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「何か良い事でもあったの?」
 そう唐突に悠里に問われた、昼休みの学食での事。前後の脈絡の無い質問に俺は、箸を手元で止めながら小首を傾げる。
「え、何でですか?」
「最近機嫌良さそうだから。この間まで何か不機嫌そうだったのに、急に変わるんだもの」
「実はですね、ちょっとばかり食あたり起こしてたんです。それでもう、いつ大波に襲われるかと気が気でなくて」
「やあねえ、食事中に」
 渋い表情で眉を潜め、ぱちりと小気味よい音を立てて俺の肩を叩く。俺はごめんねごめんねといつもの軽い調子で謝った。
 成美と浩介は当然として、悠里も俺が学校以外に家庭教育を受けている事は知っている。ただ、それがどういう状況でどのぐらい理解出来ているといった話は、悠里にはほとんどしていなかった。悠里は時折興味本位で訊ねては来るものの、決まって俺ははぐらかして答えている。悠里には裏の顔があるから不必要に情報など与えるものか、というせこい気概もあるが、お世辞にも威張れるような出来ではないので話したくはないというのがほとんどである。同様に、一切その話題に触れて来ない成美や浩介にも打ち明ける事はしない。
「そうだ、今年の夏休みはどうする?」
「まだ梅雨明けたばかりじゃないですか。夏の予定って言っても、あまりピンと来ないなあ」
「白壁島は梅雨明けたらあっという間に真夏になるわよ? 今のうちから想像力、働かす」
 そんなものだろうか。そう俺は微苦笑する。
「夏は何かイベントとかあるんですか?」
「夏祭りかしら。田舎町だけど、結構派手にやるのよ。商店街全域で出店を出して、イベントや大会も開催するの」
「へえ、なんか楽しそう。俺、祭りとか知らないんですよ。前に住んでた所じゃ、そういうのやってなかったから」
「都会じゃやらないんだ。楽しいわよ。ちゃんと案内してあげるから期待してて」
 特にこれと言った観光名所も無ければ、元々は新規開発で区画整備されて生まれたのが以前住んでいた場所である。祭のような地域が連動する行事が生まれるほど年月は経っていない。
 夏祭りとはどういうものかは知識でしか知らなかった。テレビで見るのは有名な観光にもなっている物ばかりで、とりあえず人が内外から大勢集まって騒いでいるぐらいの認識だ。そういったものが実際に体験出来るのだから、今から楽しみになってくる。
「あとは月並みだけど海に花火かな。花火大会は夏祭りでもやるけどね」
「浴衣に水着ですか。いいですね」
「ホント、そういうのばかりなんだから。成美ちゃん、大丈夫? 裕樹君って結構やらしいわよ」
「は、はい。多分……」
 突然振られて驚き、目を瞬かせながら自信無さ気に答える成美。多分なのか、と俺は苦笑いする。そこはフォローしてくれてもいいのではないか。そう思った。
「あ、でも悠里さんて受験生じゃないんですか? 進路の方が大事なんじゃ」
「いーの。元々試験勉強の予定しか無いんだもの。少しぐらい息抜きしないと、どうにかなっちゃうわ」
 悠里は三年生なのだから、既に受験体勢に入っていなければならないはずだ。中間試験で慌てるような俺に心配されるほど無計画なはずは無いものの、そんなに楽観していて良いものか、疑問である。悠里にも、息抜きをあえて取らなければいけないほど追い詰められる事があるのだろうか。そう俺は思った。
「それよりも。ねえ、裕樹君。夏休み前には期末試験があるのよ。赤点になったら休み中に補講受けなきゃならなくなるんだから。今度こそしっかりね」
「中間試験終わったばかりなのに、また試験ってのも慌ただしいですね」
「裕樹君がのんびりし過ぎなの。常に次のこと次のことを意識してかなきゃ」
「ああ、田舎ってスローライフだと思ってたのになあ。試験に追われる生活なんて世知辛い。ねえ、成美ちゃんもやっぱ試験嫌でしょ? 結果返って来る時なんか嫌な汗出るよねえ」
「えっ? あ、あの、は、はい」
 またしても、妙にどもりながら答える成美。不意を突いたつもりはなかったのだが。すると悠里が溜息をつきながら代わりのように答えた。
「成美ちゃんを裕樹君と一緒にしないの。成美ちゃんはね、中等部からずっと試験は一番なのよ?」
「え、一番? それは一位という」
「そう。それも、ほとんど満点に近い点でよ」
「満点って……本当ですか」
 驚きで顔の引き攣る俺に、成美は申し訳なさそうに怖ず怖ずと一礼する。別段責めるつもりは無かったものの、成美はその前提で恐縮しているようである。そういう気の使わせ方は何とも格好悪い構図である。特に成美とは緒方家の絡みもあるのだからひとしおだ。
「そういう事だからね、裕樹君もちゃんと頑張りなさい」
「ですね……満点と赤点じゃ、これはあまりにも」
「終わったら、一緒に海に行きましょう。白壁島の海は綺麗なのよ。それを励みに、ね」
「分かりました。じゃあ、点数良かったら何か際どいの着て下さい。それを励みにしますんで」
「ホント、仕方の無い子ね。分かった、考えといてあげる。その代わり、駄目だったら裕樹君に着て貰うからね」
 そういつもの如く意味深な微笑みを浮かべる悠里。冗談めかさない所を見ると、どうやら本気で考えているようである。そして成美は案の定どう口を挟めばいいか分からずおろおろとしている。そういう事はさせたくはないが悠里相手には強く言えない、そうやって慌てているのが見て取れる。
 張り合いを持たせようとして、また自分で自分の首を絞めたんじゃないだろうか? そう俺は思った。