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 日が落ち周囲が暗くなり始めると、監視員から海には入ってはいけないと注意をされた。夜の海は上下感覚が失われ溺れる確率が格段に高く、助ける人がいても見つけ難いからである。
 俺達はぼちぼちシャワーを浴びて着替えると、軽く夕食を取った。ここで何人かは帰宅したが、まだ大半は残っている。これから花火を始めるためだ。白壁島は花火をするのには非常に都合が良い場所である。前に住んでいた所では、近所には花火が出来るだけの広い場所は数えるくらいしかなく、夜にそんな事をして騒いでいればすぐに警察がすっ飛んでくる。だが浜辺の周りには住宅など無いため警察に苦情が行く事もなければ、火の不始末にしても海の水が嫌というほどある。ただし、ロケット花火にネズミやトンボといったゴミが出るものは砂が汚れるため禁止されているが。
 花火の担当が用意した花火をテーブルに広げ、皆で囲みながら自分はどれだと品定めを始める。用意されたほとんどが手持ちで噴出すもので、打ち上げ式も幾つかあった。ルール通り、ゴミの出ない花火ばかりである。個人的にはロケット花火が好きなのだが、禁止されている以上は従うしかない。いずれどこか遊んでも良さそうな場所の情報が舞い込むかもしれないから、それに期待する。
 俺は良く買っていた連発式を何本か手に取った。人に向けてはならないとあるが、実際は撃ち合いで遊んでるのがほとんどの花火である。何連発なのか飛距離はどれほどかと見ている内に、周囲では早速着火し花火が始まっていた。日も落ち海の家の照明しか光源が無いため真っ暗だった周囲、その部分部分眩しく照らし出される。波のある揺れるような照らし方ではあったが、暗い所を照らすという事は不思議と胸の躍るものがあった。
 花火を選び終え、自分も輪の中へ入ろうと火を捜す。しかし、テーブルの上には肝心のライターの姿は見当たらなかった。
「おーい、誰かライター持ってない?」
 すると、最初に振り返ったのは花火の物色をし終えたらしい悠里だった。
「私持ってるわよ。一緒に行きましょう」
「悠里さんのそれは何ですか?」
「噴き出すやつよ。ナイアガラみたいに。途中で色が変わるから好きなの。裕樹君は?」
「連発式です。これでよく撃ち合いするんですよ」
「男の子ってそういうの好きよね。火傷しないの?」
「結構平気ですよ? ロケット花火だって、顔じゃなければ案外大丈夫だったりするし。だから、腰より上は狙わないルールでやるんです」
 何人かのグループを作って、各々始められる花火。良くやっていた連発式での撃ち合いも白壁島でも流行っていて、自分もそれに揚々と参加した。流石に遠慮されるかとも思ったが、案外遠慮無く狙って来る事に驚きと嬉しさがあった。多分、この光景を町のお年寄りが見ると卒倒してしまうだろう。祖母もあまり良い顔はしないはずだ。元々大人に知られないようにする遊びなのだから、実質は白壁島に限った事では無いのだけれど。
「ちょっと待った! 弾切れ!」
 しばらくして俺は手持ちの花火を撃ち尽くし、両手を挙げて一旦退却する。それでも聞こえないふりをして何発か後ろから撃たれるものの、お約束の誤射の上に同じ事を自分でもしているため本気での抗議はしない。ただ慌てて駆けるだけである。
 花火を並べていたテーブルには、もうほとんど残っていなかった。連発式は三発だけのものが一本と、雪辱を晴らすにはいささか心許ない。向こうの弾切れを見込んで、わざと遅れて復帰しよう。ソーダーを一本買い、噴き上げ花火で盛り上がっているグループの所へ向かった。
「あれ?」
 その途中、グループから少し離れた岩場の所に一つの人影を見つけた。花火の灯りも入り込まず、自分自身でも花火をしている訳でもない。じっと座り込んだまま動かず、それはまるで人目を避けているように見えた。
 一体誰だろうか。不思議に思いもう少し近づいて見ると、顔を見るよりも先に向こうがこちらに気づいて顔を上げた。それは成美だった。
「どうかした? そんな暗いとこにいて」
 しかし、黙ったまま視線を落とす成美の仕草に妙な感覚を覚え、俺はそのまま成美のすぐ隣へ腰を下ろした。
「ん、もしかして具合悪い? それなら、俺らだけ先に帰ろうか?」
「いえ……そういう訳ではないです」
「そう? なんか成美ちゃんって日頃遠慮ばっかりしてるからさ。そういう時は別にしなくていいんだよ」
「本当に大丈夫です。ただ、ちょっと」
「ちょっと?」
 再び、成美は沈黙する。
 何がちょっと、なのだろう。あまりに歯切れが悪くすぐさま問い質したくなるものの、成美のおとなしいというよりも思い詰めた様子から強く訊ねる事も出来ず、俺もまた口篭ってしまった。特に普段から勢いや脊髄反射で不用意な事を言ってしまっているだけに、こういう場合は良く考えて物を言わなければならない。そう思った。
 口先が得意なだけの自分は、言葉に特に気をつけなければならないとなると、自然と無口になってしまう。自分に出来るのは、成美が自分で口を開いてくれるまで待ってやる事ぐらいだろうか。けれども、この沈黙は非常に重苦しく耐え難いの一言に尽きた。黙っている事で何が変わるのか、とりあえず何か切り出してみればどうだろうか。そんな誘惑にさえ駆られる。
 だが、状況は意外と早く動いた。おもむろに顔を上げた成美は、何度も視線を上下させ俺の方を見ながら躊躇いがち訊ねた。
「見上さんは……悠里さんの事が好きなんでしょうか?」
 いきなり核心を突くような予想外に重いその問いに、頭の毛穴が全て開くような緊張感に見舞われた。濁したいと濁してはいけないと二つの気持ちが拮抗し、喉を詰まらせる。
 適切な答えを求め、成美の顔を見た。それは意外にも、これまでおどおどしていた仕草からは一変して真っ向からこちらの顔を見据えてきていた。下手な誤魔化しでは納得はしない事が容易に察せられた。それだけに何と言えばいいのか思い付かなくて、今度は自らが沈黙を作ってしまった。だがその会話の空白も、程無くして成美の方から破って来る。
「すみません、変な質問をしてしまいました。見上さんを困らせたい訳ではなくて……本当にすみません」
 そう小刻みに何度か頭を下げ、成美はそれきり自分から口を開こうとはしなかった。
 果たして成美は俺の沈黙をどう解釈したのだろうか。想像するのが少し怖い。成美に対してそれは遠慮している事にも等しいのではないか。遠慮しなくていいと言ったのは他ならぬ自分で、実にらしくない言い草である。
 何を恐れる事があるのか。誰に非があるという話でもないのに。
 そう自分を言い繕っていると、向こうのグループから花火が点火したのに打ち上がらないと不思議がる声が聞こえて来た。何の関係も無い事なのだけれど、なんとなく不吉だ。そう思った。