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 悠里と別れた帰り道、屋敷までの十数分の道のりを俺は考え込みながらゆっくりと歩いていた。
 悠里は何故最後まで言わなかったのか。にも関わらず、それを隠そうとする訳でもなく思わせぶりな仕種を見せたのは何故なのか。
 緒方家の報復があるから? しかし、そこまでしなければいけないような事など俺には心当たりは勿論、見当もつかない。まして、一介の学生である悠里がそんなことを知り得るだろうか。
 悠里が恐れているのは蓬莱様の天罰? それは更に有り得ない。悠里は占い程度のオカルトは好きでも、呪い祟りの類に心底恐れたりはしない。悠里は人並み以上に科学とオカルトの切り分けは出来ている人間だ。
 自分の置かれた状況がぼんやりと見えてきたように思う。
 悠里の話は全て正しいとするのなら、俺は緒方家に監視されていて、尚且つその事実が漏れぬよう周囲も同様に監視されているという事だ。それなら水野さんのあのメッセージや、浩介の何者かとの会話も納得が出来る。監視している手段にしても、実は悠里がしているという事かもしれない。今思い出してみると、初めて学校で会った時の悠里の接近の仕方は恣意的とも取れるものだから。
 では、何故俺が緒方家に監視されるのか、それだけがどうしても分からない。成美の事も、悠里はほのめかすだけで結局は教えてくれなかった。つまり、隠している事があるのだ。もしかすると、ここに何か繋がる理由があるのなら、事の全貌が見えてくるのかもしれない。何となく、そう俺は予感する。
 家に到着すると、またいつのものように玄関では使用人達が集まり仰々しく出迎えられた。部屋に入り寛いでいると、それを見計らったかのように浩介が冷たいお茶を持って来る。とにかく緒方家という場所は日常の不便が全く無かった。初めの内は、使用人の事細かな世話にいつも緊張していた。しかし最近ではそれに慣れたのだろうか、出て来て当たり前のようにすら思い始めていた。どうしてそこまで世話をしてくれるのか、自分はそれほどの人物ではないというのに。そんな思いが消え去ってきている。水野さんによる教育は軌道に乗り、最近は楽しんで勉強にするようになった。その一方で、こうした悪い意味での慣れも俺には始まっているのだろう。
 寝転がりながら時計を見上げると、夕食にはまだ一時間ほどある時間だった。水野さんの授業に向けて予習でもしようかと思ったが、既に空腹感があってさほど身に入りそうにない。何か適当な読書で時間を潰そうかと思い、俺は本棚から以前買った短編集を取り出し再び寝転がった。
 白壁島に来て以来、漫画を読む量は随分減り、代わりに読書をする事が多くなった。今まで雑誌を読むタイミングがそのまま読書に置き換わった感じである。良い習慣のように思う。だがその一方で、本を読みながら別の事を考える習慣も出来てしまった。些細な悩みがどつぼに嵌まる遠因でもある。そういう意味では善し悪しなのだろう。
 読書をしながら、ふと俺は今日の悠里の行動を思い出した。悠里は俺に蓬莱様を外させ、距離を取った上であの話をした。良く考えてみれば、あれは非常に不自然である。悠里は戯れ以外でああいった無駄な事はしない。しかもあの切迫した表情は、戯れでは断じてない。
 やはり蓬莱様の中身に秘密があるのだろうか?
 思い立った俺は早速行動に移した。蓬莱様が本当にただの箱であるのかどうか、その検証である。
 まず蓬莱様をゆっくり静かに外し机の上に置くと、その周囲を事典を立てて囲んだ。普段蓬莱様を入れている巾着は、代わりに携帯を入れて首から提げた。形ですぐ悟られぬよう、更にだぶついたシャツを上に着込む。部屋の電気はつけたままにした。
「少し寝るかなあ。どうせ誰か起こすだろうし」
 不自然にならない程度の声量で独り言をこぼし、わざと音を立てて寝転がると、すぐさま今度は静かにゆっくりと音を立てぬように立ち上がる。
 部屋の戸は同じように静かにゆっくりと慎重に開けた。自分の体が辛うじて通れるだけ確保すると、そこからそっと外に出て、また慎重に閉める。
 正直な所、自分でも随分と馬鹿馬鹿しい事をしていると思った。けれど、試してみなければどうにも納得は出来そうになかった。悠里の取った行動の理由、その裏がどうしても欲しいのだ。動機だとかそういったものは、推理小説同様に一番最後の補足で十分なのだ。
 果たして、蓬莱様とは一体何なのか。ただの伝統、言い伝えではないとしたら、その目的は何か。
 またしても祖母の顔がちらついたが、昼間ほど迷いはしなかった。俺は一呼吸ついて気持ちを落ち着けると、足音を出来るだけ潜めながら階段を下りた。特に表情は意識する。自分は何食わぬ顔で平然と振舞わなければならない。所謂鎌かけなのだから、故意であると悟られては意味が無いのだ。
「えっ、裕樹様?」
 一階まで下りて来ると、屋敷の使用人の一人とばったり出くわした。俺は驚きで声が出そうになるのを堪え、何でもないと平素の表情を意識する。その一方で使用人は、酷く驚いた表情でこちらを見ていた。偶然擦れ違いそうになっただけとは思えないほどの驚愕の表情である。
「ん、どうかした?」
「い、いえ、てっきりお部屋でお休みになられているものと……」
「そうだけど、ちょっと用事を思い出しただけだよ」
「左様でしたか……」
 使用人は一礼し慌ててその場から立ち去った。
 今の使用人の反応に、俺の確信は更に強まった。こちらを見て驚いたのはさておき、今の口調では明らかに俺が自室にいるはずだと断定している。こういった場合、俺が何か所用で部屋から出て来たと思い、その用件を伺うのが自然な反応だ。まるで、自分の把握していない行動を取られるのが迷惑だと言わんばかりである。
 それから俺は屋敷を軽く歩き回ってみた。時折擦れ違う使用人達は、いずれも驚いた表情で廊下の端へ身を寄せ視線を一度も持ち上げない。係わり合いになりたくない、もしくはどうすればいいのか分からない、そんな様子に俺には見えた。これまでも使用人達は俺に対して終始慇懃な態度で接していた。擦れ違う時も堂々とこちらを目視してくる者も一人としていない。しかし、表情は今のように動揺など無くもっと寡黙なものだった。蓬莱様を外しただけでこの変貌ぶり、やはり自分の予感はあながち間違ってはいないのかもしれない。そう思った。
 大方回り終えた後、ふと俺はまだ成美の姿を見ていない事に気が付いた。悠里は成美に対して意味深な表現をしていた。俺は成美やそれ以外の周囲の人達が俺に何かを隠しているように思っている。それに対して悠里は、口でははっきりと否定はしたけれど、態度は全く正反対のものだった。俺の予想は強ち見当外れという訳でもないのだろう。鍵は成美にある。そう俺は直感した。そして、使用人が動揺しているこの状況ならきっと何か掴めるような気がする。
 俺は成美の姿を探し始めた。