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 様々な事で悩み抜いた中間試験と比べて、期末試験はあっという間に終わってしまった。夏休みを迎えるにあたって一番の泣き所である試験結果も、全て無難な範囲に収める事が出来た。可も無く不可も無く、と言ってしまえばそれまでだが、前回に比べれば遥かに上出来の結果である。
 夏休みが天国になるか地獄になるかという正念場でありながら、あっさりと乗り越えてしまった事には思わず拍子抜けしてしまう。こんな簡単でいいものかと不安さえ覚えたものの、そこは生来のいい加減な性格が作用し、あっさりとどこかへ消えてしまった。
 早朝から額にうっすらと汗が浮かぶような暑さになる頃、学校は一学期の終業式を迎えた。校長の訓示や担任の注意事項はこの学校でも同じで、聞く側も聞き飽きたとばかりに聞き流している。これもお馴染みの光景だ。教育委員会が組織力を使ってこういった事を予め示し合わせているのだろう。この事を成美に話したら苦笑いをされたので、どうやらそういう訳ではないようだ。
 終業式の後は担任から諸所の連絡と配布物を受け取るホームルーム、昼には放課となった。学食は一足先に休みに入っているため、昼食は帰りの途中に適当な店へと寄る。その際、最終的な夏休みの予定をみんなと認識合わせを行った。
 夏休みは全部で二十五日、以前の学校と比較すると若干少ないように思う。この短い休みを如何に効率良く活用するか、それが非常に重要になる。無論、各イベントに参加するのは必須だ。
 俺の夏休みは基本的には水野さんの宿題がある。夏休みでも水野さんは日中は仕事があるため授業はいつも通りになるが、提出される宿題の量が格段に増え、一週間がかりでやるような特殊なものも出て来る予定になっている。これらを如何に遊びの予定と調整をつけるのか、そこが一番の課題だ。
 予定と大まかなメンツ、取り纏め役の確認を終えた後、俺はそのまま真っ直ぐ帰宅した。祖母は珍しく屋敷にいたものの仕事はあるらしく、夕食の時間やらはいつも通りだった。考えてみれば、祖母も水野さんと同様にいつも働いていて休んでいる姿を見たことが無い。ただでさえ高齢や薬、食の細さもあるのだから、かなり無理をして働いているのではないか。そう俺は重く思った。
 その晩の夕食は、珍しく祖母が後からやってきた。仕事が忙しいようだったが、心なしか歩き方が普段よりもぎこちないように見える。疲れも溜まっているのだろうが、何となくもっと深刻な容態に思えてならなかった。
「裕樹、明日がら学校さ夏休みが?」
「うん、そうだよ」
「いづまでなのっさ?」
「八月の十八日まで。一ヶ月も無いんだね、白壁島って」
「だりゃそうさ。子供時から遊んでばかしでは、ちゃんとした大人になれね」
 夕食ではいつものように学校の話をする。祖母は俺が学校に馴染んでいるのかどうか未だに気になっているらしく、決まって学校の事を訊ねて来る。毎日毎日それほど大きな変化がある訳ではないが、俺は必ず何かしら答えるようにしている。特に何も無い、と言うだけでは会話が成立せず祖母に対して冷たいように思うからだ。
「だがらな、夏休みさ入ってもちゃんと勉強するんでがすぞ」
「大丈夫だよ。水野さんにはしっかり教えてもらってるから。宿題もきっちりこなしてるし」
「そうがそうが。したらいがんす。遊ぶ時はちゃんと勉強さしてからな。友達とは何かして遊ぶ約束あるのが?」
「うん、ぼちぼち。ほら、この間のキャンプの面々で色々と。まあ、勉強もちゃんとやるよ」
「ちゃんと学校でも仲良く出来てんだな。いがった、いがった。後で小遣いけっからな、無駄遣いしないんで使うんだぞ」
 祖母は俺が学校で問題なくやれている事を聞く都度、いつも嬉しそうな笑みを浮かべる。未だ当主としての能力は無い自分が祖母を喜ばせられるのは、こういう時ぐらいしかないだろう。少しは気休めになれば、とはいつも思う。ただ決まってその直後には、早く一人前にならなければという焦りが沸き起こってくる。
 夏休みは拘束されている時間が少ない。祖母と接する機会も多少は増えるだろうから、学校の事を話す以外で何か孝行するのが孫の務めだろう。何か欲しいものはないか、そんな質問を幾つか思い浮かべたその時だった。
「そうだそうだ、忘れるとこだった。いいか、裕樹。少しくらい夜遊びしても祖母ちゃんは多めに見るげんとも、祭りだけは駄目だぞ」
「え、なんで?」
 唐突に出てきた、件の夏祭り。その思わぬ一言と不意打ちのようなタイミングに、俺は思わず声をあげてしまった。
「だりゃ緒方の人間が祭りなんかさ出はったりなんかして、恥ずかしいごとさ。ちゃんと神様を祀るんならばともがく、騒ぎたいだけの祭りなんざ緒方の人間が出るこたね。緒方は白壁島の神様なんだがら、そんたな事なんかしたら先祖に笑われるんでがす」
「は、はあ……。神様が神様をだしにした騒ぎに付き合うのは軽々しいって事だね」
「んだ。裕樹は良く分かってるな。さすが、爺様の孫っしゃ。だから祖母ちゃんと約束だぞ。緒方が笑われないようにな」
「うん、分かった。約束する」
 俺は間を空けずに即答するものの、すぐに不安や後悔の念が胸に渦巻いてきた。約束という重い言葉をあまりに軽々しく使ってしまった。約束は祖母だけではない、夏祭りに行く友人達ともしている。どちらが大事かと問われるならば、緒方家の体面を取るのが当主であると当然俺は答える。けれど、体面を選んだ俺を果たしてみんなはどのように見るのか。それを想像すると背筋の冷たくなるものがある。
 祖母が祭りが嫌いである事を、成美から話には聞いてはいた。にも関わらず、あまりに突然の事でまるでうまく立ち回れなかった。もう少し自分の良心に優しい言い回しがあったのではないか。それが悔やまれる。
 何だか面倒なことになってきた。そう溜息をつきたくなるような気分で思った。