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 夕食は、バーベキューというよりは雑多な鉄板焼きに近いものだった。炭火のコンロの上に鉄板若しくは金網を敷き、そこへ肉やら魚やら野菜やらを並べて焼いて食べる訳だが。バーベキューの定義として、金串に刺しバーベキューソースで味付けをする、というのが一般的な認識だと思う。けれど、この手順をきっちり守っているのは少数派である。バーベキューよりも普通の焼肉が好きで、初めからその準備をしている者。鉄板を活用し、焼きそばや野菜炒めを作る者。そもそもメニューにこだわりなど無く、目に付いたものを淡々と食べていく者。それらを合間にし、ほとんどを談笑や歌詞もいい加減な歌、踊りと緩急のついたじゃれ合いに費やしている。バーベキュー大会というより炭火を囲んだ宴会という様相になっているが、趣旨は形式ではなく楽しむことなのだからこれはこれで良いのだろう。昼食の時のように、カレーと蕎麦で無意味な争いが続いても仕方がない。
 日の入り頃から始めて、今はとっくに日も落ち周囲は暗くなっている。足元まではっきり見えるほどの明るい白色の街灯が幾つも立っているため気にはならなかったが、その光の届かない暗闇は如何にも森の中に居る事を実感させる黒く濃い闇で、自分たちは外界から隔絶された所にいるのだと実感させられる。そのせいか、普段以上に声を張り上げ笑うことに躊躇いが無かった。気兼ねなく騒げる環境は実に快いものである。白壁島に来て以来特に周囲の目を気にするようになっているため、殊更そう思う。
 焼けたものから奪い合うように食べ、取り留めのない話に花を咲かせる。自分だけはソーダやお茶ばかり飲んでいるが周囲はそうでもなく、時間と共に呂律が回り難くなり意思の疎通もままならなくなっていった。そんな中、一旦トイレに立って戻って来ると、周囲の静寂さと喧噪に妙な温度差をふと感じてしまい、すっかり興が削がれてしまった。
 和の中に戻り辛い。そう思う理由は単純で、皆はほとんど酒の勢いで騒いでいるが自分にはそれが無いため、感情のたがを外せない事が虚しく思えてしまったのだ。何となく皆と同じに出来ないのは不安だし申し訳ない。要はそういう事だ。
 喧噪から少し離れたベンチに、一人佇む成美を見付けた。性格上、あそこまで馬鹿騒ぎは出来ないのだろう。損な性格だとは思いつつ、そこなら少し落ち着けると思い、成美の隣に腰を下ろした。
「成美ちゃん、なんか飲む?」
「いえ、もう沢山です」
「そっか。まあ、みんな随分飲んだしなあ」
 白壁島はそういう倫理観がおおらかなのかもしれない。昔から脈々と続く行事が如く自然の事のようにはしゃぎ倒す一同を眺めながら、そう思った。
 前の学校では同級生でも酒やタバコにこっそりと手を出すのは少数派で、極近い身内だけが知っている者だけでなく、誰にも打ち明けず嗜む者さえいる。やっている事は褒められたものではないから、人目に知れぬようこそこそとするのは当然なのだが、ここのメンバーには咎め立てする者もいなければ、本気で躊躇する者もいない。部代表の悠里や補佐の菊本のような役職の人間が普通の遊びの一つとして飲んでいるだけでなく、キャンプ場の管理人である森下老人すら、騒ぎの中に加わって今も一緒に飲みながらギターを弾いてはしゃいでいる。良識的に注意をする者が一人もいないのだ。
 悠里によると森下老人は変わり者らしいそうだが、それも含みでもこれは島の一種の伝統文化のようなものかもしれない。そう思い、俺は残ったソーダを飲み干した。
「ん? 成美ちゃん?」
 不意に俺は、隣に座っていた成美が先程から黙りこくって俯いている事に気が付いた。
「ちょっと、どうかした? 気分でも悪い?」
「いえ、大丈夫です……」
 顔を上げながら弱々しく答える成美は、お世辞にも大丈夫そうには見えない。顔色は見て分かるほど紅潮している。
「もしかして、また熱でも出てきたんじゃない? 顔も少し赤いんじゃないかな」
「いえ、熱ではないんです。その……少し酔ってしまったみたいで」
「酔った?」
 成美のその言葉に俺は眉をひそめてしまう。この状況で酔ったと言えば一つしかない。しかし、緒方家の人間である俺は駄目だと言っておきながら、自分はどこかで飲んでいたとはどういう事だろうか。
 多分、俺がムッとしたとでも思ったのだろう。成美は慌てて弁明するように言葉を続けた。
「そ、その、悠里さんが時々来まして。その、悠里さんは凄く絡んでくるタイプなんです。それで何度か無理やり飲まされてしまいまして……」
「ああ、そうなんだ。悠里さんって意外にタチ悪いねえ。委員長なのに。もしかして成美ちゃんはお酒弱い方? 気分悪かったら、いっそ吐いた方が楽になるよ。ほら、ロッジに送るから」
「すみません、お願いします……」
 成美の手を引いて立たせると、いきなり一歩目から足元がふらつきバランスを崩しかけ、俺は慌ててそれを支えた。酔っているせいなのか具合が悪いから不注意になったのかは分からないが、広場からロッジまでの距離は十数メートルしかないものの舗装されている訳ではないので足場は悪く、この調子ではどこかに躓いて転び怪我をしかねない。
 一旦吐かせて、後はお茶を飲ませよう。こういう時は水よりお茶の方がいい。確か父親がそんな事を言っていたような気がする。
「あー、裕樹君。やっと見付けた。どこ行ってたの?」
 成美に注意しながら歩いた直後、突然背後から呼び止められ、驚きで背筋を伸ばす。
 振り返った先に立っていたのは悠里だった。悠里は見て分かるほど酔っていた。不自然に甲高い声や締まりのない口調もそうだが、何よりも普段のような思わせぶりで思慮深い笑みが全く見当たらなかった。成美に聞いた絡み癖の事もあり、面倒な所に出くわしたと思ってしまう。
「もう探したのよ。一緒に飲もうって言ったじゃない」
「お酒じゃなければ付き合いますよ。って、随分飲んでません?」
「まだまだ半分って所よ。あら、成美ちゃんどうしたの?」
 きょとんとした表情で成美を見る悠里。軽い足取りで近づいて屈み込み、俯く成美の顔をわざとらしい仕種で下から覗き込む。当事者意識が欠落した仕草だ。
「いや、悠里さんが飲ませたんでしょうに」
「そうだったかしら? 私、そこかしこでやってるもの。そんなこともあるかも」
 そうけらけらと笑い、悠里は俺の肩を勢い良く叩いた。何がおかしいのかと怒る事も出来ず、俺は引きつった微苦笑を浮かべる。
 何を惚けているのか、それとも本当に忘れているのか。悠里の行動は時折思わせぶりなだけに、こういう時はどちらとでも取れるから厄介だ。
「あっ……見上さん」
 不意に成美が小さく切羽詰った声で呻き、俺の袖を強く引く。服越しに爪が食い込んできた。
「ん、駄目? 吐きそう? じゃ、急がないと」
 成美の足に合わせていたらロッジのトイレまで持ちそうに無い。俺は成美の体を抱え上げると急いでロッジへと向かった。
「ごめんね、もうちょっと我慢してね。急ぐから」
「はい……」
 そう答える成美はぐったりとしていて、ほとんど体に力が無かった。いきなり抱きかかえられたらもっと動揺するだろうと思っていたのだが、どうやらそれほどの余裕も無いようである。
「後で行きますから。それと、成美ちゃんにはもう飲ませないで下さいね」
「やあん、裕樹君たらいけず」
 冗談半分のような態度で返す悠里を尻目に、俺は成美を抱えたままロッジへと向かって足を早める。成美は小柄な見た目通りさほど重くは無かったが、体に力が入っていない分重心が捉え辛くて抱え難い。落としてしまったり、自分がバランスを崩して転んでしまわぬよう、最大限注意しながらロッジへと急いだ。成美はぐったりとしてあまり動かなかったが、時折苦しげに小さな呻き声漏らす。今にも吐きそうなのを必死で耐えているらしい。
 成美の性格からすれば大方断りきれなかったのだろうが、こんなになるまで飲ませる方も飲ませる方である。しかし悠里のあの様子では、そこまで冷静に頭は回っていなかったのかもしれない。普段は理知的な様相だけれど、あんな乱れるまで飲むのはいささかだらしが無いように思う。
 しかし、ふとある予感が脳裏を過ぎった。
 あの悠里が、前後不覚になるほど果たして飲むだろうか? こういった催しが初めてでなければ、悠里は成美があまり飲めないと知らなかったとも思えないし、見た変化ですぐに気づくはず。まさか悠里は、自分が酔った勢いで気づかない振りをしてわざと飲ませたのではないだろうか?
 根拠の無い憶測であるが、どうしても悠里がこういう事をするようには自分には思えなかった。
 普段とのギャップが、普通ではこんな失態は有り得ないと思わせているだけだろう。
 とにかく今は、成美の事に意識を向けるようにした。