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 夏休みに入り、最初の週明けの朝。早速悠里から呼び出しがかかった。唐突な呼び出しはいつもの事だが、決まって何かしら一段落ついて手が空いた所を狙い済ましたかのようなタイミングで来るため、毎度それに応じてしまう自分もどうかと思う。
 内容はやはり一緒に出掛けようという、いつものように薄いオブラートに包んだ表現の誘いだった。しかし何故か今日ばかりは、忙しくなければ成美も連れて来れないか、と付け加えてあった。
 従者という言い分で成美を連れ出し、待ち合わせ場所へと向かう。するとそこには悠里以外にも女生徒が何人か待っていた。そして、男子は一人もいない。
「裕樹君、遅いわよ。女の子を待たせるなんて」
「ごめんなさい、これでも急いで来たんですけど。それより、これどうしたんですか?」
「ん? 水着を買いに行くんだけど? 言ってなかったかしら?」
「それはいいんですけどね。何で俺一人、ここに呼ばれてるんです?」
「やあねえ、どれがいいか見てもらうためじゃない」
 そう微笑む悠里、そして周囲も同じ人を食ったような笑みを浮かべている。きっと俺はからかわれているのだろう。わざわざ呼び出してまでするなんて。そう呆れて思った。
「えっと……見上さんは別の場所で待って戴いても良いのではないでしょうか? 男一人では流石に」
「いいの。裕樹君はそういう所好きなんだから」
 成美の言い分からすると、どうやら知らないのは俺だけだったらしい。
 悠里の言う事には語弊があるようだが否定するほどでもない。取り敢えず、俺はこの妙な状況に付き合うことにする。
 平日の商店街を日中に歩くのは新鮮な感覚だった。普段は学校にいるため見慣れていない事もあり、まるで知らない街を歩いているような錯覚もあった。この雰囲気を味わうのは一向に構わないのだが、それよりも男一人で大勢の女子を連れて歩く自分の風体が周囲にはどう映っているのか、それが気になって仕方なかった。人通りは疎らとは言っても、誰かしら行き交う人はいるのだし脇道の溜まり場や道沿の喫茶店などには如何にも噂好きそうな一軍が集まっていることもある。遂に緒方の孫は馬鹿遊びを始めた、そう思われていないか気が気ではない。俺自身が笑われるのはともかく、祖母の耳に入るのだけはまずい。何でもない事なのだと、俺はひたすら寡黙に平静を装うしかなかった。
 やがて悠里達が入ったのは、ショーウィンドウからして派手に演出された水着店だった。飾られているのはどれも女性用で、思わず入るのには躊躇うものの、そのまま有無を言わさず入らされてしまった。
 入ってすぐ目に飛び込んで来るのは、見渡す限りの水着の数々。女物の水着の専門店に入るのは生まれて初めての事で、思わず圧倒され言葉も出なかった。人でも何でもないただのマネキンにすら、視線を送る事が恥ずかしいと思う。
 身の置場に困っている俺を他所に、早速皆は店内を物色し始める。一体どうしろと視線をさ迷わせている内に、若い女性の店員と目が合い、俺は思わずばつの悪そうな笑みを浮かべて見せる。店員は特に気にする様子もなく、宜しければどうぞとばかりに笑顔で一角にある客用の椅子を促して来た。ごく普通の接客ではあるものの、かえって普通にされる方が恥ずかしい。そう思った。
 しばらく場違いな空気にまんじりと佇んでいると、悠里は幾つかの水着を持ってやって来た。案の定、こちらの居心地の悪さなど気にも留めていない様子である。
「裕樹君はどれがいいと思う?」
「まあ、布地が少ない方ですかね」
「やっぱりそうなんだから。ちょっとは真面目に選んでよ、今回は特別なのに」
「特別って?」
「ほら、約束したじゃない。期末試験の点数が良かったらって。前よりは頑張ったみたいだから、少しだけサービスしてあげるつもりなのに」
「ああ、そうか! すっかり忘れてました。そしたらもうちょっと、背中から腰にかけて涼しげなのがいいです。調度あそこのなんか」
「あれはまた今度ね」
 そう言って悠里はまた皆の所へ戻って行ってしまった。まだまだ決めるつもりはないようである。
 そういえばそんな約束もあった。先日言っていた悠里の言葉を思い出す。しかし、赤点では無いとは言ってもその程度の特に褒めるべき所の無い結果だったのだ、どちらの約束にも掛からないと思っていた。サービスとかオマケとか悠里は言っているが、実際は単に自分が見せたいだけなのではないか? そう思った。
「見上さん、大丈夫ですか?」
 ふと成美が気遣うように訊ねてくる。どうやら向こうの輪の中には入りかねているようだった。
「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっとこういう場所には慣れてないだけ。いきなり下着の店に行くよりはずっと楽だよ」
「すみません、悠里さん達がからかっているみたいで」
「あー、それは何となく分かる。あの人もマイペースだよねえ」
 悠里はおおよそ欠点らしい欠点は無く、非常に頼れる先輩である。それが俺の認識だ。しかし、時折自分のペースに巻き込み振り回されるのは、欠点としてあげられるのではないか。そう俺は思った。ただ振り回すにしても、別段憎めない程度の些細な事ばかりだから、悠里の評価は自分の中では変わる事はない。
「しかし成美ちゃんは優しいね。ホント、俺ってそういうのドキッてしちゃうよ。いつかいっちゃってもいいかな?」
「……見上さんは、そうやって私のこと、よくからかいますよね」
「嫌だな、ごくたまにしかないよ? 俺、割と嘘つけないタイプなのに。やっぱこんなんだから、軽く見えるのかなあ」
 成美は眼差しこそ訝しげには形作っているが、見て取れるほど照れているのが分かった。こういう可愛らしい仕種には琴線に触れる何かがある。だから何となく成美には構いたくなってしまうのだ。
「ところで成美ちゃんは水着決まった?」
「いえ、まだ。私はそれほどこだわりがある訳でもないですから」
「じゃあ俺が選んであげよう。おっと、あれなんかいいんじゃない?」
 そう言って俺が指差した先のマネキンを見て、成美の表情は一瞬で冷え切った。
「ほとんど紐じゃないですか……」
「セクシーじゃない。俺、本気なっちゃいそう」
「結構です。やっぱり悠里さんに選んで貰います」
 成美は怒ったように口をつぐんでそっぽを向くと、悠里達の元へ足早に行ってしまった。俺はそんな仕草も可愛いと思いながら笑っていたものの、あまりからかうのも可哀相かと少し反省した。
 環境がどうとか人間関係がどうとか、そんな悩みは白壁島に来てからずっと付きまとってはいるものの、結局はすぐに慣れてしまい、そればかりか悪ふざけする余裕すら持ってしまう。こういういい加減さは持って生まれた人間性だろう。そう思った。