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 若干の不安を抱きつつ迎えた翌日だったが、当初の予定通り水野さんの手引で祭に繰り出す事になった。あれから明らかにトーンダウンしたり、水野さんの顔色を伺うのが露骨だったからかもしれない。ともかく、今夜は水野さんの折角の好意なのだから、存分に甘える事にする。
 屋敷から会場となる商店街へ、成美と浩介を連れて向かう。道中携帯で他の面々と合流地点の連絡を取り合った。最初に合流するのは悠里達になる。わざわざ商店街の屋敷側で待っていてくれるとの事だった。既に相手が到着している事を思うと、自然と足も早まって来る。
「そういえば、成美ちゃんの浴衣姿って初めてだよね。可愛い可愛い。提灯とか持ってると絵になるよね」
「あの、見上さん。くれぐれも騒ぎ過ぎないようにして下さいね。そよ様、今日の事をご存知無いのですよね?」
「分かってるよ。そもそも、俺って普段から大人しいじゃん?」
「……とにかく、はしゃぎ過ぎは後々大変な事になりますから」
「水野さんと同じ事言うんだから。心配しなくても、俺はそこまで浅はかじゃないよ。でも水野さんには本当に感謝しないとなあ。おかげでこうして繰り出せるんだから」
「それは、水野さんに借りが出来る事になりませんか……?」
「そうかなあ。でも、こういう事って恩に着ちゃうよね。後々」
 そう笑って答え、ふとある事を思い出した。成美は以前、俺が水野さんを迎えに行く事をやめさせようとした事がある。もしかすると、成美はあまり水野さんが好きではないのではないか。その時はそう思っていたが、どうやら本当にそうなのかもしれない。今も、俺が好意という言葉を使ったのに対して、借りという言葉を被せてきたのだから。
 成美の前ではあまり水野さんの話はしない方が良さそうだ。そう考え、俺はそれ以上は焦点を濁し、別の話題へ変えた。
 やがて商店街の入口へ差し掛かると、そこには数名の集団がたむろっていた。いずれも見覚えのある顔ばかりである。そこへ俺達が近づくと、早速みんながこちらに向かって手を挙げ声をかけてきた。俺はそんな中、ある一人の姿を捜しだしてかけられた声に受けて答える。
「こんばんわ、悠里さん。今夜も一段とセクシーですね」
 悠里は真っ赤な生地に白い水仙を大胆にあしらった浴衣を着ていた。デザインの事は良く分からないが、少なくとも悠里自身にいつもより強く目を引き付ける力を感じたのは確かである。
「裕樹君も意外と着こなせてるじゃない」
「そうですか? 浴衣って初めてなんですよ。それに、実は外でこっそり着替えてたりするし」
「あら、どうしたの?」
「いやあ、ちょっと訳ありで」
 今夜の事情を説明すると、みんながなるほどとあっさり頷き返した。どうやら祖母の祭嫌いは割と有名な事らしく、俺がこういった手段でやって来たのも意外とは思わなかったようである。
「あれ良いんじゃない?」
 悠里が俺の袖を引き、商店街の一画を指差す。商店街にはずらりと出店が立ち並び、浴衣や半袖短パンのような軽装で練り歩く人々の姿が多く見受けられる。そんな中で悠里が指し示すのはお面屋だった。
「なるほど、顔も隠せるし祭だから逆に目立たないか」
 祭に来ている人達の中にはお面を被って興じる人も珍しくない。普段の生活でお面など被っていれば不自然だが、この空気ならば大して目立ちもしない。むしろ空気に馴染むくらいだ。
 早速お面屋へ向かい、好みのお面は無いかと物色する。一通り眺めた後、口元は隠さない半分の狐面に決めて代金を払う。この形なら屋台での買い食いにも困らないし、友人間でも誰なのか全く分からないような事態にもならない。
 買った狐面を早速顔に当てて紐を調節し固定する。視界と目の穴を微調整していると、お面屋がこちらをじっと見つめている事に気が付いた。どうやら俺がどこの誰か分かって困惑しているようだ。
「おじさん、これは内緒ね」
 お面屋は察したらしく無言でこっくり頷いた。下手に信心深いせいで土下座して拝まれて騒ぎでも起こされたら大事である。話の分かる人で良かった、そう胸を撫で下ろす。
 お面の着け具合も決まり、早速皆の所へ戻って狐面を見せた。
「どうですか、これ。似合ってます?」
「やあね、裕樹君たら。冗談だったのに」
 提案したはずの悠里が、さもおかしそうに笑った。周囲も俺が冗談でやっていると思っているのか、同じように続けて笑っている。ただ成美だけは、どちらとも取りかねる微苦笑を浮かべていた。
 周囲の理解もあるとこちらも身を潜め易い。安全だ。
 周囲の笑い声の中、ふとそんなことを自分へ言い聞かせていた。
「もういいです。俺、今夜は何が何でもこれで通しますから」
「大丈夫よ、裕樹君。口元だけでも十分格好良いのは分かるから」
「格好良いのはともかく、誰か分かっちゃ駄目なんですけどね。取りあえず、これからはどうするんです? 花火って八時からでしたっけ」
「そう。だからそれまで、みんなで御飯でも食べようって話してたの。でも大人数で入れる店ってそんなにないのよね」
「オープンテラスの店か、もしくは二組に別けてもいいんじゃないですか?」
「それもそうね。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
 面子も大方揃ったらしく、徐々に商店街に向けて歩き始めた。学生達の集団は歩いていて目立つのではないかと思ったが、他にも似たような集団が歩いているのが多く、紛れ込むには調度良いくらいの人込みだった。念のため自分のようにお面を被っている人もいるかどうかと観察したが、みんなが笑うほど少ないという訳でもなかった。単に俺が冗談を真に受けた様がおかしくて、みんなは笑っていたのだろう。そう思う事にした。
「成美ちゃん、お面のお客様お断りになるかな?」
「見上さんが恥ずかしいというのでなければ大丈夫だと思いますよ」
 それは暗に、俺が恥ずかしい事をしていると言っているのではないだろうか?
 また随分と辛辣な返答である。いや、単に素直に正直な意見を返しただけだろうか。そう思い、俺は成美に苦笑するしかなかった。