BACK

 土曜日。俺はまた試験勉強を口実にヒロシの家に泊まりに来た。昔から良くある事だったから、家族にそれほど訝しまれないのは好都合である。ただ、今回の試験結果が不出来だった場合、今後はどうなるかは分からないリスクも付きまとっているのだが。
 夜も更け、日付が日曜日に変わる頃、俺達は予定通り寺の墓地へ向けて密やかに出発した。出来るだけ目立たぬよう暗色の服を着込み、持ち物は全て上着の内ポケットへ。軽微な保護の意味も含め帽子を目深に被り、アスファルトの上でも靴音が響き難くするため古いスニーカーを履き込んでいる。端から見れば、これから泥棒にでも行くかのような風体だった。それだけに、危険はそもそも寺だけでなく一般道にも潜んでいる事を自覚しなければならない。
 人目を避けるように道の端を歩きながら寺の裏口を目指す。幸い、田舎の深夜など時折長距離トラックが通るぐらいで人通りなど皆無に等しく、誰にも目撃されずに済んだのは幸運だった。不審に思われ警察沙汰になるのは、それらしい言い訳も無いため少々まずい。
 初めから打ち合わせの内容に準拠して行動しているため、俺達はほとんど言葉も交わさずに黙々と歩き続け、やがて侵入口となる寺の裏口前に到着した。街灯がぽつぽつと灯ってはいるものの街灯同士の間隔が非常に広く、また光量そのものが少ないため、辛うじて靴紐が結べそうな程度の明るさしか無かった。まだ墓地では無いにしても、夜の寺という言いしれぬ不気味さが早くもひしひしと伝わってくる。
「とりあえず、まだ人気は無さそうだな。住職の孫が張り付いている事はなさそうだ」
「じゃあ……入ってみるか? うん、後ろは俺に任せろよ」
 当初の打ち合わせ通り、俺が前で、ヒロシが後ろに注意をしながら進む形式で中へと踏み込んだ。この立ち位置はヒロシの発案で、なんでも自分は幽霊の存在を信じているから幽霊に遭遇し易そうな前を歩くのが恐ろしいのだそうだ。今更とってつけたような印象は否めなかったが、俺には先頭を断る理由もなく、それでこの形になった。
 深夜の墓地へ足を踏み入れるのは、意外にも恐怖心より背徳感の方が強かった。幽霊の存在は信じていなくとも仏教に対するそれなりの信仰心はあり、死者の眠りを妨げている行為に気が咎めているのだ。幽霊と死者は同じもののはずなのに区別を付けるのは随分な矛盾である。
 駐車場を抜け、やがて俺達は以前昼間に忍び込んだ時と同じ場所へ辿り着いた。光が乱反射しないよう下向きに構えた懐中電灯で周囲を照らして確かめる。光の中に墓石や卒塔婆が見えた事に心臓が高鳴った。恐怖心によるものと考えるのが普通だが、それでも俺はまだ背徳感の方が上だった。それらの宗教的な意味合いや遺族の心境を考えると尚更である。
 ここから伸びる坂を真っ直ぐ下っていくと寺の正門へ辿り着く。俺達はぬめる地面に足を取られぬよう注意しながら坂を下っていった。墓地の坂はぎりぎりすれ違える程度の狭い道幅で、傾斜も非常に急な上に時折地盤沈下かと思われる崩れがある。舗装するなり階段に整備するなりしても良さそうなのだが、やはり費用が問題なのだろう。
「なあトウマ。知ってるか?」
「何が?」
「夜の墓地って霊場として安定してるから、幽霊って出難いんだぜ」
「下らない事を言うなら黙ってろ。居るかも知れないだろ」
「幽霊が?」
「ターゲット」
 ヒロシは大分声を潜めてはいたものの、思っていたよりそれは周囲に響いた。他に音の出るものが無いせいなのだろう、他に誰か居れば確実に今の会話は聞かれていた。それに坂をにじり下る靴音もかなり響く。もっと自らの出す音に配慮しなければかなり危険だ。
 足下に慎重になりながらやがて正門へ辿り着く。その頃になると墓場の持つ独特の空気にも慣れ始めていた。その上背徳感も薄らぎ始め、せめてそれだけは無くすまいと気持ちだけそれらしい振る舞いを心がける。
 こうしてわざわざここに来たのは、住職の孫が夜中の墓地で何をしているのかを明らかにするためだ。しかし、こんな些細な移動でも周囲に配慮しなければならないほど音が出るのなら、写真など撮影すれば確実に見つかってしまうだろう。つまり、現場を押さえるということは、住職の孫に見つかり追いかけられる事が前提だ。そうなる事は最悪の事態と位置づけていただけに、嫌な緊張感が背筋を強ばらせる。
 今度は正門から塀沿いに登っていく。墓地内の坂はどれも先ほどのように非常に歩き辛いため、十分に気を付けなければいけない。その上、音も出来るだけ出さないような配慮も必要なのだから、下る時と同程度の手間が必要だ。それに、塀沿いに進むという事は単純に考えて逃げ道が半分になるのだから、意識していなければいざ逃げる時に混乱してしまう。
 予定通り、俺達は塀沿いに歩き始めた。ヒロシも一応状況の把握は出来ているらしく、基本的には余計な行動を取らず俺に追随している。取りあえず素直な行動をしている分には構わないが、余計な事をしないかと幾らかの注意を注ぐ。
 一応の順調さの中で進んでいたその時だった。突然、ヒロシが服の袖を引っ張り、何かを俺に訴えてくる。振り向くとヒロシは墓地の上の方の棚を指さしている。何事かと思い目を向けると、そこから一筋の光が夜空に向かって伸びている様が見えた。俺達はすぐさま姿勢を低く屈み込んだ。
 誰かが墓地にやって来たのか。いや、やってきたのは住職の孫に違いない。それ以外に訪れる人間はいるはずがないのだ。
 俺達は息を殺して光の動きをじっと見張った。一体光の主は今どのような心境でそこにいるのか。もしもそれが、明確に墓地の侵入者を探しているようなものであれば、今夜はもう撤収するのが賢い選択である。しかし、こちらに気づいていないのであれば、逆に現場を押さえる千載一遇のチャンスでもある。
 どちらの判断を下すべきか。
 そう迷っていたその時、またしても傍らのヒロシが俺の袖を引っ張り俺に何かを指し示した。
 今度は何だ?
 そう若干煩わしく思いながら目を向けると、そこには更に別の驚くべきものがあった。思わず息を飲んだ俺は、我も忘れてそれに見入った。
 あれは……何だ?
 それは、まるで火の玉に見えるような、宙に浮かぶ頭一つほどの大きさのゆらゆらうごめく明かりの塊、それが光の帯の根本に揺れ動く様だった。