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「な、何だよ急に」
「いいから、とにかくあの生首、ちょっと照らしてみろ」
「ばっ、そんなの嫌に決まってるだろ! 何でそんなことを!」
「ったく、仕方ないな」
 俺は溜息をつき、ひとまずいつまでも戸に挟まっている訳にはいかないと自分の体を強引に押し出す。戸が話し声以上の大きな音を立てて軋んだが、もはやそれも今となってはあまり関係が無かった。それより問題なのは、俺が言ったことを理解出来ずおろおろと浮き足立っているヒロシに、平素の理解力を取り戻させる事だ。
「じゃあ俺がやるから。ほら、お前もちゃんと見ろ」
「見ろって、お前、マジで言ってる? ちょっとそういうのは洒落にならないって。ふざけんなよ」
 ヒロシは怪訝さと恐怖とに喉を締められているため、声が甲高く上擦っている。どうやってもあれが目に入らない所まで自分の立ち位置を戸から遠ざけ、そこから一歩たりとも近づこうとしない。恐怖で強ばった表情と、ここからでも見て取れるほどの膝の震え、ヒロシがどんな心境なのかは想像に難くなかった。
 とても落ち着いてこっちの話を聞いては貰える状態ではない。けれど、実際に見て貰わない事には話が進まない。俺はヒロシの言う事を無視し、自分の懐中電灯のスイッチを入れ、件の天井の角の隅へライトの焦点を合わせた。
 ライトの中心に浮かぶのは、髪の長い女性の頭部。先程は闇に紛れていたのでぼんやりとしか見えていなかったが、こうして光を当て良く見てみると随分と印象が変わってしまった。やはり物事を見る時は想像力が先行するのだとつくづく感じさせられる。
「ほら、ヒロシ」
「嫌だ。そんなの俺は見たくない」
「大丈夫だって、何ともない」
「何ともあるからそこにあるんだろ。大体何でお前そんな平気なんだ? それ死体なんだぞ」
「違う、あれは人形だ。それもかなりちゃちな奴だ」
「え?」
 俺の言葉にヒロシは怪訝な表情で問い返す。俺が下手な冗談を言わない事をヒロシはよく知っている。それだけに疑えないのだろうが、一瞬でもそうであると見てしまった物を改めて見直す勇気がすぐにはわかないと言った様子だ。
「大丈夫、騙してないって」
「ほ、本当にそうか?」
「嘘じゃないって。誓って」
 そこまで言うのならと、ヒロシは自分の目で確認すべくおそるおそるこちらへ近づいてきた。何故これだけの事を確認するのにここまで慎重になるのかと失笑したい心境だったが、人間一度思い込んでしまうと想像力が悪い方向へ働き続けてしまうのだろう、自分も息を飲んで固まったのだからあまり笑ってはいられない。
 戸に身を隠しながら、まるで猛獣の檻を覗くかのように慎重に顔を出すヒロシ。しばらく出したり引っ込めたりを繰り返し、やがて意を決したのか半身ごと戸から乗り出す。そして緊張に強ばっていたヒロシの肩は急に落ちた。
「……なんだ、あれ? マネキンの首?」
「床屋なんかにあるサンプルっぽいな。髪はカツラかもしれない。肌も黄ばんでるし少しひび割れてる。ゴミ山からでも拾ってきたんじゃないか」
「暗闇だから本物っぽく見えたって事か、なるほどなあ。でも、どうして気づいたんだ?」
「普通、死体があったらもっと血生臭いんじゃないかって思ったんだよ。そもそも冷静に考えて、寺に死体が吊されるほどこの町は物騒じゃない。疑って当然だ。まあそれでも真っ向から見るのには勇気が要ったけどな」
「そりゃそうだよな、うん。しかしそれにしても、正体分かると案外大したことないな。ったく、人騒がせな」
 猟奇死体ではなく人形だと分かるや否や、ヒロシのトーンは見事に反転し普段の脳天気さを取り戻した。あまりの変貌に、人騒がせなのはお前の事だ、と嫌味の一つも言いたくなり、代わりに露骨に溜息をついてみせるがいつも通りそれはヒロシに届くことは無かった。
「でも、何でこんな事するんだ? 墓泥棒を脅かすにしては随分手が込んでないか? それにずっと吊しっ放しって事もないよな。こんなの年寄りが見たら、そのまま本堂で葬式だぞ」
「まあ、何となく想像はつくさ。それに、さっきの火の玉だってそうだ」
 ヒロシは眉をひそめながら小首を傾げる。自分は全く想像もつかないという仕草だ。しかし俺は明言を避け、ヒロシの肩を軽く叩き早足で歩き出した。すぐにヒロシもその後を追って来る。
「とにかく、今夜はもう帰ろう。それで月曜、学校が終わってからまた来るぞ」
「えっ、何しにだよ?」
「謝りに行くんだよ。勝手に侵入したのは僕達です、って」
「別にいいだろ、それは。どうせ誰かなんてバレてないんだから」
「誠意の問題だ。それに、何であんなものを吊したり夜の墓場でうろついていたりしていたのか、ついでに聞き出せるだろ」
「なんか俺、もういいよう。これ以上は寿命縮まりそうだ」
「ふざけんな。ここまでやったんだから、きっちり最後までやるんだ。元々はお前が言い出しっぺなんだからな」
 大きな溜息をついてうなだれるヒロシ。そのわざとらしい溜息は、明らかに俺へ対する抗議の意味が含まれている。嫌がる気持ちも分かるが、今回の件も、明らかに非はこちらにある。あまり大事になる前に自分から素直に謝った方が傷は浅くて済む。それがこれまで散々ヒロシに振り回されてきた俺が学んだ、渡世術のようなものだ。