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 花火大会を知らせる放送が、開始まで残り時間五分であることを告げる。俺達は花火が見易い穴場だという場所へ移っていた。そこは意外にも、普段通学で使うバスプールに隣接する待合室の中だった。花火は近くの河原から打ち上げられるのだが、その場所と待合室の間には高い建物が無いのと、待合室自体がガラス張りで視界が広く保たれている利点があった。しかも、夏場の天敵である蚊もあまり入って来ないのは良い。半ば家にいるような感覚で、ベンチに座りながらゆったりと花火を見ることが出来るのである。さすがに地元の人間にしか気が付かない穴場だろう。
 花火大会が始まると、直前まで何が足りない何を忘れたと慌しく出入りしていた周囲が途端に静まり返り、次々と打ち上がる花火にじっと見入った。花火はもっと一発一発を綺麗だとか凄いとか歓声を上げながら見物するものと思っていただけに、皆がまるで美術館にでも来ているかのようにおとなしく眺めている様は不思議でならなかった。お約束の掛け声をかけようなどと思っていただけに、何となく自分が場違いの人間のような気がしてくる。こう厳かに楽しむのが白壁島流なのだろう。そう思った。
 およそ一時間に及ぶ花火大会が終わると、再び俺達は町を練り歩き始めた。花火大会が終わってから人気は幾分か退いたものの、まだまだ活気に満ちた賑わいを見せている。
 祭りのメインとも言える花火大会だったが、俺は本音ではあまり花火の美醜は良く分かっていない。ただ皆が打ち上げられた花火に一喜一憂するので、自分もそれを分かっている振りをしているにしか過ぎない。だから花火大会が終わった事で、内心ホッとしている部分がある。自分が楽しむ真の所はこの練り歩きにある。そう確信する。
「ねえ、裕樹君。あそこに射的があるわよ」
「あ、ホントだ。いっちょやってみようかな」
「それじゃあ、私のために上から二段目の右端のパンダを取ってくれないかな。私、射的は苦手なの」
 まかせておけとばかりに威勢の良い返答をし、早速射的の出店へ向かう。銃はライフルのような形状の大きな銃身で、空圧式でコルクの弾を撃ち出すものだった。店の中と外とを分けるカウンター台、目前には四段の広い棚と的として人形やお菓子の箱が並んでいる。チャンスは百円で三回、商品を見る限り一発でも命中させれば十分に元は取れるように思えた。
「おっちゃん、まずは一回」
 硬貨と弾丸を引き換え、銃口に詰めて銃を構える。銃器の扱いなど知っている訳ではなく、映画の見様見真似である。やはり二丁拳銃の方が締まるだろうか。そう思った。
「あれ? 外れた?」
「おしい、今ちょっと掠ったわよ」
「もうちょっと左を狙ってみようかな。今度は当たるでしょ」
 最初のチャレンジでは、続けて三発外してしまった。狙いを付けるより、構えるポーズを意識してしまったせいだと思う。意識がいまひとつ標的に定まっていないから狙いも外れてしまったのだ。
 気を取り直し、すぐにもう百円支払い挑戦する。今度こそはしくじらない。狐面に隠れていない口元にそんな笑みを浮かべて見せる。
「また外れた? 変だなあ」
「さっきより遠くなってるわよ。構え方のせいじゃない?」
 次の三発も狙いが大きくそれた。パンダだけでなく、他の標的にうっかり命中する事もない。これだけ的が並んでいるのに一発も当たらないのは、ある意味凄い事ではないかとも思った。しかしその慰めも、店主のニヤついた表情を前にそれはすぐに一蹴する。
「もう一回! 今度こそ!」
 これで三百円になる。いい加減そろそろ決めたい所だと真剣に思い始めてきた。いつの間にか周囲には足を止めて見物するギャラリーも出来ている。彼らに対する見栄も切りたい。しかし俺は、それ以上の変な焦りや緊張は無かった。こんな人混みの中でも誰も俺を俺だと知って見ている者はなく、拝んだり盗み見されることはないからだ。これほど人込みを居心地良く感じたのは初めてだろう。目立てるという俗なプレッシャーが僅かにあるくらいだろう。それ故の落ち着きである。
「おっ、見た!? 今、ど真ん中だった!」
 三度挑戦し、ようやくパンダのぬいぐるみを撃ち落す事が出来た。ギャラリーからも奮闘を讃えるらしい拍手が自然と起こる。俺は顔が見えないのをいいことに両手を上げてそれに応えた。
 パンダのぬいぐるみ一つに、子供のように浮かれはしゃぐ。祭りの雰囲気がそうさせているのかも知れないが、素性を隠している狐面も少なからず俺を解放的にしているのは間違いない。だが、手にしたパンダを間近で見ると、これほど苦労した割に意外に造型が良くもなく、あまりに見合わないとつい落胆してしまった。結局店主が一番儲けたようである。
「はい、取れましたよ」
「ありがとう。これ、一目で欲しいって思ったの。ほら、なんか裕樹君に似てるから」
「俺、そんなに毛深く無いですよ」
「『でもオレ、そういうのも全然アリですよー。できればじっくり観察させて下さいよ、先輩ー』」
 悠里がぬいぐるみのパンダの手を操り、俺が普段やっているらしい仕草や口調を真似る。からかうような言動だったが、いささか覚えがあるものばかりで、何となく反論がし辛かった。
「ん?」
 その時だった。不意に袖を後ろから引かれ振り向く。すると成美が伏せ目がちながらしっかりと俺の袖を掴んでいた。
「あの……、私も苦手なんです」
 遠慮がちと言うよりは緊張している。そんな様子だった。言葉足らずだが、その恥ずかしげな上目使いでおおよそ言いたい事は分かる。俺は成美の手を引いて出店の前へ立たせた。
「成美ちゃんはどれが欲しい? 何でも取ってあげるよ。もうコツは掴んだからね、百発百中さ」
「それじゃ……あれを。出来れば……」
 一通り的の並ぶ棚を眺めた後に成美が恐る恐る指差したのは、最上段の真ん中にある小さな箱だった。青紫の正方形の小さな箱だが、非常に特徴的な外見をしている。おそらく中に入っているのは玩具の指輪あたりだろう。指輪とは女の子らしい。そう思った。
「うわ、小さいなあ、的」
「あ、あの……それじゃあ違うものに」
「いやいや、かえってやる気が出てきたよ。絶対取ってあげるから、少し待ってて」
 本当ですか、と成美が目で不安げに問い返す。俺は笑ってそれに応えたものの、そういえば自分は面を着けているのだったと肩をすくめる。
 気を取り直し、店主に百円硬貨を渡して三発の弾を受け取る。大分慣れた手付きで弾丸を銃口に込め、これまでとは打って変わり落ち着きと自信に満ちた仕草で、最上段にある小さな標的を狙った。ギャラリーも、まだやるのかとからかい半分で声をあげる。周囲が俄かに賑やかになってきた。俺は出来るだけ気を散らさないように歓声からは自分を遠ざけて銃を構え引き金を引いた。
「お待たせ、成美ちゃん。取れたよ、ほら」
 その標的を実際手にしたのは、それから千円ほど使い、白けたギャラリーが半分近くどこかへ行ってしまった後だった。けれど俺は、その甚大な苦労もまるで無かったように笑顔で成美に戦果を渡した。成美はそういう事だけで気後れするからだ。
「ありがとうございます、見上さん。私、ずっと大切にします」
「ははっ、大げさだなあ。でも、そうしてくれると嬉しいよ」
 そう笑いながら成美の頭を子供にするようによしよしと撫でる。成美は怒らなかった。心底嬉しいという気持ちで今は頭が一杯の表情である。正直千円というのは馬鹿にならない金額だが、この成美の笑顔を見るとさほど高くも無い買い物だと自然に思う事が出来た。
 その余韻に浸っていると、悠里が不意に脇腹を小突いてきた。
「成美ちゃんにはこれからも優しくしてあげてね」
「俺、いつも優しいですよ?」
「そうじゃないの。そういう事じゃ」
 ならば何だろう?
 問い返してみたが、悠里は意味深に微笑むだけだった。意地悪でもからかうような意図も感じられ無い。ただ何を言いたいのか分からない、不思議な表情だった。