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 毎日決まった時間に起き、決まった道順で登校する。そういった予め自分の中で決められている一連の流れをどれだけなぞり繰り返せるのか、それが俺にとっての穏やかな日常を表すバロメーターである。人を思い通りに動かそうとまでは思わないが、人のせいで自分の思い通りにならない事には少なからず苛立ちを覚える。人にはそれが神経質と映るらしい。自分では、自分がやりたい事だけをやる面倒臭がり屋だと思っているのだが。
 今朝も七時丁度に目を覚まし、その四十五分後に自宅を出た。通学路の行程は普通の歩幅でおよそ二十分。順調に進めば八時十分には自席に着席出来るのだが、実際にそれが達成出来た事は未だ数回しかない。そうなる理由は家を出てから十分後で待ち受けているものにある。
 町の中心から少し外れた小高い山、その中腹には古い寺がある。山の麓に何軒かの家が建ち並んでいるのだが、その一つが幼い頃からの腐れ縁であるヒロシの家である。俺が毎朝足止めを余儀なくされる要因だ。
「おはようございます」
 呼び鈴を押し家の中へ声をかける。するとすぐに家の中からスリッパで駆ける足音が聞こえてきて玄関が開いた。
「あら、おはようトウマ君。ごめんなさいね、すぐに来るから。ヒロシ、トウマ君迎えに来たわよ! 早く準備なさい!」
 ヒロシの母が俺にかける時とは正反対の険しい口調で家の中へ呼びかける。すぐにヒロシのうなり声のような妙な返事が聞こえてくるが、威勢の良さとは裏腹に即座にやってきた試しはない。
 返事がすぐ聞こえたという事は、今は着替えの最中だろう。大方今し方起きて慌てて朝食を詰め込んだ直後といったところか。着替えの段階まで来ている分良い方である。迎えに来るまで二度寝の最中だった事など、もう何度あったかすら覚えてはいない。
「おう、待たせたな」
 そして五分ほど経ってからヒロシは悪びれる様子も無いふてぶてしい足取りで現れる。口では待たせたとは言っても、大した事では無いと思っているのだろう。俺にとっての五分とヒロシにとっての五分には非常に大きな隔たりがあるのだ。
「いつもの事だからな」
「別にいつも寝坊してる訳じゃないぞ? 今日はたまたま目覚ましが鳴らなかっただけだ」
「その言い訳も、いつもの事だな」
 ヒロシと連れ立って通学路へ戻り学校へと急ぐ。いつも始業には十分間に合う時間に家を出ているのだが、ヒロシの家に寄る事で必ず足を早めなければならない時間になってしまう。この構図は小学校以来ずっと続いているものだ。昔から待たされる事が当たり前になっているせいか、これに関してはヒロシに対して腹も立たなくなってしまっている。
 通学路の途中にある商店街を抜ける途中、文具店の店頭に添えつけられている時計に目を向け途中経過を確認する。長針が一と二の丁度間を指している。普段よりも若干早い。今日は遅刻ぎりぎりで登校して来る所を教師に見つかりやしないかと不安がる必要はなさそうである。
 余裕があると分かった俺は、多少からかう意味も含ませヒロシに意地の悪い質問をぶつけてみた。
「で、今日は何で寝坊したんだ?」
「だから寝坊じゃないって。悪いのは目覚ましなんだよ」
「ちゃんと七時半にセットして寝てるんだろ?」
「そうだよ。でも今朝、なんでか六時半にいきなり鳴ってさ。何だよまだ一時間も寝れるじゃんか、って二度寝してしまったんだ。あの時計、壊れてるな絶対」
「設定間違えただけだって。別に少し早く起きたくらいなら、起きてテレビでも見てればいいだろ」
「眠くてそんな気分にゃならねえよ」
 そう言ってヒロシは大きなあくびを一つする。
 思い返してみると、今朝はいつも以上にヒロシはあくびを繰り返している。それだけ眠いという事は、昨夜は遅くまで夜更かしをしていたに違いない。先日、新しいアクションゲームを買ったから、まず理由はそれだろう。
「どうせゲームするなら、早く寝て早く起きて朝にやればいいんじゃないか?」
「あ、またゲームで夜更かししたって思ってるだろ。違うんだって」
「何が? 読書なんかしないだろ、お前。そうか、漫画か」
「違うって。だからそういうんじゃない」
 ヒロシが夜更かしをする理由など、ゲームか漫画か大体どちらかである。そのどちらでもないと否定された事を俺は珍しいと思った。まさか本気で勉強にでも目覚めたか、と一瞬有り得ない想像をしてしまう。
「じゃあ何だよ?」
「うん。なあ、トウマ。ちょっと聞いてくれるか? 実はな、それで面白い話があるんだ」
 急にそう声を潜めにやりと薄ら笑いを浮かべるトウマ。即座に俺の背筋に嫌な緊張が走った。
 来た。
 この表情でこの切り出し方、これまでにただの一度としてろくな目にあった試しのない、俺にとっては悪魔の笑みである。
 思い起こせば、始まりは小学四年の時だ。プールの女子更衣室に絶対ばれない覗き穴があると無理やり誘われるもののあっさりとバレてしまい、親まで呼ばれる大問題に発展した。その次の年は、キャンプ合宿で他校の女子のテントに忍び込んだものの見回りの先生に見つかり、学校間での大問題に。一番最近では、修学旅行の自由行動で事前に提出した予定ルートから二人で勝手に外れた挙げ句、宿に帰られなくなって困窮し警察のお世話になるという醜態を晒した。
 とにかくヒロシの思いつくことはいつもろくな結果にならないし、決まって俺はなし崩しに巻き込まれている。ヒロシはろくな発案をしない。だからそれを諌めるのが自分の立ち位置だと思っている。そしてそれが他ならぬ保身にも繋がるのだ。
 この笑みこの表情、最近はゲームに夢中でおとなしくなっていたと思っていたが、また何かくだらない事でも思いついたのか。俺は溜息をつきそうになりながら、ヒロシの言葉に警戒感を強める。
「実はな、昨夜見ちゃったんだよ」
「何を」
「幽霊」
 予想とは違う、妙な単語が飛び出してきた事に俺は一層険しく眉をひそめる。
「は?」
「だから、幽霊」
「幽霊って……お前ん家で?」
「いや、そうじゃなくて。ほら、うちの前って寺だから俺の部屋の窓から墓地も見えるじゃん? で、夜中電気消してゲームしてる時にさ、ふと窓の外振り向いたら見ちゃったんだよ。こうゆらゆらと動く明かりが墓場の辺りをうろついてるのが」
「幽霊っていうか人魂?」
「だとは思うんだけどさ、その割にちょっとでか過ぎるような気もするんだ。人魂ってあんなでかいもんか?」
「知らないよ、そんなの。見て無いし」
 まさか今度は幽霊だとか人魂だとか、そんな単語が飛び出すとは思いも寄らなかった。ヒロシのような粗雑な性格の人間は心霊現象とは無縁だと思っていただけに、驚きもひとしおである。だが、おちおち驚いてもいられない。この話の流れから察すると、次に切り出される事など容易に想像が付く。
「でさ、トウマ。今度、俺達でその幽霊、本当にいるのかどうか確かめに行かね?」