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 その後、悠里が菊本を説得し、菊本が直接謝って和解することで事態はあっさり決着した。悠里と菊本はあまり仲が良くないので本当に説得出来るのか不安だったが、菊本はあっさりと応じたようだった。菊本自身が、目上の人間の言うことには従う事を言った手前、悠里には何を言われようが断れなかっただけだと俺は思った。引くに引けなくなり、仕方なく。そのおかげで今回は収まったのだけれど、これは今後の新たな火種になるんじゃないか。何となくそんな懸念も残った。
 朝食を済ませロッジや広場を片付け終え、昼前にはキャンプ場を後にした。久しぶりの外泊に羽目を外した事で随分遊び疲れた。しかし、個人的にはやはり最後の最後での騒動が一番疲れたように思う。
 白壁島には、今までの自分の生活には無かった異質とも言うべき習慣が幾つかある。それにもようやく慣れてきて自分では完全に馴染んだつもりでいたのだが、この一件で改めて自分は価値観の違う本土から来た人間だという事を自覚させられる。全員が全員そういう考え方という訳でもないが、少なくとも身の回りだけでもこういうことがあるのだから、この先自分が当主となって実際に仕事に関わるようになれば、更に大きな問題に直面するのではないか。そう不安に思った。
 帰りのバスの中は、行きの昨日よりも幾分か落ち着いた雰囲気だった。朝の件を引きずっているようではなかったが、やはりみんな騒ぎ過ぎたためそれなりに疲れているようである。俺もまた、疲れていないと言えば嘘になる。家に帰ったらすぐ昼寝をしたい。そういう気分だった。
「ねえ、裕樹君」
 そんな雰囲気の中、ふと傍らの悠里が訊ねてくる。
「何でしょう?」
「裕樹君は、物事を仕切るタイプ?」
 そう訊ねられ、僅かに考える。答えではなく、質問そのものの意味だ。
「もしかして今日の事で言ってます?」
「先に質問に答えて」
 答えが先と悠里に頬を指で押される。やはり質問には何か意図があるらしい。そう思った。
「まあ、遊ぶ時は仕切る事もあるかなあ。その時々に拠ります」
「じゃあ今日のは、たまたまなのかしら?」
「あれは別ですよ。何か、ああいうのって放っておけなくて」
「それは正義感? それとも、蓬莱様のため?」
「ちょっと心外ですよ、それ。蓬莱様のポイント稼ぎに利用したって思ってるんですか。確かに俺はちゃらんぽらんな人間ですけどね、こういうのを利用してまで自分の利益にしようとか思ったりはしませんよ」
「あは、ごめんごめん。そんな本気で言ったつもりじゃなかったの。ただ、裕樹君ってもっと日和見で揉め事には関わり合いにならなそうなタイプだと思ってたから」
 悠里は子供をあやすかのように俺の頭を撫でる。蓬莱様のポイント稼ぎなどと言ってはみたものの、所詮は実体の無い存在である。その事を冗談混じりに指摘され、こちらが本気になる訳にもいかない。
「あの、悠里さん。あまり蓬莱様を茶化すような事は言わないで下さい」
「ごめんね、成美ちゃん。ちょっと軽率だったわ。もう言わないから、大丈夫」
 今のやり取りを聞いていたらしい成美も、控えめながらもそう悠里に抗議する。悠里はそれについても冗談ぽくかわし、成美を言い宥める。成美もそれ以上は言うことは出来なくなった。
 だが成美の言う通り、軽率と言えば軽率である。蓬莱様とは緒方家の伝統に当たるものなのだから、本来そんな軽々しいものではないはずなのだ。悠里は比較的、白壁島の伝統には頓着しない性格なのだろうか。なんとなく、そう思った。
 商店街のバスプールに到着し解散となったのは、調度正午直前。早く帰って昼寝をしたかったが空腹が先立ち、何かを軽く食べてから帰る事にした。成美と浩介と連れ立って、帰り道の途中にあったラーメン屋へ入る。昨夜川辺で寒い思いをしたせいか、温かいものが無性に食べたかったのだ。
 三人でラーメンを食べつつ、キャンプでのことで話が盛り上がる。ただ、不自然なほど今朝の事には自分も含めて言い寄らなかった。確かに楽しげに話すような事でもないし、他の皆もきっと同じような感触になっているだろう。これが連休明けまで続き菊本との溝になってしまうと、今日自分がしゃしゃり出た事はあまり意味の無いことになるのではないか。そう思った。
 食事を終えた後、疲れた足をさも疲れていないように見せながら屋敷へと向かう。到着するなり俺は真っすぐ自室へなだれ込む。そのまま布団も敷かず、俺は眠り込んでしまった。一旦風呂に入ってから、いやそれよりも先に祖母に帰りを報告するべきかとも思ったが、祖母は祝日など関係無く仕事中だろうし、何より疲れで一度倒した体を再び起こす気にはなれなかった。
 夢らしい夢も見ずに、しばらくの間すっかり眠り込んでいた。今日は学校も水野さんの授業も休みなのだから、休める内に休んでいた方がいいという名分も手伝って、昼間から寝る事に何の抵抗も無かった。
 時間も忘れ眠りこけていた俺が再び目を覚ましたのは、胸のポケットに入れたままにしていた携帯だった。音と振動の不意打ちはあっという間に現実へ引き戻してくれ、俺は慌てて体をよじりながら起こし携帯を開く。
「何だメールか……」
 着信音は使い分けているけれど、咄嗟に鳴ると案外分からないものだ。そう苦笑いしながらどくどくと高鳴る心臓を落ち着ける。
 送り主は悠里さんだった。明日時間があれば買い物に付き合わないかという誘いである。特に用事も決めていない俺は、すぐに了解の旨を返信した。今回の事では悠里には借りを作った訳だから、何かお願いがあるかもしれない。そんな事を思った。
 そう言えば。
 ふと帰りのバスでの事を思い出す。
 悠里は蓬莱様のことで冗談を言ったが、俺は蓬莱様の事を詳しく話した事があっただろうか? そんな疑問が巻き起こる。
 けれど俺はさほど気に留めなかった。どうせ口の軽い自分の事である、何かの拍子にぺらぺらと話してもおかしくはない。