
「見上さんはジュースかお茶にして下さい。緒方家として、そういう事はさせられません」
「あら、いいじゃない少しくらい。みんなだって飲むのに」
「ですが、未成年ですから」
「大人はいないわよ? 森じいだって、人に言い触らしたりしないし」
「とにかく、緒方家としての体裁がありますから」
 普段は人に譲りがちな成美が、悠里を相手にも俺と同様に頑なに拒否する。いや、拒絶と言っても良いほどの強い口調だ。そこまで緒方家の体裁に気を使うのは、使用人の鑑とも言うべき模範的な姿なのかもしれない。だがそれを、自分よりも年下の成美が既にそういった自覚を持って行動する事が、俺には随分衝撃的だった。それほどまで緒方家の存在は成美にとって大きく重要なものだとしたら、俺はその気持ちにまるで釣り合わぬ気安い行動を取り続けている事になる。あまりに成美の潔癖な態度に、俺はいささか自分が恥ずかしく思えて来た。
「どうやらお許しは出ないみたいだから、裕樹君はまた今度ね。気分だけでも味わえるように、ソーダでも頼んでおくわ」
「そうして下さい」
 成美の態度に折れ微苦笑を浮かべる悠里に対し、その返答を送ったのも成美だった。まるで使用人というよりも保護者といった振る舞いだ俺は思った。
 もしかすると俺は、成美や浩介といった使用人達を通じて祖母に監視されているのかもしれない。
 非現実的だが、何となくそんな事が頭に思い浮かんだ。