戻る

 軽く食事を取った後、花火大会の時間まで商店街を練り歩くことになった。
 これだけ大きな祭は生まれて初めてである。子供の頃にもっと小さなものへ連れて行かれたぐらいで、後は不況やら何やらの理由で祭そのものが周囲から無くなってしまった。以来、活気のある祭というものはテレビの中だけの出来事だったのだが、自分が実際その場へ来たということはある種の感動すら覚えた。
 ただ、思うままはしゃいでもいられない。成美の視線のような懲罰的なことではなく、もっと自分の立場や責任を真摯に考えた時の話である。これまでの生活とは違い、白壁島では自分の言動は非常に大きな波紋を起こすことがある。いい加減にそれを本気で意識しなければならない時期なのだ。
「なんか出店って感動するなあ。あ、そこの店って何だろ?」
「風船すくいよ。本土の裕樹君は知らないかしら?」
「へえ、金魚だけじゃないんだ。そういえば何か香ばしい匂いがしますね。どっかで焼鳥焼いてるのかなあ」
「まるで子供みたいね」
 悠里は夢中であちこちをきょろきょろと見回る俺を見て、愉快そうに綻ばせた口元を団扇で隠す。白壁島では当たり前だから笑っているのかと思ったが、別に俺だけでなくはしゃいでいる者は大勢いる。きっと、それに付け加えて俺が狐面を被っているのがおかしいのだろう。そう解釈する。
「でも、悠里さんもこういう騒がしい所に来るもんですね。そういうのは苦手だって思ってました」
「そう? 私はお祭り好きな方よ。何でも首を突っ込みたがるの。当事者に関わりたくてね」
「いわゆる目立ちたがり屋ってとこですか」
「そこまで下世話じゃないわよ。野次馬になるのは嫌いだから」
 祭の出店と言えば、わたあめにかき氷などの食べ物や、射的に金魚すくいといった遊びぐらいしか俺の知識では思い浮かばなかった。しかし、ざっと見渡した限りでも、こんなものもあるのかと思わず感心するような出店が珍しくなかった。祭を辞める理由として地域経済が真っ先に挙げられるが、不況とは無縁な白壁島だからこれほど活気のある祭が開かれるのだろう。
「裕樹君の所では、こういうお祭りは無かったの?」
「ええ。せいぜい近所の河原で花火大会があって、それを見物に行く程度かなあ。それだけのために浴衣を着て行く人もいますけど、まあごく一部ですね。だから今夜は凄く楽しみにしてるんです」
「でも、あまりはしゃぎ過ぎないようにね。裕樹君は暗がりに女の子を連れ込みそうだし」
「そんな事しないですよ。それに、今日は大人しく楽しむつもりですし」
「本当かしら? やっぱり目は離せないわ」
 悪戯っぽく微笑む悠里に、俺は苦笑いで小首を傾げて応える。信用されているのかいないのか、悠里が意味深過ぎる態度を取るのは今に始まった事でも無く、俺はいつものようにただ曖昧な表情を取った。けれど今夜は顔半分を狐面で隠している。困った顔を見られないのは都合が良いだろうか。そう疑問に思った。
「成美ちゃん、悠里さんがいじめるよう」
 半分冗談で、唐突に話を成美の方へと振る。
 しかし、いつものように成美の注意めいた口調を聞く事は出来なかった。成美は珍しく周囲を意の外にして、何かに見入っている。あの成美が気を抜くほどの事は何だろうか。俄かに気になった俺は、今度はわざと成美の視線の間に入って訊ねた。
「成美ちゃん、何か珍しいのでもあった?」
「あれ、何でしょうか? 黒い蕎麦みたいな」
 それは何の事だろうかと同じ先を見ると、そこにあったのは鉄板焼きの屋台だった。二本のへらで颯爽と炒めているのはヤキソバだろう。キャベツが随分と豪快に盛られている。あれ一つだけで満腹になりそうだ。
「もしかしてヤキソバのこと? あの黒いのはソースの色だよ。やだなあ」
「えっ? あ、ああ、そうですよね」
 成美は一旦驚きの顔を見せ、すぐさま口をもごもごさせながらそれをごまかした。俺の当たり前の指摘がさも恥ずかしかったように見える仕種である。その仕種が可愛らしく、思わず追い討ちをかけようとするが、先に悠里の横槍が入った。
「成美ちゃんは、あまりああいうのは食べないのよ。口を開けてずるずるすする所なんか似合わないでしょ?」
 俺と成美との間に入った悠里は、そう言って俺の面に覆われていない顎の下を突いた。随分と冷たい指先で何故か払えない。まるで刃物みたいだ。そう思った。
「ああ、なるほど。確かに成美ちゃんは、自分の口より大きなものは食べなさそうだもんなあ」
「あら、私は否定しないの? そう、言われるまでもないけど、下品ですからね、私は」
「まさか、そんな! むしろ俺、悠里さんが美味しく食べる所見たいくらいですよ」
「じゃあ、あれがいいわ」
 悠里が示すのは、屋台のタコ焼き。地元で朝に捕れたばかりのタコを使っているらしく、店の前には水槽に入ったタコがうねっている。
「いいですねえ。ちなみに、その次に俺はどうですか?」
「そんな事を言ってると、また成美ちゃんに叱られるわよ」
 悠里の指摘に成美の方を振り向くと、困ったような表情で僅かに眉を吊り上げていた。指導一つ、といった所だろうか。
 また余計な事を言ってしまったが、どうせ顔は分からないのだから問題は無いだろう。そう思った。