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 翌朝。俺はヒロシの両親に世話になった挨拶をし、一度帰宅し登校の準備をしてから再びヒロシの家へ向かった。
 昨夜は寝るのが遅かったため、酷く眠くてあくびばかり繰り返していた。テスト勉強は思っていたほど捗ったため、まだまだ十分取り返しは利く。だからもう少し気楽に振る舞っていても良さそうなものだったが、それは出来なかった。頭の中は昨夜見た光景の事で一杯だったからだ。
「待たせたな。んじゃ、行きますか」
「ああ」
 今朝のヒロシはいつもといたって変わらず、テスト前期間の緊張を微塵も感じさせない振る舞いだった。こんな状況で余計な出来事を持ち込んで、それで尚平然としていられる神経が俺には理解し難かった。興味のある事には固執するものの、全般的には思慮を巡らす事はないのだろう。
 普段と同じ時間にヒロシの家へ行き、普段と同じだけヒロシの準備に待たされ、普段と同じ急ぎ足で学校へ向かう。あれほど代わり映えの無い日常にこだわり安心感を得ていた俺だったが、今朝はどれだけ物事が定刻通りに進もうと一片の安心も得られなかった。漠然とした不安感が常に頭の隅にこびりついて離れず、このままではいけない何かしなくてはいけない、そう脅迫めいた圧迫感が常に付いて回って来る。
 昨夜、ヒロシの妄執をどうにかしようと泊まり込んでまで墓地を見張った。結局はヒロシが見たという幽霊やら火の玉といった類は現れなかったものの、その代わりに俺はもっとたちの悪いものを目撃する羽目になってしまった。暦とした、生きた人間。それも、あんな時間にあんな場所をうろつくような人間だ。どう贔屓目に見ても、まともな人間である確率の方が遙かに低い。幽霊など正体を見れば大したことはない。それが昔からの定説だったのだが、その結果幽霊よりも厄介なものを目撃してしまうなんて。俺がいつも面倒事に巻き込まれるのは何も、ヒロシだけの原因ではないように思えてきた。
「なあ、トウマ。本当にどうしたんだよ?」
 校舎が見え始めた頃、唐突にヒロシが神妙な面持ちで俺に訊ねてきた。
「何が?」
「何がって、お前ちょっとおかしいぜ。素っ気無いのはいつもだけどさ、さっきからずっと妙に上の空だし」
「気のせいだ」
「そんな事あるかよ。お互い付き合いだって長いのに」
 ヒロシにしては随分と鋭い観察眼である。いや、機微に疎いヒロシですら分かるほど、俺が深刻な表情をしているのだろうか。
 自身の深刻の理由は知っている。予想外に衝撃的なものを見た事もそうだが、何よりその事をヒロシに話すべきかどうか俺は悩んでいた。ヒロシの持つ、幽霊に対する幻想を打ち砕く事は一向に構わない。むしろ望むところである。だが、俺が見たものを正直に話し、それへヒロシが興味を持ってしまわれるのは非常に厄介だ。幽霊ならまだしも、生きた人間に興味本位で関わるのはどう考えても後々に面倒事へ繋がりかねない。
「もしかして、昨夜何か見たのか?」
「何でそう思う?」
「だってお前、妙に墓場の方見てたじゃんか。何か見つけて、もう一度見ようとして探してたんだろ?」
「別に何も見て無い」
「大丈夫、笑わないって。絶対。俺を信用しろよ」
 その言葉に何度騙された事か。ヒロシの一点の曇りも無い笑みにため息を漏らす。
「別に笑う分には構わないんだけどさ。とりあえず、絶対に勝手な行動は取るなよ? それだけは約束しろ」
「するする。お前抜きでやって面白い事なんかあるものか」
 調子の良いセリフだ。そう俺は苦笑いする。
「それで、昨夜の事なんだけどさ」
「おう」
「見ちゃったんだよ」
「やっぱり幽霊か?」
「いや……」
「何だよ」
「普通の人間。夜の墓地なのに、一人で歩き回ってた」
 果たしてヒロシはどんな反応をするのか。
 恐る恐るヒロシの表情を窺う。するとそれは、懸念していたようなただの興味本位ではなく、ただ純粋に驚きを露わにしたものだった。
「人間って、はっきり見えたのか?」
「ああ。ほとんど背中ばっかりだったけど、足が無いとか薄く透き通っているとかじゃない」
「人間か……。火の玉じゃなくて人間……」
 ヒロシが口元を押さえ考え込み始めた。落胆している様子も無く、ただ俺の見たものがただただ相当意外だったらしい。このヒロシの反応は予想の範疇を若干逸脱していた。バカにするか、落胆するか、否定するか、ヒロシの反応はその三つ以外に俺は想像出来なかったのだ。
 そして、しばらく黙り込んでいたヒロシは唐突に口を開いた。
「なあ、今日の放課後さ、ちょっと墓地に行ってみないか?」
「何か調べるつもりなのか?」
「いや。実はさ、その人間に心当たりがあるんだよ。もしかすると、ってレベルだけどさ」