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 しばし波打際で波と戯れている内に、着替えを終えた面々が続々と集まってきた。しかし未だ集まっているのは男子ばかりで、幾分むさ苦しい光景だと何と無く思った。やはり女性は支度に時間がかかるらしい。そんなありきたりな台詞を頭に思い浮かべる。
 更にしばらく経ち、ようやく女性陣がやって来た。待たされたという訳でも無いのだが、自然と囃す声や口笛が飛び交った。学校指定の水着姿ではない、それだけの事で十分刺激されるのだろう。浮かれているのは俺だけではないらしく、むしろ先手を取られ乗り遅れてしまったような感じさえあった。
「お待たせ、裕樹君」
 そう言って微笑む悠里を、俺は思わず凝視した。際どいのでと冗談で言ってはいたが、薄紫のホルタービキニは大胆だと言わせるのに十分だった。悠里のスタイルの良さに自信が伴っている事が余計に際立たせている。サイドも紐で結ぶタイプなのはポイントが高い。そう俺は思った。
「おー、悠里さんすげー」
「どう? 似合ってる?」
「凄い綺麗です。触ってもいいですか?」
 すると、
「見上さん」
 視界の外から突き刺さる、成美の冷たい声。浮かれていた所に思わぬ冷や水をかけられ、ぎくりと背筋が緊張して真っ直ぐ伸びた。
「あ、成美ちゃん。おっと、こちらも可愛いなあ」
「少しはしゃぎ過ぎですよ。万が一、海で事故にでも遭ってしまったら、私は緒方家に顔向け出来ません」
「ごめんごめん、いやこんな綺麗な海を見たのは初めてだからさ。いやホントに」
 成美の水着は涼しげな青系統に赤のアクセントのある花柄のワンピースだった。悠里とは違って極端な派手さは無いものの、見た目の鮮やかさが成美には良く似合っていると思う。本来ならそういう所を褒める所なのだが、すっかり出鼻をくじかれタイミングを失ってしまった。今更褒めた所で御機嫌取りににしか聞こえない。相変わらず俺のやる事はいつも間がわるい。そう思った。
「裕樹君、触るのは誰もいない所でね。恥ずかしいから」
「悠里さんも! 見上さんに変な事をさせないで下さい!」
「やあね、オイルの事よ。定番じゃない」
「それは私がやります」
 悠里がからかうような口調で成美を突く。すると成美は珍しく、随分と強気な口調で悠里に言い据えて来た。気を張っているのか機嫌が悪いのか、普段の大人しい印象とはまるで違っている。
 そんな成美が悠里に向かい、こちらに背中をあらわにする。肩紐は首の後ろで結ばれ、うなじからウェストまで意外と広く背中が露出している。それは太陽の光を受け眩しいほど白く綺麗な背中で、反射的に俺はその無防備な背中を上から下へ背骨に沿って指でなぞった。
「ひゃっ!?」
「成美ちゃんの背中、つるつるだねえ」
「だからやめて下さい! そういう事は!」
「ごめんごめん、つい触りたくなっちゃったんだ」
 むくれた顔をする成美の頭をよしよしと撫でるが、やはり機嫌を損ねるだけで思い切り睨みつけられた。今の悪ふざけではなく、当主としての自覚を持った行動をし軽率な事を控えろと、そう諫言するような眼差しである。
 成美は浩介と違って時折語気を強める事がある。それはおそらく、緒方家の次期当主としての生活態度を諌めるためだろう。本来なら使用人が口を挟む事でもないのだろうが、それ以上に俺の行動はよほど目に余るらしい。普段は大人しく自分の事でも一歩譲るような成美なのだから、俺が何気なくしている事でも相当なのだろう。
「ところで見上さん、蓬莱様は持っていますでしょうか?」
「勿論。これこれ」
 俺はいつものように首から下げている蓬莱様をかざして見せた。ただし、今日の蓬莱様は普段とは装いが違う。いつもの巾着から取り出し、携帯に使う防水用の袋で二重に綴じナイロンの紐を通して首から下げている。流石に菊本のような遠泳には向かないだろうが、浅瀬で戯れるぐらいなら十分な出来である。
「そうですか。あの、どうかくれぐれも無くさないように。それから水で濡らしたりも」
「大丈夫、分かってるって。いつもの事だもん。それよりもさ、ビーチボールでも借りよう。俺、道具無しで膨らませられるんだぜ」
 しかし成美は不安げにこちらを見上げるばかりだった。よほど俺が何か失態を演じてしまいそうだと心配しているようである。確かに浮かれてはいるが、そんな事で無くすならとっくに蓬莱様など無くしてしまっている。だから心配は無いのだと言うのだが、成美はそうは思ってくれないらしい。
 やはり、こういう根拠の無い自信を見せる事が逆に不安にさせるのだろうか。そう思った。