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 火葬が終わり、同行した人達が戻ってきたのは夕方頃だった。俺は相変わらず部屋に篭り、ボーっと外の景色を眺めていた。屋敷では大広間に皆が集まっている。精進落としという宴会のようなものらしい。頃合は夕食時だが、やはり食欲は無かった。騒がしい所へ繰り出す気力も無い。ただ少しばかり、時間を無為に過ごす事に退屈を覚え始めてきた。
 日も暮れて全ての参列者が屋敷から出て行くと、ようやく屋敷の中は普段の静けさを取り戻したように思えた。まだ葬儀の片付けをしている業者や、広間の後始末をしている使用人が行き交っている。それでも、自分の事を知らぬばかりにあれこれ訊ねてくるような人がいないだけで、心が休まるには十分だった。
 成美と話をしよう。そんな事を思い立ったのは、窓の外から葬儀屋のトラックが出ていくのが見えた時だった。何となく、今ならゆっくり話せる気がした。自分自身、成美とはちゃんと話すべきだと思っている。あの時からずっと、成美とは二人で話をしていないのだから。
 部屋から出て一階へ降りる。軽く回ってみたが、成美の姿は見当たらなかった。使用人に訊けばすぐに分かりそうな事だったが、擦れ違うたび擦れ違うたびに言い出そうとし、結局は言えなかった。何となく、自分が成美を探していると思われるのが嫌だったからだ。もっとも、無言のままうろうろと歩き回っていれば、自然と用件は窺い知れるのだが。
 携帯にかけてみようと思ったがやはりやめた。顔が見えない状況で話すのは気後れがした。それに、予告しておくとかえって構えられる。そういう状態では話したくはないのだ。
 成美はどこにいるのだろうか。
 一階は大方回ったが、まだ一つだけ行っていない場所がある。何となくそこに成美はいるような気がして、俺はふらふらと足を向けた。
 向かったのは、初めてこの屋敷へ来た時に通された、母屋から廊下伝いに行く離れ、祖母の部屋である。
 長い廊下を進んで行く中、部屋の障子からは僅かに明かりが点っているのが見えた。部屋の前まで来ると、小さなスリッパが一つ行儀良く揃えられている。やはりここに居る。そう思うと、じんわり手の平に汗が浮かんだ。
「ねえ、俺だけど。入るよ?」
 湿った手を拭い、一度声をかけて中へ入る。
 薄暗い部屋の中、物静かな成美の姿がぽつりとあった。成美は一人正座していた。そこは、かつて俺がこの部屋へ来た時も座ったのと同じ場所である。
「見上さん、よく分かりましたね」
「片っ端から探し回っただけだよ」
 ゆっくりと振り向いた成美は、意外にもそう言ってにっこり微笑んだ。けれど、思わず釣られて笑えるような笑みではなかった。明らかに無理に浮かべているのが分かる笑みである。
 この部屋で何をしているのだろうか。そう思ってまず目についたのは、祖母の使っていた机の上に乗っている、白い布に包まれた箱。布の下がどうなっているのか、それを俺は覚えてはいなかった。けれど、何があるのかは知っている。だから、成美にここで何をしていたのかとは訊けなかった。
「私もこれで天涯孤独となりました。見上さんと一緒です」
「そうだね。でも、俺と一緒じゃないよ。成美ちゃんには、島のみんながいるじゃない。みんな、成美ちゃんの事を支えてくれるさ。気持ちが繋がってるなら、血が繋がってなくなって関係無いよ」
 俺もそっと成美の側に腰を下ろす。そして、ふと今日はまだ祖母に手を合わせていない事に気づき、目前のそれにそっと目を閉じ合掌した。白々しいとも思ったが、やはり礼儀は失せない。今となっては皮肉な、当主としての自覚というものである。
「あの、見上さん」
「何かな」
「話しておきたい事があります。今、よろしいでしょうか?」
「いいよ。俺もそういうつもりで来たから」
 傍らで話す成美の声は、皆の前に立っていた時とは比べ物にならないほどか細くて頼りなかった。視線を落として見ると、驚くほど小さくなった成美の肩があった。右手をそっと回すだけで簡単に押さえ付けられそうなほど、小さなな肩だった。次期当主として堂々と振る舞っていたあの姿からは到底想像がつかない。
「見上さん、以前私におっしゃいましたよね。欲しいって言わないと、欲しい物を手に入れられなくて後から後悔するって。それぐらい、自分で分かっていました。私は欲しがってはならない。そう教えられながら、育ってきましたから」
「そう。祖母はやはり厳しかったんだね」
「はい。それで私は、諦めなければいけない後悔は誰よりも分かります。それがどれだけ悔しいか、まして後になってどれだけの未練になるのかも。だから、今回は、欲しいって言ったんです。生まれて初めて、本気で。その結果が、蓬莱様でした」
 万が一、成美の選んだ相手が白壁島を豊かに出来るような人物だったなら、それで良し。そうでなければ、追い出してしまう理由をここから捜す。それが蓬莱様である。持った人間の生活を全て筒抜けにし、皆で人間性を吟味する。今となれば陰湿で悪趣味としか言いようのないものだ。
 俺の生活の一部始終を、成美はどんな気分で聞いていたのだろうか。少しだけ想像し、胸が痛くなった。
「見上さん」
 不意に成美は正座したままこちらへ向き直った。妙に神妙な面持ちだった。何かを決心した、そんな様子だ。けれど悲壮感がある。何となく、森下老人の言っていた祖母の話を思い出した。
「改めてお願いします。私の事が好きでなくても構いません。私は見上さんの行動に口も挟みません。だから、どうかこのまま白壁島に留まって下さい。お願いします」
 そう頭を下げる。その低さは座礼というよりも土下座に近い気がした。
「やめなよ、成美ちゃん。俺なんかのために卑屈になる事はないよ」
「それでも、私にとっては大事な事なんです。私の自由は、これだけなんです。私は見上さんを最後に、もう何も欲しがるつもりはありません。そうでないと、本当に白壁島を支えていけない」
「けどね、だからこそ成美ちゃんはこういう事で卑屈になっちゃいけないよ。俺みたいに諦め癖がつくから。卑屈になればどうにかなるって思っちゃ駄目だ。人を引っ張る人は、卑屈じゃいけないんだ」
 成美はこくりと無言で頷いた。よしよしと頭を軽く抱えて撫でる。すぐに、成美の両手が俺の左腕を離すまいとしっかり掴んだ。執念、呼ぶのはいささか酷だろうか。だが、成美の気持ちの強さはそう呼べるほどのものだと俺は思った。そこまで追い詰められなければいけないなんて、なんて可哀相なのだろう。それが今の成美に対する素直な気持ちだ。
「ねえ、成美ちゃん」
「はい」
「俺、来週になったら島を出るよ」
「え……?」
「二、三日したら戻って来る。まだ、両親の墓参りしてなかったんだ。その、成美ちゃんがしっかり喪主やってるの見てさ、俺もこういう事をきっちりやらなきゃ駄目だって思ったんだ。だから、ね」
「それじゃあ私も一緒に」
「駄目だよ。まだ亡くなったばかりで大変な時なんだから。当主が私情で島を離れてる場合じゃないでしょ」
 私情、という言葉が痛かったのだろう。尚も食い下がろうとするが、ぎゅっと唇を噛み締めるように押し黙った。我ながら心にも無い、酷い言い訳だと思った。何がどう大変なのかも分からないばかりか、あえて成美の弱い所を突くような言葉を選んだのだから。
「大丈夫、きっと戻って来るよ」
「本当に、絶対にですね?」
「本当に絶対。約束する」