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 人柄を試す。それはじわりじわりと頭にのしかかってくる、すぐには重みを感じ得ない嫌な響きだった。
 十代と言えば、誰もが同じ学校へ通っている事になる。当然、その中には同窓生も含まれる。みんなは転校生の俺に分け隔てなく接してくれて、生まれて初めての転校に抱いていた不安を瞬く間に吹き飛ばしてくれた。それなのに、そんな皆がまさか、日常において俺を試すような事をしていたいうのだろうか。親しげに接してくれた事も、単にどういう人間なのかを品定めするのに必要なだけだったと、そう言うのだろうか。
 そっと自分の左右に視線を送る。こちらを見詰めていた悠里とも菊本は、何も言わずにただ申し訳無さそうに目を伏せた。成美の言っている事を否定はしないらしい。そんな二人の眼差しに耐えかねて、俺も目を閉じぎゅっと両拳を握り締めた。
 俺と仲良くしていたのは、全て演技、必要だからやった、そういう訳なのか。
 怒りとも悔しさともつかない感情が胸の中に渦巻く。確かに拳を振り上げたい衝動はあった。けれど、その振り落とす所が見つからない。そもそも自分が今ここで声を張り上げる行為すら虚しかった。多分、気持ちが圧倒的に擦れ違っていた事を知った、その喪失感のせいなのだろう。そう俺は思った。
「偽名を名乗ったのは、成美ちゃんも俺を試すためだったの?」
「半分はそうです。緒方姓がもう一人いたら、変な状況になってしまいますから。でも、本音はもう半分の方なんです」
「本音?」
「見上さんがいつ、私が偽名だって事に気づいてくれるのか、ううん、思い出してくれるのか。本当はすぐに思い出して欲しかったんです」
「思い出すって、俺が? どうやって?」
「私、本土では緒方を名乗っていたんですよ。覚えていてくれなかったのですね」
 そう成美は寂しげに微笑んだ。俺は何も言えず、そのままうつむいた。
 ここには誰も味方はいない。ふとそんな気がした。祖母は自分の血縁ではなく、友人はみんな俺を試していただけ。大人はもっとそれ以上にシビアに見ているだろう。俺の味方をしてくれる人はいない。それはつまり、俺の居場所はこの島のどこにも無いことになる。
「俺はこれからどうなるんだ……?」
 呆然として無意識の内にそんな言葉が口から零れる。そんな俺を見た祖母は、さも呆れたようにわざとらしい溜息をついた。
「玲子、このわらしの塩梅はどうなった」
「能力的には、こちらの要求の七割にも満たっていません。及第点とまでもいかないでしょう」
「出来の悪いぽんつくだったって事だな」
「ですが、本人次第でまだのびしろを考慮する余地はあるかと」
「今無きゃ初めから無えんだ。そんたなぼやぼやってしてられね」
 そう水野さんを叱り付ける祖母。だが次の瞬間、突然と火のついたように激しく咳込み始めた。すぐに祖母の側まで向かった水野さんは、背中をさすりながら様子を窺う。けれど祖母は、咳込みながらもそんな水野さんを欝陶しそうに押し退けた。そしてまた忌ま忌ましげに俺を睨みつけてくる。ほつれた前髪が額にかかり、ひゅうひゅうと空気の漏れるような音を立てて荒い呼吸を繰り返す。とても尋常ではない。そう俺は思った。
「良く聞いとげよ。お前が唯一褒められるのは、蓬莱様の蓋を開けなかった事だけだ。後は全然駄目だ。いっつもへらへらして締まりもあったもんでねし、揉め事起きても白黒つけずになあなあで済ませ、女相手にするのに女みでな声あげて何をするべ。お前は人の上さ立つような人間じゃね。そんたなほでなす、緒方の婿さなんか出来るもんでね。お前の種は必要ねえ。金はやっから、さっさど島から行ってしまえ」
 しわがれた声で早口にまくし立てる。言葉の節々は声が濁っていてあまり良くは分からなかったが、自分が何を言われているのかは理解出来た。今ぶつけられたのはただの悪意である。俺をどうしても追い払おうとする、そういう頑ななものだ。そこまでして追い払いたいのであれば、敢えてしがみつく理由はない。祖母への感情がそこでぷっつりと途切れた。そう俺は思った。
 この状況でも、誰一人異論は唱えなかった。周囲は皆、祖母の味方である。緒方家に平伏しているのだ。当然だろう、そうしなければ白壁島では生きていく事は出来ないのだから。
 改めて自分はこの島に居ても仕方が無い事を実感する。むしろ初めからいなかった方が良かったのかもしれない。主人公が、消え入りたい、という表現をした本があったが、今正に俺は同じものを感じている。申し訳ないとか誰にも迷惑をかけないようにとか、あれはそういう事では無い。糸の切れた凧が空を落ちていく、そんなものだ。
 自分はもう白壁島には繋がれない。だから自ら頭を下げて留まるつもりもない。だが一つだけ、黙ったまま引き下がれないものがあった。そんな事を訊ねるものじゃない。普段なら、そういう冷静な声が押し止める。けれど、今は不思議とその声が聞こえなかった。
「ねえ、成美ちゃん。一つだけ、教えてよ」
 座ったまま手だけで成美の方へにじり寄る。表情は自分では平静を保っているつもりだった。けれど、周囲には異様に見えたのだと思う。すぐさま隣の菊本が追ってきて、それ以上進めないようにと俺の肩を押さえた。
「はい、なんなりと」
 そんな状況を前にも、成美は神妙な表情でじっと俺の目を見据えてきた。今まで成美はずっと引っ込み思案の恥ずかしがり屋の性格だから、人の目を正面から真っ直ぐなんて見られないと思っていた。だから成美も今までずっと自分を騙していた、そういう失望感がまた込み上げて来た。
「俺が白壁島に住むように手配したのは、成美ちゃんなんだよね」
「そうです。見上さんを婿として迎え入れるのに相応しいかどうか、島民で精査する。そういう目的でした」
「だったらさ。俺が白壁島に来るように手配したのは、そう、俺が誰かを頼らざるを得ない境遇にしたのはさ、成美ちゃんなの?」
 誰かが息を飲んだような気がした。おそらく俺の背中に近い誰かだろう。けれど俺は白々しいと思った。どうせその事もとっくに知っていたんじゃないのか、そういう思いが強かったからだ。
「おい、見上。お前何を」
 菊本は険しい表情で俺を押さえる手により力を込める。俺とは違い骨太な体格の菊本の力では、すぐに悲鳴を上げそうなほど激痛が走っただろう。だが、それほどの制止にも俺は構いもしなかった。痛いとかどうとかは大した問題では無いと思うからだ。
「気持ちは分かるが、開き直るにしても場は弁えるんだ」
 俺に全く萎縮する様子が無いと見るや、菊本はいよいよ血相を変えて俺を押し留めようとする。しかし俺が強引に話を続けようとするため、肩を押さえているだけでは堪りかね、遂には立ち上がって俺と成美との間に割って入った。だが、それでも俺は菊本に捨て身のような抵抗した。自分でも信じられないほどの腕力だと思った。それほどに、俺はこの言葉を言いたかったのだろう。
 自分でも本当に別人になったような気分だった。そんな心境の中で、俺は遂にその言葉を言い放った。
「もしかしてさ、俺の両親。殺されたんじゃないの?」